幕間 戮 黄金の英傑
「お久しぶりでございますなぁ……、殿下」
「……爺、息災であったか」
儂等の間に、久方ぶりに交わされた言葉。
ギレン殿下は地に伏し、儂はそれを見下ろしていた。
「ええ、さりとて、爺ももはや老骨の身。歳は取りたくないものにございます」
「……マルムガルム帝国の英雄と呼ばれた
「全ての武人の宿命にございます故。人生の大半を武に注ぎ、千の首級をあげた我が武技も、大いなる時の奔流には逆らえぬようですなぁ」
「……まるで自分が弱くなったとでも言いたいようだな?」
「ええ、これでも、全盛期の半分も力が出せておりませぬ」
「余を一刃のもとに降しておきながら、よく言うものよの」
殿下は立ち上がって後方に跳んで距離を取り、剣を構える。
あの剣の銘は
儂が別れ際に殿下に献上した業物。
あれから十年は経つというのに、未だ我が剣を得物として頂けることを、儂は至福に思う。
「その剣、大分殿下に馴染んだご様子。爺は嬉しゅうございます」
「……そう言う其方は
儂の周囲を短刀
「いかんせん、これより切れ味の悪い得物がございません故」
「……いつまで余を子供扱いするつもりだ!」
ギレン殿下は挑発に弱い。
すぐに頭に血が上る性分は陛下譲りであろう。
「殿下、儂は口惜しいのです」
「……?」
「演武祭での話はこちらにも伝わっております故」
殿下は演武祭で王国魔導師に敗れた。
その敗れ去る様は酷く無様だったと聞く。
酒場で殿下を愚弄し、敵方の王国魔導師を讃美する吟遊詩人を、儂は何人切ったかわからぬ。
殿下は強かった。
才能もある。
神に選ばれしジョブも。
さらには、儂が天塩にかけて育てた最高の弟子であった。
聞くに、相手の魔導師は憎き震霆パラケスト・グリムリープと、王国の猛将灰塵モルドレイ・レディレッドの孫であり、この世で唯一儂に勝った魔導師、地鳴りのアンガドルフ・トークディアの弟子だそうだ。
しかも、かつて儂が率いた帝国軍が討ち果たしたものと思っていた震霆は生き延びていたらしい。
だからこそ、儂は口惜しいのである。
半世紀前に起こった樹海での王国との戦でもし、砦に籠るモルドレイを打ち倒しておったなら、モルドレイの後に砦に入り
「……鍛え直さなければなりますまい」
儂は殿下に向けて言った。
世界を統べる筈だったギレン・マルムガルム殿下に土を付けた魔導師が王国に育ったのは、ひとえに儂の所為なのだ。
であればこそ、今一度、殿下をこの手で最強の
殿下を強き帝王にせねばならぬ。
「レンブラント、其方と別れたこの十年、余が遊んでおったとでも思うか」
「遊んでいたならまだましでありましょうなぁ。そうでなければ、王国の貧弱な魔導師に敗北を喫することなどなかったでしょう。今一度、儂がこの手で砥がねばなりますまい。鈍になった殿下という刃を」
儂の言葉を、殿下は鼻で笑った。
「ふ、其方も老いたのは本当らしいな」
殿下のお言葉に、儂の忠心とは真逆の感情が湧き上がる。
儂はこともあろうか殿下に対して怒りを覚えていた。
殿下は続ける。
「十年前に余の師であった頃の其方なら一目で魔王シャルル・グリムリープの実力を見抜いたであろう。……良いか、レンブラント。魔王シャルル・グリムリープの麾下には千からなる帝国軍をたった一人で撫で斬りにした鉄鎚モノロイ・セードルフがおる。震霆の愛弟子にしてトークディアの孫娘、獣人国が堅城たる天空城を三百の手勢で落とした暴鬼イズリー・トークディアがいる。余の兄弟子たるグレイン・イギナープを演武祭で鎧袖一触のもとに撃破し、王国師団長として獣人国を落としたミリア・ワンスブルーがいる。同じく演武祭では我が腹心たるデュトワ・グリムリープを無傷のまま制圧し、獣人国平定に最も貢献した智将、慧姫ハティナ・トークディアがおる。獣人国最強の兵団たるヴァレンの谷間の兵士を束ね、戦鬼のジョブを持つ悪名高き悪辣姉妹ライカがいる。極め付けには王国の犯罪組織をたった三年でひとつに束ね、獣人国は百獣門を獣人族の死体の山に変え、あの狡知なエルフをその武力と智謀で圧倒した、天上天下にその名を轟かせる聖女ニコがいる」
