第276話 不意

「蓋を開ければあっけなかったな」


 僕の呟きにギレンが頷く。


「余らは魔物特攻を持っておる、この分なら魔王の元までは難なく進めるであろう」


 ツルカメアが黒い霧に代わり、僕たち勇者パーティーに弛緩した空気が流れる。


 僕は気付くべきだった。


 僕たちの中で最も強い人間が、何を感じていたのかを。


 いつだって世界の理不尽は獲物の気が緩んだ瞬間を見逃さない。


 そういう時に限って、災厄は訪れる。


「主さま!」


 ニコが叫んだ。


 ジュッと、右の肩に熱が走る。


 遅れて空気が鳴動する低音が響いた。


 僕はニコに突き飛ばされ、防壁の石畳に左肩から叩きつけられる。


 そして、仰向けに倒れた僕の腹の上に、ポトリと何かが落ちた。


 最初、僕はそれが何かを理解できなかった。


 遅れて気付く。


 それが、ニコの左腕だということに。


 頭のてっぺんから足の指の先まで、血の気が引いて寒くなるような感覚。


 心臓が凍りついて今にも砕けてしまいそうだ。


 自分の顔だけがやけに生温かいのは、ニコの血飛沫がかかっていたからだ。


「……にこ?」


 なんて、アホヅラ晒す僕の右腕も、肩の付け根から先が吹き飛んで石畳に転がっていた。


 それからやっと、脳天に走る激痛。


 今さらになって、僕の念しが魔力の残滓を感じ取った。


 それもこれも、どうでも良いことだった。


 ニコが──







 ──僕を庇って血だるまになったニコが、僕の腹の上に落ちた彼女の左腕に覆いかぶさるように倒れた。


「あ、ああ……」


 僕からはもう、振っても揺すってもそんな声しか出なかった。


「敵襲! 新手だよ! あ、あれは……あたしたちには強すぎるかも……。モノロイくん、シャルルとニコちゃんを! ギレンくん! ライカちゃん! あたしが突っ込むから援護をお願い! ミリアちゃんは後方支援を!」


 そう言い放って、イズリーが臥竜門を飛び降りるのが見えた。


 僕は残された片腕で、僕の上で沈黙を保つニコの血塗れの頭を撫でる。


「に、ニコ……? なに寝てるんだ……? 好きだろ、頭撫でられるの……? いつもみたいに、顔を赤らめて、その耳を可愛く揺らしてくれよ……ニコ……?」


 彼女が兎の耳をひくひくと揺らすことはなかった。


 それから、僕は気付いて治癒ヒールを何度も放つ。


 カナン大河の方向から、激しい戦闘音が響く。


 イズリーたちは苦戦を強いられているらしい。


「ニコ……ニコ!」


「シャルル殿! まずはご自分のお怪我を!」


 モノロイに傷口を強く抑えられた。


 それでも、ニコに治癒ヒールをかけ続ける。


「ご主人様……! モノロイ、ひとまずご主人様を止血します!」


 ミリアが僕の右肩を魔法で凍らせた。


 僕は治癒ヒールをかけながら、ニコの首筋にそっと指を置いて脈を測る。


 ニコの脈拍は弱々しくも、まだ動いていた。


 ミリアがニコの出血箇所も凍らせて「あの魔物は異常です! ひとまず撤退を……!」と進言してくる。


 その時、魔力切れを起こしていたハティナが叫んだ。


「イズリー!」


 カナン大河の方から、大地が唸るような鈍い衝撃音。


「イズリー……、イズリー!!」


 ハティナが叫ぶ。


 僕は気絶したニコをモノロイに託し、防壁の上から大河を見下ろす。


 ムウちゃんが仰向けでぷかぷかと水面に浮かび、浅い河の水に膝まで浸かったライカとギレンが剣を杖代わりにして肩で息をしている。


 戦っていた魔物は、想像より遥かに小さかった。


 赤い外殻に覆われた、人型の魔物だった。


 まるで薔薇の蕾のような頭部、瘡蓋カサブタのような赤黒く禍々しい鱗に覆われた鋭く長い右腕で、ぐったりとしたイズリーの首を掴んでいた。


「ア……あイ……ア……い……」


 と、魔物から不気味な声が漏れる。


 ──懲罰の纏雷エレクトロキューション


 視覚から脳に届く信号なんかより速く、僕の身体を電気が包み、僕はその場を跳躍していた。


 ──雷刃グローザ


 フーブランシュから伸びる黒い電気の刃で、人型の魔物の右腕を切り裂く。


 右腕を切り落とされた魔物は素早く後退した。


 落ちるイズリーを受け止めようとした自分の右腕もないことに、僕はそこで初めて気付く。


 そのままイズリーは河に落ちた。


 僕は雷刃グローザを起動したままフーブランシュを口に咥え、左手でイズリーを水から引き上げる。


 イズリーの首にくっついていた魔物の右腕はドロリと溶けてヒルのようにその身をくねらせながら河を泳いで本体に合流し、魔物に吸収された。


「……ゴホッ」


 イズリーの無事を確認し、咥えたフーブランシュを左手に構えて僕は魔物を睨む。


 魔物が斬られた右腕を見せびらかすように前に伸ばすと、その腕がいとも簡単に再生した。


「はぁ、はぁ……主様、面目次第もございません」


 息を切らしたライカが言う。


 ギレンはこちらを見る余裕すらないようだった。


「いい……、俺がやる」


 それだけ言って、ライカにイズリーを任せる。


 僕の隣、地響きと共に川面が爆ぜる。


 モノロイが着地したのだ。


「強敵……ですな」


「カンケーねー、殺してやる……!」


「助太刀いたそう、ギレン殿! ムウちゃん殿を!」


「ああ……」


 ギレンはザブザブと水を掻き分けながら、河面に浮かぶムウちゃんを回収する。


 イズリーを傷付けられた。


 当然、僕の沸点はとっくに超えている。


 しかし怒りの隣で、冷静な自分がいる。


 フーブランシュの強化を受けたあのスキルが、果たしてどうなるのか?


 僕自身にもわからないからだ。


 そして、僕の中に破壊の福音が響く。


 ──至福の暴魔トリガーハッピー


 ──劫末型ドゥームモード


 ──起動。



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