幕間 戮 愛憎喧嘩噺

 面倒なことになった。


 人間を守るための守護者が、人間と戦う羽目になるなんて、神はお赦しになるだろうか……?


 まあ、どーでもいっか。


 わたしが適当に相手に選んだ彼女は妙な出立ちだった。


 褐色のエルフ、すなわちダークエルフを見るのは珍しいが、妙、と言うのは彼女の種族のことではない。


 その褐色の肌に不釣り合いなほど美しい白金の長髪は腰まで垂れ、長い前髪の奥にある黒い瞳は虚ろに光を呑み込む。


 長身で手足も長いが、酷い猫背のせいでその長所は台無しだ。


 貧者のような立ち振る舞いとは対照的な、高価な素材のメイド服。


 本来なら美しかったであろうその貌。


 その麗しさを掻き消すほどの大きな傷がある口。


 頬まで裂けたその口は、太い革紐で縫い合わされていた。


「むー」


 と、彼女は唸った。


 まるで退屈だとでも言いたげな表情だ。


 そんな彼女の仕草に、不思議とわたしは同意した。


 そう。


 退屈だ。


 退屈なのだ。


 この世は、退屈に過ぎる。


 皇国に生まれたわたしが臥竜門に送られてから、それはずっとわたしの頭を支配してきた感情だ。


 わたしは臥竜門で来る日も来る日も魔物を退治するこの人生に、飽き飽きしている。


 女神信仰における最も重要な教義である人類の守護。


 そのためにこそ、わたしは臥竜門で人類の盾としてこの力を奮っているが、それでもこの感情は溢れて止まらない。


 女神の試練はかくも険しきものかと、わたしは常々思っている。


「わたしたち、同類なのかもね」


 わたしは意図せず、対峙する喋れない彼女に告げた。


 当然、ダークエルフの彼女は答えない。


 ただ、猫背の彼女はゆらりと身を翻して拳をわたしに向けて突き出した。


 まるで空気を殴るようなその仕草は、殺気に満ち溢れていた。


「そうね、ここから先は、拳で語り合いましょう」


 わたしはそれだけ言って、右足を踏み込んで距離を詰める。


 わたしはレイセフ・セイレ。


 わたしは皇国最強の魔戦士。


 魔法を絡めた肉弾戦こそ、最も得意な戦闘スタイル。


 わたしは彼女に突っ込むと同時に、風魔法を唱えた。


 ──魂風の鉤爪ルアフルアフ


 最上級皇国風魔法。


 目に見えない風の刃が、彼女を襲う。


 が、わたしの魔法は彼女の眼前で掻き消えた。


 まるで烈風が突然そよ風に変わったように、わたしの魔法は力を失って消え去った。


 その代わりに、彼女の鋭い拳がわたしの頬を捉えた。


 わたしは衝撃に吹き飛ばされる。


 空中で一回転。


 両足を踏ん張って勢いを殺して体勢を整える。


「むー!」


 彼女の唸りと同時に、追撃が届く。


 両手を組んで振り下ろしてくるダークエルフ。


 わたしも両手を上段に組んで追撃を防ぐ。


 今度は彼女が後方に吹き飛んだ。


 防御と同時に放った右の前蹴りが、彼女の腹を捉えていたのだ。


 この一連のやり取りで、わたしは全てを理解した。


 彼女には、魔法を無効化するスキルが備わっている。


 常時発動型の防御スキルほど厄介なものはない。


 魔導師としてはこれほど苦しい相手はいないが、わたしが彼女の相手でよかった。


 五人の守護者の中でわたしが一番、彼女と相性が良いから。


 わたしは魔法は不得手なのだ。


 本来なら、殴り合いの迫撃こそ、わたしが最も得意とするところ。


 ダークエルフはくるりと後方に回転して着地した。


「……むー」


 なんて声を漏らしながら、わたしに蹴られた腹をさする。


 すぐにわたしを睨み、まるで稲妻のようなステップを踏んで飛び込んでくる。


 わたしは彼女の連打をいなし、躱し、防ぎ、逆に攻撃する。


 彼女はわたしの連打をいなし、躱し、防ぎ、逆に攻撃する。


