幕間 戮 舞い踊る剣尖

 負け犬のような人生だった。


 兎族なのに。


 って、やかましいわ!


 なんて、心の中でおどけてみても、俺の内側の奥深くで蠢く『何か』が身震いをする。


 嫌な記憶が、酒が抜けた朝と同じように俺の心臓を鷲掴みにする。


 因縁ってやつだろうか。


 それとも運命ってやつだろうか。


 とにかく俺の血と運命は、この蠢く『何か』から、俺を逃す気は毛頭ないらしい。


 


 目の前の女剣士はスラリと曲剣を引き抜く。


 薄紅色の髪色は、アイツと同じそれ。


 違うのは犬の耳を持っている点。


 小さな顔、長いまつ毛、どんぐりみたいに大きな眼と触れれば切れそうな鋭い視線、鼻筋が通った端正な顔立ち、重心を必要以上に後ろ側にかける剣の構えと、それに一際艶を出す長い手足。


 この女の凛とした気配でわかる。


 女の中で完成された武技。


 この女の闘気と姿形が、俺の記憶を掻きむしる。


 心の奥底にしまい込んだ泥臭い負け犬の記憶。


 そっくりだ。


 似ている。


 いや、血縁てのは恐ろしい。


 ここまで、アイツに似せるものか……。


 

「もう20年以上前の話だ。


 俺たちヴァレンの谷間の兎族は、谷の向こう側の連中と日夜殺し合いを繰り返していた。


 相手はクソみてえな犬ころたちだ。


 俺はその日も谷底に狩りに出ていた。


 谷底から見える空には珍しく、綺麗な三日月が浮かんでいた。


 谷底で飯の調達や狩りをしているのは犬族も同じ。


 犬族のクソったれ共と俺たち兎族とがカチ合えば、殺し合いは必定だ。


 とは言え、俺が殺られるわけがねえと思っていた。


 世間知らず、あるいは井の中の蛙って言やあ、そうなのかもしれない。


 ただ、俺とソニーとカノンの三人が揃ってたんだ、万が一が起こると思う方が無理ってもんだろう?


 ただ、万が一ってのは、決まってそういう時にちゃんとやって来やがるんだ。


 俺たちは出くわした。


 谷間の向こう側のクソったれ共の中で、一番強えークソったれに。


 兎狩りのローライ。


 犬族の仲間を二人引き連れた、向こう側で一番強い剣士だ。


 俺の同胞たちを、何人つったか……?  


 とにかく、たくさん殺したクソったれだ。


 仲間のソニーとカノンは強かった。


 俺や姉貴ほどじゃあねえが、俺と姉貴の次くらいには強かった。


 それに、いい奴らだった。


 ソニーは一緒に谷底に降りた時、俺によく余った干し肉をくれたし、顔もけっこーイケメンだった。


 カノンは干し肉はくれなかったが、あの女を見てると、なんつーんだ、なんか、心臓が痛いほど早く鳴った。


 俺たちはいつも一緒にいたし、いつも助け合っていた。


 とにかく、俺が友達って呼べるヤツらは、アイツらしかいなかった。


 

 で、兎狩りとカチ合った俺たちはすぐにヤツに飛びかかった。


 先手必勝、犬っころを殺すなら、兎族のスピードが一番効くからだ。


 兎狩りは重心を前方に置く犬族の剣技特有の構えを取った。


 一瞬、兎狩りの直剣がヒラリと翻って月の光を反射した。


 次の瞬間には、カノンの首が斬り飛ばされた。


 兎狩りはその場から一歩も動かず、兎族の速さなんて屁でもねえようにカノンを斬ったんだ。


 血しぶきを撒き散らしながら吹っ飛ぶカノンの顔は、心底驚いたような顔をしていた。


 俺はそれを、美しいと思ってさ。


 今考えると、俺はカノンに惚れてたのかもわかんねー。


 で、それを見たソニーはキレて、叫びながら兎狩りに一直線に走っていった。


 で、あいつも真っ二つにされた。


 人間がココの実みたいに縦にぱかりと割れるところを見たのは、あれが最初で最後だ。


 剣を交えることすらなく、一撃で殺られた。


 俺か?


 俺は逃げたよ。


 ビビって漏らしてた俺を見て、兎狩りのクソったれは『同胞を殺されても恐怖が勝るか? 選ばせてやろう、誇り高く死にたければ来い、死にたくないなら失せろ、腰抜けめ』なんて言いやがった。


 失せろと言われて、俺の闘志は儚く消えた。


 友達を殺られて、俺は逃げたんだ。


 怒りより、恐怖が優った。


 何のことはねえ、本当のクソったれは俺だったってことだ。


 いいぜ、笑えよ。


 その後か?