儂は殿下のお言葉を静かに聞く。
殿下を倒した魔王シャルル・グリムリープに、少しだけ興味が湧いたのだ。
何故なら、古来より良き君主は良き家臣に恵まれる。
そしてその良き君主は、時折り世界のしがらみ全てを覆すほどの力を持つからである。
殿下は、最後に言った。
「それだけ強大な家臣団を抱えながら、その中で最も魔導に長け、最も凶暴で、最も謀略に秀で、さらにはその手綱を引く者が存在しない、最強にして最恐にして最悪な存在こそが魔王シャルル・グリムリープなのだ」
殿下がここまで他人を褒めることは稀だ。
褒めているのかは、甚だ疑問ではあるが。
帝国には自分より優れた者がいなかったのもあるが、帝国皇太子としての誇りもあろう。
その殿下が、ここまでその者の強大さを語る。
儂にはやっと、その意味が理解できた。
殿下は最後にこう言った。
「魔王シャルル・グリムリープはそれだけの力を持ちながら、余に恩を売った。自分を殺そうとした因縁の相手に、情けをかけたのだ。……余は、強さの何たるかを彼から学んだのだ。レンブラント、其方が教えてはくれなかった、真の強さだ」
「……震霆がかつて、儂に言いました。強さとは比較、他者と自分を比べる言葉でしかないと。そんな震霆は仲間を全て喪い、尻尾を巻いて儂の前から逃げました。……殿下の気の迷い、師である儂が晴らして差し上げよう」
儂はスキルを詠唱する。
──
儂が所有する武器を召喚するスキルだ。
儂の周りに古今東西、ありとあらゆる武具が現れる。
儂がこれまでに集めたコレクションの全てを解放した。
帝都守護役最強と呼ばれたアイロン・バットがかつて使った双剣『フレンドキープとリトルウッズ』、帝都の狂人マス・アノリの大斧『カラーカープ』、殺人演者フックトーク・ゴートの大剣『ジャル・ジャル』、魔女狩りの処刑道具であった首切り鋏『サンドウィッチマン』、切れぬ物なしと謳われる名剣『
その中から剣聖ダマハ・シトヒが使用した伝説の聖剣『
空中を漂う、百を超える武具の数々。
かつて震霆パラケスト・グリムリープすら退けた妙技である。
「
殿下は笑い、そして大地を蹴って距離を詰めてきた。
儂は殿下の全方位から無数の刃を降らせる。
儂が
殿下は儂が陽動のために放った斬撃のほとんどを
横一閃に儂に迫る
儂はそれを鉄火場崩しで受け、手首を翻して巻き上げる。
殿下は抗うことなく脱力して巻き上げの力を上手く逃した。
「……ほう」
儂は無意識に感嘆のため息を漏らした。
並の使い手であればこの巻き上げに抗おうとして得物を強く握り、身体が力む。
結果として力めば力むほど、その者の持つ武器は高く遠く吹き飛ぶはずである。
やはり、殿下は強い。
が、胴はガラ空きである。
儂の巻き上げをいなした殿下ではあるが、剣を上段に弾かれ空いた腹に殿下の死角から
殿下は上段からの振り下ろしで
「耄碌したか、レンブラント! 余には未来が視えるのだぞ!」
……甘い。
儂は吠える殿下を見て思う。
殿下の未来予知のスキルには弱点がある。
それは自身の未来しか視えないこと。
そして、それはつまり自身の力ではどうにもならない未来は変えられないということである。
殿下の鳩尾に短刀が深々と刺さる。
儂が最初に
「……ぐふ」
吐血する殿下。
「殿下のスキル、
殿下は目を見開いて片膝をつく。
まだ、心は折れていないらしい。
「──それは、殿下の
殿下の腹に刺さった短刀を再び
「ゴホッ……余の弱点をペラペラ喋って、余裕のつもりか?」
余裕はある。
が、これは殿下を強くするための戦い。
恩だの友誼だのと強さに理由を付けようとする錆びついた殿下を、再び研ぎ澄ますための……。