 一進一退の肉弾戦。


 心が満ちるのを感じた。


 魂が震えるのを感じた。


 わたしは、歓喜していたのだ。


 退屈だった日常に、突如現れた好敵手。


 もう、勝負なんかどうだって良い。


 ただ、久しぶりの殴り合い。


 わたしはひたすら、この状況を楽しんでいる。


 魔物との戦いとは違う、駆け引きの打ち合い。


「楽しいね。わたしたち、相性ばっちりだね」


 わたしは言うが、彼女は答えない。


 わたしが突き出した右の掌底が彼女の頬を捉えた。


 ──入った!


 そう思ったわたしの脳内でピカピカと悦びが明滅する。


 しかし、その歓喜は空振りに終わった。


 わたしの掌底が、彼女の頬を通り抜けた。


 すり抜けた、と言うのが正しいだろうか。


「むー!」


 背後から声。


 同時に霧消する目の前の彼女。


 わたしの背中に衝撃が走る。


 殴られたのだ。


 わたしが地面を転がりながら背後を振り向くと、そこには彼女の姿があった。


 あったが、数がおかしい。


 十人いる。


 比喩ではなく、まるで分裂したかのように、十人のダークエルフがいるのだ。


 遠くで金髪の魔導師とスキンヘッドの大男の声が聞こえる。


「ムウちゃんがいっぱいだあ!」


「あれは……十影と一鬼セレソン。ムウちゃん殿の持つ特別なスキルでありますなあ。自らの分身体を創り出すという、稀有なスキル……」


 わたしはつい感情的になってそちらに向けて叫ぶ。


「つまんなくなるからネタバレやめて!」


 二人は驚いたような顔。


「にしし、モノロイくん、怒られたー!」


「す、すまぬ! ……まさか聴こえておったとは」


 わたしはすぐに意識をムウちゃんと呼ばれたダークエルフの彼女に戻す。


「……素敵」


 わたしはムウちゃんに向けてそんなことを言っていた。


「最高だよ、こんな痺れる戦闘ができるなんて! 愛してるよ、ムウちゃん!」


 わたしから続けて出た言葉は、わたし自身にも意味がわからなかった。


 わからなかったが、これこそがわたしの本心だった。


 涎が出るくらい、この戦闘が楽しい。


 ああ、女神様!


 わたしは試練を乗り越えました!


 これは、きっとそのご褒美なのですね!


 わたしは十人のムウちゃんに突っ込む。


 十の拳がわたしを襲う。


 その全てに、実態があるらしい。


 いや、違う。


 刹那のタイミングだけど、分身の攻撃とインパクトにズレがある。

 

 分身が攻撃をヒットさせる瞬間に本体がわたしに攻撃を当てている?


 見えない衝撃を与えるスキル……?


 エルフの絶影拳シャドウ


 でも、この衝撃はあんなチャチなものじゃない。


 まるで本当に殴られたみたいな衝撃だもの!


 ムウちゃん!


 貴女は一体どれほどの強さを持っているの!?


 それに、賢いなんてものじゃない!


 分身が攻撃しているように見せかけるなんて!


 貴女はきっと、肉弾戦の天才!


 本当は分身に実体はないのに、まるで実体を持つように絶妙なタイミングで見えない攻撃を当ててくる!


 分身体の攻撃に気を取られると全く予想外の方向から攻撃される!


 その時、石ころに躓いたわたしの体勢が崩れる。


 そのおかげでわたしは分身体からの攻撃を躱すことができたが、代わりに右腕に衝撃が走る。


 分身体からの攻撃を受けていない場所である。


 ……あ!?


 わかった!


 そういうことか!


 この攻撃、最初からここにあるんだ!


 なんて言うスキルかはわからないけれど、たぶん衝撃をその場に滞留させるスキル?


 分身でわたしを滞留している衝撃に誘い込んで、それに合わせて分身体が攻撃しているように見せかけてるんだ!


 すごい!


 すごいよ!


