幕間 戮 暗闇の住人

 ひょんなことから、南方からの魔物を防ぐ我々臥竜門の守護者と、南方に赴き魔物を討伐せんとする愚か者共とで勝負となった。


 まったく、守護者筆頭の気まぐれには辟易する。


 年少故の気まぐれであろうが、それに付き合わされる我らの身にもなってもらいたいところだ。


 しかも、声から察するに我が相手は年端もいかぬ少女ではないか。


 弱い者イジメなど、ドワーフの沽券に関わる由々しきことだ。


「我は其方とは闘わぬ。勝負は其方の勝ちで良い。か弱き少女を痛ぶるくらいなら、死んだ方がましだ!」


 少女の表情は解らぬが、彼女は心底不思議そうな声色で我に尋ねた。


「わたくしの勝ちなら、こちらは良いのですが、それで貴方の誇りは本当に守られますか?」


 我にはその言葉の意味が少しも解らなかった。


 どういう意味だ?


 我が意を察したのか、少女は告げる。


「自慢ではないですが、わたくし、人類の中では主さまの次に強いですよ?」


 我はその言葉に、先ほど彼女が言った言葉の意味を理解して合点がいった。


 自分は強いから、そんな自分から逃げて我が誇りは傷付かぬかと。


 彼女はそう言ったわけだ。


 しかし、少女の戯言を意に介すことの方こそ、我が誇りが許さぬ。


「我を盲目のドワーフと侮っておるのか?」


 そう、我が両眼は光を映さぬ。


 十年前の魔物との死闘で光を失った。


 戦闘では常に不利を得る。


 しかし、だからこそ得たものもある。


 両の眼を補うように、一つのスキルを得た。


 奪視簒目アイジャック


 このスキルは相手と視覚を交換するスキル。


 我は相手の視覚を得て、逆に相手は我が視覚を得る。


 つまり、このスキルの対象となった者は盲目となり、我は光を得るというわけである。


 我の魔導師としての才は筆頭ほどではない。


 しかしこのスキルと我が戦斧、鞍切り丸を使えば相手が誰でも勝つ自信がある。


「相手が盲目だからと侮る者が、強いわけがありません」


 少女は透き通るような声で言った。


「さりとて、少女を倒して武門の誉れとなろうものか。其方が歴戦の猛将であればいざ知ら──」


 突如、我の背筋に悪寒が走った。


 瞬間、我はこの感覚と状況を飲み込めずにいた。


 右足の親指と人差し指の間に、冷たい金属の感触。


 我はそれを触って確かめる。


 我の履くブーツの爪先に、一本の矢が刺さっていた。


 その矢は深々と靴に刺さっているがしかし、我を傷付けることは全くなかった。


 ブーツに隠れた指の間を、少女が狙って撃ったのだと理解した時、彼女は言った。


「名刺代わりの一矢にございます。わたくしはニコ、我が主である魔王シャルル・グリムリープさまの忠実なる臣下にございます」


 ニコと名乗る少女の強さは、この一連のやり取りで明らかになった。


 矢をつがえる音も、弓を引く音も聞こえなかった。


 びいんと、少女の弓の鳴弦だけが我が耳に残る。


 我はブーツに深々と刺さった矢を引き抜き、握った拳に力を入れてそれを割った。


「あり得ぬほどの速射よ。即ち、貴殿が卓越した弓兵であることを理解した。これまでの非礼を詫びよう。我が全力を以ってお相手仕ろう」


 我の中に、もはや迷いは消えた。


 そして、少女の実力を疑った自身を恥じる。


 この少女は麒麟児の如き才の持ち主である上に、既に歴戦の猛者である。


 我は内なる傲慢を心より掻き消し、戦斧を構える。


「貴殿は我より強かろう。これより、我は挑戦者として貴殿に挑む。我が一刀、御照覧あれ!」


「ええ、期待しております。……せめて、少しは足掻いてみせてくださいね」


 元より眼など見えないが、形なき掌に撫でられる感覚を覚える。


 少女の殺気であろう。


 鞍切り丸がりぃんと鳴った。


 泥濘のように纏わりつく巨大な掌が、我を頭から押し付けて平伏させようとする。

 

 しかし、我の内側ではまた意外な変化が訪れる。


 十年前に光を失ってから、初めての感覚である。


 闇が、心地よいのだ。


 彼女の姿を見れてしまっていたら、きっと我は恐怖し、錯乱し、戦わずして折れていたであろう。


 まるで、闇の住人を守る帷のようだ。

 

