第270話 シンパシー

 三日三晩、馬車に揺られた。


 僕たちを運ぶ二台の馬車は森の中に造られた街道を走る。


 尻は痛くなったが、双子に挟まれた僕にとっては至福の時間でもある。


 正午と日暮れの、日に二回の休息を経て、僕たちはやっとカナン大河に辿り着いた。


 馬車の窓を覗き込んだイズリーが「うわあ、水だあ。水がたくさんだあ……」なんて、生まれて初めて海を見た山岳民族みたいな感嘆の声を上げていた。


 当然、彼女が見たのは恐ろしくデカい川である。


 向こう岸が見えないほどの河幅。


 時折渦が巻いているが、流れ自体は穏やかだ。


 これなら船でも渡河できそうである。


「臥竜門なんか通らなくてもさ、船で渡れば良くないか?」


「河に棲息する魔物もおりますから、現実的な手段とは……。リバーザンという魔物など、船を丸ごと呑み込んだという伝承も残るくらいですわ」


 僕の素人質問に、向かいに座ったミリアが答えた。


「水上で襲われては逃げ場もないか。船を丸呑みってのは、一体どんなデカさの魔物なんだ」


「一説には平たい身体に四つの手足でトカゲのような姿をしているそうですわ。その巨大な口には大きな牙が並び、たまに河の水面に目と鼻だけを出すこともあるそうです。私も、一度は拝見してみたいものですわ」


 ……ワニかなあ。


 ものすごーく、ワニっぽい。


 魔物は魔王のスキルで作られる、というのが僕やトークディアの推測である。


 だとすれば、ワニや蛇の魔物がいてもおかしくはない。


 そうなると、一つ興味がある。


「……最強の魔物は何て魔物だ? 深淵エンシェントか?」


 エンシェントは素材としてキノコを落とした。


 つまり、屍使いの害悪である深淵エンシェントはキノコの魔物のということになるわけだ。


 エンシェントは強かったが、最強の魔物がキノコってのは、そりゃ異世界としてどーなんだと、僕は思うのである。


 川沿いを走る馬車の窓から吹く風に紺色の髪を揺らしながら、ミリアは興奮した様子で目をキラキラさせる。


「深淵エンシェントは北方の人類に最も多大な被害を齎した魔物とされておりますわ! しかし、それは突如北方に現れた深淵エンシェントという個体が齎した被害です。つまり、魔物同士で戦った時にエンシェントが最強かと問われれば、それはわかりませんわね。ハティナさんは、どうお考えですの?」


 ミリアがハティナに水を向ける。


「……エンシェントは死者を使役するからこそ厄介だった。……人間は集団戦法で戦うから、余計に。……魔物が相手だとするなら、エンシェントはそこまで強い魔物とは言えない」

 

「その通りですわね。かつて聖女メディア・コルキスが率いた南伐軍も、エンシェントとは出会わなかったそうです。奈落アビスやデュラハンあるいはオークなどからも被害を受けたようですが、南伐軍を事実上壊滅させた魔物は全く別の魔物だそうですわ」


 ミリアが言うに、アビスやエンシェントよりも厄介な魔物がいるらしい。


「……ベヘルマス」


 ハティナから出た聞きなれない単語に、ミリアは笑顔で頷く。


「ですわね! おそらく、人類が出会った中で史上最強の魔物は『貪食』ベヘルマスですわ」


 魔物の話になるとテンションが上がるのはミリアの悪癖の一つだが、ベヘルマスという魔物には一層の思い入れがあるらしい。


「ベヘルマスってのは、どんな魔物だ?」


「ご主人様、ベヘルマスは山のように巨大な身体にそれぞれ二本の対になった長い鼻と長い尻尾、六本の太い脚を持つ魔物だと伝わっております。南方の密林を徘徊し、かなり高い知性を持っているそうですわ」


 長い鼻ということは、象か何かの魔物だろうか。


 僕の想像の中のベヘルマスは、二本の鼻を器用に動かす大きな象のような姿だ。


 とにかく、南方には危険な魔物が多くいることはわかった。


 とは言え、僕、ギレン、ライカ、ニコ、ムウちゃんはジョブの特性として魔物特効を持っている。


 魔物に対して遅れを取るとも思えないし、心配する必要もないだろう。


 今考えるべきは臥竜門。


 その攻略だ。


 相手がどんな態度で僕たちに臨むのかはわからない。


 しかし、そこにいる五人の魔導師は世界中から選ばれた強者揃い。


 結局、僕が目指す野望の障害はいつだって人間なのだ。


 人間のためになることを成すのに、そこには常に人間の邪魔だてが入る。


 ……人間。


 知性ある生物。


 欲望に塗れた生物。


 僕は少しだけ、南方の魔王にシンパシーを感じた。

 

 

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