 ムウちゃん!


 こんな器用な戦い方ができるなんて!


 わたしだったら絶対に無理!


 ああ、愛されてるんだね、わたし。


 ムウちゃんに、こんなにボロボロにされちゃって!


 すごい!


 すごいよムウちゃん!


 わたしの全身を愛撫するようにムウちゃんの攻撃がわたしを痛めつける。


 わたしはそれらの甘美な痛撃を甘んじてこの身に受け、一人ずつムウちゃんに攻撃を当てて十影と一鬼セレソンによる分身体を消していく。


 わたしの肉体に、ダメージが蓄積する。


 わたしの身体はボロボロだけど、今は楽しさがそれを上回っている。


 最後の一人になったムウちゃんに、遂にわたしの攻撃が届く。


 苦しそうな吐息が彼女から漏れる。


 彼女の拳もわたしを突き放すように当たるが、わたしは喰らいつく。


 ムウちゃんの長い右足から放たれた鞭のような蹴りがわたしの左の頬を捉え、わたしの左足がムウちゃんの右の頬に当たった。


 わたしたちは仲良く反対方向に吹き飛……──







 ──あ、今、一瞬、意識が飛んだ!


 なんて幸せ!


 わたし、死んじゃうよ!?


 こんなに幸せだと、わたし死んじゃうよ!


 ムウちゃん!


 わたし死んじゃうよぉ!


 ムウちゃんはどうかなあ?


 楽しんでくれているかなあ……?


 楽しんでくれているといいなあ……。


 


 血と砂の味が口に広がる。


 わたしはそれを味わいながら立ち上がる。


 折れた奥歯が口の中を転がり、喉の奥に消えていった。


 ムウちゃんは地べたを這いつくばっている。


 奇しくも、最初にムウちゃんが立っていた場所だ。


 わたしに向けて、愛の拳を突き付けた場所。


 満身創痍。


 ボロボロになったムウちゃん。


 わたしの身体も傷だらけだ。


 これは愛だ。


 わたしと貴女の、愛の結晶。


 つまりこれって、セックスだよね。


 わたしと貴女で作り上げた、愛の交わり。


 だからさあ、ムウちゃん。


 最後はちゃんとしなくちゃだよね。


 ちゃんと挿さなきゃ。


 ちゃんと刺さなきゃだよね。


 そして、イカなきゃ。


 そして、逝かなきゃ。


 セックスみたいに。


 ちゃんと。


 トドメを。


 わたしはピクリとも動かないムウちゃんに近づいて、その綺麗な頭を踏み抜いて潰してあげるために右足を上げる。


「……わたしの初めて、ムウちゃんにあげるね。……イク時は、一緒だよ?」


 ムウちゃんは力を振り絞るように、ゆっくりと仰向けになってわたしを見上げる。


 ムウちゃんの口の革紐は、切れて解けていた。


 血みどろのムウちゃんの口の中で舌が動く。


 誰かに切られたのだろうか?


 その舌は不自然に短い。


「……エ、変態野郎エンアイアオー


 舌足らずな声がわたしの耳に入る。


 ムウちゃんが喋った!


 わたしの心に愉悦が満ちる。


 ムウちゃんの綺麗なお顔を、踏み抜く。


 わたしの右足がムウちゃんに届く寸前で、顎に衝撃が走り、わたしは吹き飛ばされた。


 これが、愛の衝撃ね!


 わたしは何故か得心した。


 わたしの後頭部は地面に打ちつけられた。


 わたしの意識に黒い暗幕がかかる直前、さっきのスキンヘッドの声が届いた。


「あれは! 徒手翔拳エアコンタクトによる衝撃!! その場に攻撃を留まらせるスキルであるな! ムウちゃん殿は戦闘に入る前からあの場所に罠を仕掛けておったわけか! 何という気転! まさに賢者である!!」


 ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ五月蝿いハゲだ。


 一体、誰に向けて解説してるんだ?


 変態かよ、てめえは?


 わたしは意識を手放す寸前で、こんなことを思った。




 死ね、変態野郎。

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