 無様にも、俺は姉貴に泣きついた。


 姉貴は強かったから。


 俺の何倍も。


 ソニーの何十倍も。


 カノンの何百倍も。


 姉貴は俺を叱って、それから抱きしめてくれた。


 すぐに姉貴は自慢の曲剣を持って谷底に向かった。


 空の三日月は既に小さくなっていた。


 谷底は昼でも薄暗いが、夜はほとんど暗闇だ。


 それでも姉貴はすぐに家を飛び出した。


 その姉貴は、陽が昇る頃には帰ってきた。

 

 俺は心底安心したのを覚えてる。


 姉貴は返り血で真っ赤になっていたから。


 ソニーとカノンの仇は取ってくれたんだと、そう思ったわけだ。


 でも、違った。


 姉貴は兎狩りの仲間二人は仕留めたが、ソニーとカノンの仇のクソったれとは引き分けた。


 で、その日から俺は毎日死ぬんじゃねーかってくらい修練を積んだ。


 苦手だった兎族の格闘術、眠兎みんとも指四本まで使えるようになった。


 その間、姉貴は何度も何度も兎狩りに挑んでは引き分けた。


 姉貴でも倒せない相手だが、俺も眠兎を覚えて一緒に挑めば殺せると思ってた。

 

 そんな日は、一生来ないってことにも気付かずに。



 ある日、姉貴は泣きながら帰ってきた。


 いつもはぷりぷり怒りながら帰ってくるのに、その日の姉貴は泣いていたんだ。


 で、姉貴は言った。


『負けた』


 姉貴が俺に言ったのは、それだけだった。


 負けたのに何で姉貴が生きてるのか、俺は不思議に思った。


 その疑問は、すぐに解消されることになる。


 姉貴は、犬除けのハッセルと謳われた兎族の英雄は、あろうことか兎狩りのローライと婚姻を結んだ。


 ソニーとカノンの仇、俺を腰抜けと呼んだクソったれ、多くの同胞を殺した、兎族の天敵が、他の誰でもない、俺の姉貴とくっついたんだ。


 こんな馬鹿げた話があるか?


 はっ、心底笑えるぜ。


 俺はすぐに谷間を抜けた。


 そこからは傭兵稼業で日銭を稼いだ。


 ヴァレンの戦士はどこに行っても重宝された。


 護衛、暗殺、ゆすり、たかり、魔物狩り。


 何でもやった。


 何でもやってるうちに、何でもできるようになった。


 で、いつの間にか守護者になってたわけだ。


 ここは退屈だが、銭は稼げる。


 銭は好きだ。


 銭がありゃあ、何だってできる。


 何だって出来ても、何だってつまんねーんだがな。


 一生分をここで稼いだら、あー、なんだ、まあ、その後のことはその時考えりゃいい。


 とにかく、俺には守護者の任てのが性に合ってるらしい。


 魔物は俺を腰抜けとは呼ばないしな。


 風の噂で、姉貴も兎狩りも殺されたと聞いた。


 そん時は、俺にとっちゃあどうでも良いと思ってた。


 で、今。


 俺の目の前に姉貴と兎狩りの娘がいる」


「……それを私に聞かせて、御身は何がしたいのだ?」


 姉貴の娘が言った。


 俺は全てを口に出していたらしい。


 え、マジで?


 すげえ恥ずかしいんだが!


「兎の耳を持つ故、ヴァレンの抜け者だとは分かっていたが、御身は我が叔父御であったのか……」


 神妙な面持ちで言う姪っ子。


「あ……いや……」


 俺のセリフを待つことなく、姪っ子は言った。


「で……? だから、何だ? 助命の嘆願か? 死にたくなければ、主様に助命を乞えば良い。私は御身が誰であろうと、主様が殺せと仰せなら殺すし、生かせと仰せなら生かすだけだ。私は主様から『頑張って』との命を受けている。それはつまり叔父御、御身を殺せということだ。何故なら、僭越ながら叔父御程度の使い手であれば無力化するのに私は『頑張る』必要などないからだ。私の使命は何も考えずに主様の『頑張って』を遂行するのみ。端的に言えば、叔父御は今日この場で死ぬ」


「……あぁ?」


 カチンときた。


 姪っ子の言葉にではない。


 この姪っ子の一本芯の通ったような目にだ。


 兎狩りの目にそっくりな、この目。


「御身の昔話は聞いてやったぞ。そして、一つ分かったことがある。やはり御身は、我が父の言う通り腰抜けだ」

 

「あぁ!?」


「保留する人間はいつまでも保留し続ける。主様のお言葉だ、含蓄があろう? まるで御身そのものではないか、御身は友の仇を討ちたければ父に真っ向から挑むべきだったのだ。母を頼らず、自分の力で。そんな保留癖のある御身にひとつ、朗報だ。……父と母が死んだのは私のせいだ。私のせいで、御身の姉は死んだのだ」


「……何が言いたい?」


「御身の仇は、今、目の前にいるということだ。私は御身の姉の仇であり、御身の友の仇の子供だ」


「……」


「私に挑めば、これより腰抜けとは呼ばれぬだろう」


 俺は馬鹿だからわからねえ。


 姪っ子は俺の日銭のためにここで消えてもらう。


 それはそうなんだが、何故俺が姪っ子に挑むと腰抜けじゃあなくなるんだ?