 今は、今だけは、この憎き暗闇が我を守ってくれていた。


 暗闇の住人たる我の耳に、透き通った声が響く。


「ふふふ、さあ、及び腰になれば一瞬で終わりますよ。全霊で、かかってきてくださいませ」


 慈悲深し。


 少女の声に、我はそんなことを思った。


「征くぞ! 奪視簒目アイジャック!」


 少女の視覚を奪う。


 我が眼の闇が晴れる。


 晴れて、そして、我は絶望した。


 本来なら我自身の姿を写すはずの少女の視界は、白銀の煌めきしか写さなかった。


 まるで、我が祖国モリアテーゼの山々を染める新雪のような銀世界。


「あら? これは……、視界を入れ替えるスキルですか? なるほど、盲目の貴方にぴったりのスキルです。ですが──」


 雪原に、少女の淡く透き通った声が響く。


「──わたくしも、盲目なのです」


 そして、我は全てを悟る。


 我は自身を闇の住人などと呼んだが、彼女は……。



 否、彼女こそ──





 ──元よりこの世界の住人。


「うおおおおおおおお!」


 我は命を投げ打って突進し、鞍切り丸は空を切って地を穿った。


 いつの間にか懐に入っていた少女の吐息が、耳にかかる。


「暫し、このままで。──再生リプロ


 少女はそっと我が両眼を撫でた。


 大地に深々と刺さった鞍切り丸と、我が右腕は命を失ったように不動のものとなった。


 少女は言った。


 そして、感嘆の声を漏らす。


「アレが、空? 青、という色でしょうか。こっちが、大地? なんと雄大なのでしょう……。これが、世界。……なんと美しい。やはり、主さまに献上せねばなりません。世界に君臨すべきなのは、主さま唯ひとり。主さまこそ、この空と大地を独り占めするに相応しい……え? 嘘でしょう!? ま、まさか! あちらにおわすのは……! ドワーフ! そのまま視線を動かさずに!」


 我は言われた通り、視線を固定する。


 我に何かが見えているははずもない、それでも、少女は何やら不可思議な注文をする。


 しかしことここに及んで、対面してから初めて少女は動揺を見せた。


 絶対強者が見せた初めての隙。


 我は、それを突くことは叶わなかった。


 もう、闘志が尽きていたのだ。


 彼女は盲目のまま弓を引き抜き、我に強さの一端を見せた。


 我を一切、傷つけることなく。


 もう、それだけで、我は……。


 少女は耳元で尚も喋る。


「……ハァあアアアアあああ!? え? 待って……! 待って? あ、あ、主さまぁ!? や、や、やっぱりそうです! 主さまだあ! な、な、な、なんとお麗しいお姿でしょう!? 好きぃっ! あんなにも美しく、あんなにも気高いだなんて! あなたさまは神か何かですか!? 髪の色! ミリアさまがわたくしに鬱陶しいほど自慢するわけです! なんて美しい! どちらの色が赤でどちらの色が黒でしょう?? ふわぁああ……。し、心臓が止まりそうです……! いけません、こ、このままでは妊娠してしまいます……! でもでも、それも良いかも……なんて……はっ! いけません! わたくしったら! なるほど女神さまがお選びになるわけです! はぁ……尊い……。願わくば、わたくしだけのものに……、はっ! また! わたくしとしたことが! 分不相応にもほどがある望みを抱くなんて! でも、でもぉ……はぁっ……あれは……八重歯? ……というやつでしょうか!? 主さまが笑った時に覗くあの歯! か、か、か、可愛いいいいいい! しゅきいいぃぃぃい!」


 恋焦がれる乙女の情念が最高潮に達した時、奪視簒目アイジャックが起動を停止した。


 時間切れである。


 銀世界と暗闇が反転する。


 ……ことには、何故かならなかった。


 我が両眼が光を写す。


 およそ十年ぶりの、光の世界。


 その驚きはすぐに、心臓を氷柱で撃ち抜かれるような感覚に変わる。


 我が身に起こった奇跡とその至福は、我の懐で小さくうずくまるメイド服の少女の殺気に掻き消されたからだ。


「なぜ……──」


 底なし沼のように我を捕らえた殺気を鋭い刃のような鋭さに変えて少女は呟く。


「──……スキルを解除したんですか」


 肌を削り取られるような幻痛を覚えながら、我は半ば放心状態で答える。


「わ、我がスキルの効力は一分……、つまり……時間切れにござ……あ、いや──」

 

 そこまで言って、我は少女に敬語を使いそうになっていたことに気付く。


 この少女、否、魔女には、本能的に服従せざるを得ない気配がある。


 見れば、少女は傾国の美を持っていた。


 触れれば裂けて溶けそうな白い柔肌に鮮やかな鮮血が垂れたような唇、名刀のように細い眉と弓のように反った長いまつ毛、そして小さな小鼻とは対照的なほど大きな瞳は、陽なき天穿のように昏い深さを持つ。


 我は少女を見たその一瞬で、この儚くも凶悪な魔女に心酔していた。


 この世の悪徳全てがこの小さな身体に凝縮されているかのような、そんな絶望感にも似た印象、そして不思議と我はその醜悪にこの身を浴したいという願望を抱く。


 赤子なら当てられただけで絶命するであろう邪悪な闘気。


 時の権力者全てを虜にするであろう麗しき美貌。


 歴戦の猛将を集めて束ねても一息で蹴散らすであろう魔王がごとき武力。


 まるで美と毒の共存。


 まるで破壊と再生の同居。

 

「貴方をわたくしの配下に加えます。逆らいたければお好きにどうぞ」


 我はすぐさま跪いて魔女の靴の先に口付けをする。


 我の臣従の礼に、我が主は冷たい声で答えた。


「貴方自身はあくまでもそのスキルの付属品に過ぎません。貴方は生涯わたくしの目となり、わたくしが主さまの勇姿を拝見するためだけに存在することを許します。あ、そうそう、わたくしよりも多く主さまのご尊顔を拝見することは許しません。……だってそうでしょう? それって、なんだかとっても……不快なんですもの」


 主の無茶な命令を、我の心はすんなりと受け入れていた。


 我の心は喜びに満ちていたのだ。


 


 我は敗北し、そして、我は暴君を得た。

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