「……戦いは非情だということです。殿下が思っているよりも、ずっと──!!」
ガチンと金属音が響く。
殿下の剣が、儂の頬まで迫っていた。
ギリギリのところでそれを鉄火場崩しで受け止める。
「余がこれしきの傷で退くと思ったか?」
「……傷を負った時は退けと、そう教えて参りました」
「退けぬわ。余の仲間は他の守護者に必ずや勝つであろうよ。余だけが、むざむざ敗北する訳にはいかぬのだ!」
「……!」
正直なところ、驚いた。
あれほど冷徹だった殿下のこの変化。
それと同時に魔王シャルル・グリムリープに興味が湧く。
震霆パラケストは食えぬ魔導師であったが、その強さは確かに歴代の魔導師の中でも最強の部類であったし、万全の状態で
儂が奴に勝った時、震霆は樹海で深淵エンシェントと一戦交え、疲弊した状態だった。
それほどの強さを秘める大魔導師の孫。
もし殿下の言うように非凡な才を持っておれば……否、もし震霆と灰塵の才を正統に受け継ぎ地鳴りの教育が行き届いていれば後々、帝国の脅威となるであろう。
儂は近接する殿下と儂の周囲を、無数の武器で取り囲む。
「……あの若造、消しておいた方が後のためかもしれませぬなぁ?」
「……其方が、グリムリープを?」
儂と鍔迫り合いを演じる殿下が、口から血を垂らしながら笑った。
「……?」
「其方には不可能だ」
「……ほう?」
「……其方程度ではグリムリープには絶対に勝てぬし、挑むことすら出来ぬ、何故なら其方は今この場で──」
儂と殿下の足元の地面が盛り上がる。
「──余に敗ける!」
地面が隆起し、儂と殿下を高く持ち上げた。
「これは!」
殿下のスキル、
本来なら土や岩などの無機物からゴーレムを創り出すスキルであるが、殿下はそれを自らの立つ地面にかけたのだ。
つまり儂と殿下はゴーレムの頭の上。
儂が操る武器は一瞬で地上付近に置き去りにされた。
殿下の右手の
巻き上げである。
儂がかつて教えた通りの、お手本のような巻き上げ。
儂は己が手首を脱力して巻き上げを受け流すが、殿下の左の掌が儂の胸にそっと触れた。
儂は咄嗟に
「余の最も強大なスキルを忘れたか?
魔法名を告げることでその威力を倍加させるスキル。
殿下の栄光のスキル。
帝国を象徴するような、黄金の輝き。
儂は殿下が創り出したゴーレムの頭から落下した。
殿下もゴーレムの頭の上から仰向けに倒れた儂の顔を見下ろす。
「……殿下、ご立派になられましたなあ。爺は……爺は嬉しゅうございます」
老いぼれの、心からの賛辞である。
殿下は儂の目を真っ直ぐに見て言った。
「いつまでも高い場所から見下ろすでない、不敬だぞ! だが、……南方の魔王は余が倒す。……これまで、大儀であった」
殿下はゴーレムの頭の上から飛び降り、仲間の元へと歩いていく、儂は不思議と寂しさを感じた。
雛鳥が巣立つ様を見るような、そんな感慨を抱いた。
空は青く、深く澄んでいた。
しばらくぶりに、空を見た気がする。
遠くに浮かぶ雲。
昔、まだ幼かった殿下との会話を思い出す。
『爺、余は帝国だけではなく、他国の英雄をまとめ上げ、必ずや南方の魔王を打ち倒すぞ。それこそが、女神が余に勇者のジョブを授けた本当の意味であろ?』
『殿下、それにはまず、儂を倒せるくらいに強くならねばなりますまいなあ? 儂を倒せるようになれば、きっと南方の魔王の討伐も成るでしょう』
『ふむ、だが爺よ、余はお前が好きだ。好きな者を倒すのは、勇者のすることではなかろうよ。……余は、間違っておるかの?』
『嬉しゅうございますなあ。……わかり申した、殿下が魔王討伐をなさる時は、儂にお声かけ下され。さすれば、この
嬉しそうに笑った殿下。
何故、儂は忘れておったのか。
儂がすべきことは、殿下の歩みを阻むことではなく……共に歩むことだったのに。
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