「御身がその保留癖と共に朽ちようと言うのなら、止めはせぬ。止めはせぬが、御身はそれで良いのか?」


 わからねえ。


 わからねえが、俺の心の中の霧に光が差したような気がする。


「俺がお前を殺せば、この心のモヤモヤは晴れると、そう言いてえのか?」


「さあな、だが、少なくとも御身がこのまま腰抜けとして死ぬことはないだろう」


 俺の中で、何かが弾けた。


 俺は、ウダウダ言いながら友を見捨てた。


 俺は、ウダウダ言いながら姉を見捨てた。


 銭じゃ満たせない、不満の正体は、コレか。


「……俺は──」


 俺は腰に穿いた曲剣を引き抜き、姪っ子に斬り込む。


「──腰抜けじゃねえ!!!!」


 あの時、披露できなかった兎族の剣技。


 俺の渾身の一振り。


 姪っ子はまるで姉貴のような、小鳥が戯れ合うような軽やかさで俺の斬撃をいなす。


「それならば御身の剣技で証明してみせよ、この程度では、私の首には届かぬぞ!」


 まったく、こまっしゃくれた姪っ子だ。


 コイツは俺が繰り出すヴァレンの剣技を全て古臭い曲剣の切っ先で防ぐ。


 本当に、余裕のようだ。


 俺は姉貴より強くなったはずなのに、どんな強者も翻弄してきた剣技なのに。


 鍔迫り合いすらさせて貰えない。


 兎族は素早いが、姪っ子はその速度にぴったりと合わせてくる。


 まるで俺の攻撃が遅すぎるとばかりに、悠然と。


 犬族の持つ速度じゃない。


 兎族のそれすら超越している。


 姉貴より、この姪っ子は速い。


「遅すぎるぞ、飛燕スピッツすら必要ないな」


 姪っ子は言う。


 俺はテンポを上げる。


 息は上がるが、この姪っ子を上回るには背に腹は変えられねえ。


「……ほう? 速度を上げたか。だが──」


 俺の斬撃をいなす姪っ子が持つ曲剣の切っ先がブレて視界から消える。


「──それでも遅い」


 俺の攻撃にカウンター。


 不意に訪れた急所への攻撃。


 俺はそれを受けずに距離を取って躱す。


 姪っ子が一振りした曲剣は空振りに終わる。


 遅れて、剣が空を斬る音が六回響いた。


 ……あの一瞬で六回切ったのか?


 残りの五回は全く見えなかった。


「速すぎるだろ……」


 俺の口からそんな言葉が出る。


「……? そうか? 手加減したつもりなのだがな」


 姪っ子の初めての攻撃を見て、俺は確信する。


 速いが、一撃の重さは兎狩りほどじゃない。


 姪っ子は姉貴からスピードを受け継いだが、兎狩りからパワーは受け継がなかったらしい。


 それなら、腕一本失う覚悟さえあれば首を取れる。


「もういい……次で終わりにする」


 俺はそう言って、重心を後ろに乗せる。


 兎族の剣術、最速の剣技。


 電光石火の早斬りだ。


 今の俺なら、姉貴以上の速度を出せる。


 五体満足じゃ勝てねえが、命あっての物種だ。


 姪っ子は「全霊でこい。……後悔がないようにな」なんて、俺と同じ構えを取った。


 兎族の剣術を兎族より速く繰り出す犬族。


 厄介なんてもんじゃねえ。


 俺は踏み込んで剣を滑らせ、姪っ子の首筋に必殺の一撃を送り込む。


 一瞬、姪っ子の曲剣がヒラリと翻って陽の光を反射した。


 姉貴そっくりの構えから、兎狩りそっくりの技が出てきた。


 カノンの首をふっ飛ばした、兎狩りの剛剣。


 その剣速は、間違いなく兎狩りの数倍はあった。


 俺が理解できたのは、それだけだった。


 俺の首筋に熱が走る。


 熱い、と思う間も無く、俺は飛んでいた。


 自分の身に何が起こったのか理解できないまま、俺は空中で首の付いていない自分の身体がソニーみたいに真っ二つに割れて崩れるのを見ていた。


 カノンみたいに空を飛ぶ俺の耳に、姪っ子の声が響く。


「眠れ、叔父御は誇り高く散った。この戦姫ライカ、貴殿の首級みしるしを我が主様に捧ぐ武勲のひとつに加えよう」


 俺は心底呆れ果てた。


 犬除けと兎狩り、二人合わせたよりこの姪っ子の方が強いじゃねーか。


 それも、圧倒的に。


 最愛の姉貴と、大嫌いな兎狩りの子供。


 俺は姪っ子に斬られた。


 斬られたが、不思議と嫌な気はしない。


 姉貴より強い強者が、兎狩りより強い剛の者が、俺の首を武勲に加えると言った。


 しょんべん漏らして逃げたあの時へし折れたプライドを、俺は少しばかり取り返せたんじゃねえだろうか。


 ソニーとカノンに、少しは面目も立つんじゃねえだろうか。


 そんなことを考えているうちに、俺の意識は暗闇に呑まれた。


 これが、俺の最期。


 全く、人生ってのはふざけてやがる。


 無様だろ?


 クソったれの最期に相応しいだろう?







 いいぜ、笑えよ。

 

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