第273話 ジジイ

「……シャルル殿、臥竜門は抜けられそうですが、我らが通った後の臥竜門に残された守護者たちでは魔物の猛攻からこの門を守り切れはせぬでしょうなあ」


 モノロイが守護者たちを見ながら言う。


「……うーん」


 僕も彼らを見ながら思案に耽る。


 ボロボロになったシスターのレイセフ・セイレは焦点の合わない目を恐怖に染めて、時折何かに怯えるかのように「ひぃいいいっ」なんて叫び、ギレンが倒した彼の師匠、レンブラント・オットーはニコの再生リプロで一命を取り留めはしたが空気の抜けた風船みたいに一気に老け込んだ様子だし、僕が相手をした守護者筆頭トランキュール・サタルフェルはたぶん一生魔法を使えないだろう。


 フーブランシュで効果を高めた冥轟刃アルルカンの呪いのせいだ。新しい冥轟刃アルルカンは重力の枷を嵌め、起動を停止しても呪印を残す。その呪印は、生涯残って魔力を遮断し身体機能の一部を封印してしまう。


 沈黙は銀サイレンスシルバー冥轟刃アルルカン裁断型ジャッジメントモードなんて呼んでいた。


 そして、極め付けはライカの相手だった兎角とかくのブラッドという獣人の剣士だ。


 彼は偶然にもライカとの戦闘中に『天寿を全うした』ため、三つに分裂してしまった。


 天寿を全うすると三分割になるのは、ヴァレンの谷では常識らしい。


 嘘じゃない、本当だ。


 ニコがそう言っていたんだ。


 本当に本当なんだ。


 ニコの相手だったドワーフ、覇斬侯さんだけは無傷だが彼一人でどうにかなるものなのだろうか?


 しかし、ドワーフの彼は人が変わったように大人しい。


 ニコが再生リプロを使ったのか、彼の両眼の傷はすっかり無くなっている。


 気になるのは一向に僕と目を合わせようとしないことだ。


 というか、僕を全く見ようとしない。


 僕が何か話を振っても、ひとまず一度ニコを見て、それに彼女が頷かない限り返答しようとしない。


 ……僕、彼に何かしただろうか?


「筆頭とやり合って無傷……? 殿下の仰っていた意味、やっとこの老骨にも理解できた気持ちです」


 守護者筆頭トランキュールのすっかり口数が減った……というより、何も喋れなくなってしまった姿を見てレンブラントが呟いた。


「左様。レンブラント、其方ならグリムリープ卿に勝てるか?」


 何故か誇らしげなギレンが言う。


 レンブラントは少しだけ迷ってから「筆頭は若年ながら爺よりも遥かに強い魔導師にございます。少なくとも、この時代の魔導界で抜きん出た才と力を持っていた。……それを無傷で、殺すことなく? ……考えるまでもなく、不可能にございましょうなぁ」と言い、僕をしげしげと見つめる。


「震霆パラケストのご嫡孫と聞き及んでおりますが……」


 突如レンブラントに話を振られた僕は戸惑いながら答える。


「あ、ああ、パラケスト・グリムリープは僕の祖父だ」


「……ふむ、アレは掴みどころのない魔導師でした。儂もかつては帝国で一軍を率いた魔導師、王国魔導師とはよく戦場でまみえたものです。モルドレイ・レディレッド、アンガドルフ・トークディア、ヨハンナ・ワンスブルー。この三人の魔導師は特に強かったが王国魔導師の中で最も異質だったのは震霆パラケスト・グリムリープです」


 異質。


 確かに、ジジイにはピッタリの表現かもしれない。


「……儂は震霆を退けたとは言え、それはその時彼とその麾下の兵士たちが深淵エンシェントとの戦闘の直後だったからに過ぎません」


「……」


 僕にしては珍しく、この老人の昔話を遮る気にならなかった。


「震霆の用兵は巧みなものでした。美しくすらあった……。五千からなる帝国軍による苛烈な攻撃から、百にも満たない疲弊しきった部隊で灰塵が逃げるまで砦を守り切ったのですから……。震霆を討ち果たせなかったのは、一軍を与った将として生涯最大の汚点ですが、彼を討ち漏らしたことは我が人生において最も価値あることだったのやも知れません。何故なら、我が主君たるギレン殿下は ──」


 歴戦の老兵は、目尻に涙を溜めて吐き出した。


「──得難き友を得た」


「……爺」


 ギレンは言葉なく俯く。


「ジジイは、……震霆パラケストは──」


 僕は自分が何を尋ねているのか理解しきっていなかった。


 僕の思考を飛び越えた言葉だった。


「──強かっただけじゃない」


 老兵は答える。


「ええ、グリムリープ卿やトークディア嬢ほどの優秀な魔導師を育てたのです、紛れもなく、指南役としても不世出の魔導師でしょう」


 老兵の答えに、僕は何故か誇らしげな気持ちになった。

 

「当然だ、魔王の師匠だからな」


 イズリーの含みのある笑顔を、僕は見ていないことにした。


 ミリアもモノロイもイズリーも、そしてこの僕も、ジジイの弟子の皆が彼を尊敬している。

 

 そして、かつてジジイを負かした相手にジジイの強さを、その教えを認めさせたことを誇らしく思うのは、きっと同じだ。


 ……ただ、それを表立って言葉にすることに若干の気恥ずかしさはある。


 ジジイは聖人君子じゃない。


 いわゆる『良い人間』なんかじゃ、決してない。


 気まぐれで自由気ままで、その上、我欲に塗れている。


 だから。


 だからこそ、僕たちはアイツに惹かれる。


 そして、気付けば導かれている。


 この世界でジジイだけが覗いた、魔導の深淵へ。


 

「シャルル、お師さんのこと大好きだよね」


 イズリーが悪戯な笑顔で言う。


 僕はむくれたように「嫌いじゃないってだけだ」なんて返す。


 僕たちに弛緩した空気が流れたその時、臥竜門が揺れた。


 まるで巨人のノックのように、荒地に響く鈍い轟音。


 それは魔物の襲来を教える警報だった。

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