第268話 一歩

「主さま、準備万端、整ってございます」


 メイド服に身を包んだニコが言う。


 僕はベッドから這い出て、雑な動作で寝衣を自分の身体からひっぺがして、ニコが用意したシャツに手を掛ける。


 ギレンにフーブランシュを貰ってから、二日目の朝。


 あの杖で確かめたのは火弾スター 宵闇の天翼スカイハイだけだ。


 他の魔法は危なっかしくて使用を躊躇ってしまった。


 だってそうだろ?


 例えば徒花影縫ブルームスティッチ沈痛の彼岸ペインディスティネーションを起動してみろ。


 こんどこそモノロイが致命傷を負う公算大だ。


 それに、死神のローブみたいになってしまった宵闇の天翼スカイハイの成れの果てから推測するに、闇の王冠を具現化して未来を予知する魔王の鬼謀シャーロックも、スキル自身に自らを操らせる冥府の魔導コールオブサタンも、病的な中二病患者がデザインした『ぼくの考えたさいきょーの悪役』みたいな格好にさせられかねないし、それをイズリーに「ぷぷぷ、シャルル、ダサーい」なんて赤いほっぺを膨らませながら言われかねない。



 とにかく、僕とイズリーとライカでフーブランシュの具合をしこたま試し、モノロイが割と頻繁にとばっちりを受けていたその間、ニコは南方入りのためにあれこれ働いてくれていた。


「もう、エルフ国に用はないよな?」


「御意」


「他のみんなは?」


「万全にございます」


「流石はニコだ。しかし、……随分早いな、お前はちゃんと寝ているのか?」


 エルフ国とも帝国とも話をつけた。


 あとはカナン大河を渡って南方入りするだけだ。


 その準備を二日で終えたニコの働きは、仕事が早いというレベルではない。


「お心遣い、感謝いたします。それでも、遅い方です。大陸を南北に隔てる臥竜門の守護者との交渉が失敗に終わりましたから」


 臥竜門。


 ギレンも話していた、南方から押し寄せる魔物を防ぐために造られた大門。


 竜南方から来る異形の侵入者の悉くを、さながら地に臥せる竜のように阻むことから、そう呼ばれているらしい。


 古来よりその門の守護者は北方諸国共栄会議の管轄外となっている。


 かつて最初の聖女メディア・コルギスを擁してカナン大河を超えて魔王討伐に向かった北方大陸諸国の連合軍は、散々に打ち負かされた。


 それが原因で北方では大国が倒れ小国が乱立し現在の勢力図を形成するまで血で血を洗う乱世を生んだ。


 その経験から、人類を守備する臥竜門とその守護者は北方諸国共栄会議からは完全に独立した存在として設置された。


 人類が、同じ過ちを繰り返さないように。


「保留癖、ここに極まるだな」


 考えながら、着替えを済ませた僕の呟きにニコが反応する。


「御意。しかし、同情を禁じ得ません。主さまという英雄を得られなかった、かつての人類には」


「そうか? 僕より強い魔導師は、これまで存在したはずだ。ジジイなんかはいい例だろ」


「パラケストさまは個体としての強さは持っていても、強い仲間に恵まれなかったのです。だからこそ、女神にも選ばれませんでした」


 ニコは確信している。


 僕が女神に会い、選ばれたことを。


「女神は、もう少し人選に気をつけるべきだったと思うけどな」


「いえ、主さまは現にこうして魔王討伐に邁進しておられます。女神の見る目は確かです。何故なら、主さまを選んだのですから」


 火照ったように頬を紅くして扇情的な目線を僕に向けるニコ。


「僕の動機は、不純なものだがな。なにせ、僕は人類の繁栄なんてどうでもいいと考えている」


 ハティナ。


 僕が戦う理由はただ一つだ。


 ハティナは僕の夢だ。


 僕の誇りで、僕の全て。


 人類の繁栄、世界の平和。


 そんなもん、僕からしたら全くの無価値だ。


 ハティナの、興味がある時にやけに早口になる癖、下手くそな笑い方、流星の尻尾のような鮮やかな銀髪、無表情なのに嬉しくなると少し上がる眉。


 そっちの方が、僕にとってはよっぽど価値がある。


「主さま、それは女神も同じなのではないでしょうか?」


「どういうことだ?」


「魔王が邪魔なら、自ら顕現して魔王を屠れば済むはずです。奥方さまも、おそらくそう仰るかと」


「……確かにな」


 あの女神が僕を選んだ時、ひどく面倒くさそうにしていた。


 女神の本心は、ニコの言うように人類などどうでも良かったのかも知れない。

 

 そして、僕もどうでも良かったんだ。


 自分が死んだことを真っ先に受け入れたからこそ、あの時僕が選ばれた。


 僕は自分の生死など、心底どうでも良かった。


「固執した正義感ほどの害悪はありません。ですから、主さまが選ばれたのです」


 ニコの言葉は僕の中に自然と入ってきた。


 野望に固執することが悪いことだとは思わない。


 しかし己の信条に固執した時、人は化物になる。


 それは魔物よりも厄介で、魔法で滅ぼすこともできない。


 かつてのギレンのように。


 正義の裏側に悪が潜んでいることに、気付けない。


「……かもな」


「かも、ではございません。わたくしには確信があるのでございます。他者の宗教を否定せず、他者の生まれを否定せず、他者の過去を否定せず、他者の信条を否定しない主さまだからこそ、女神に選ばれ、そして、わたくしの心も……」


 ニコは珍しく語気を強めたが、そこまで言って両手で顔を隠した。


 照れているのだろうか。


 ニコがこんな仕草をするのは初めて見た。


「ニコ……?」


「な、なんでもございません。……ただ、そのう、わたくしも、お慕い申しておるのです。主さまのことを……」


 お慕い、とはどういうことなのだろうか?


 ニコが僕を慕ってついてきてくれていることは、当然認識しているが。


「……? ああ、ありがとう! 僕も、ニコのことは大切に思っているよ。……ニコがいなかったらと思うとゾッとするぜ。ここまで来るのに、どれだけの遠回りをすることになったか」


「主さま! そ、そ、そういう意味ではございません! ……でも、今はそれでいいです」


 何が言いたいんだ、ニコは?

 

「……?」


「いえ、お気になさらず! それより、旅立ちの準備は整いました。いざ、南方へ!」


 ニコは年相応の少女のように、軽やかなステップを踏みながらそう言って、僕の分の荷物を掴んで部屋の扉を開けた。


 ニコについて部屋を出ると、既にそこには僕の仲間が揃っていた。


「……シャルル、遅い」


「ごめんごめん」


 無表情なハティナ。


「シャルル、ねぼすけだねえ」


「イズリーだって、ライカに起こしてもらったばかりだろ? 寝癖が付いてるぞ」


「はわわ、ニコちゃん! ニコちゃん!」


 イズリーは自分の玩具箱からヘアブラシを出してニコに手渡した。


 ニコは僕の荷物を一旦置いて、「はいはい、こちらにお越しください」なんて言って、イズリーの光の束を集めたような金髪をくしけずる。


「ご主人様、このミリア・ワンスブルーも当然お供いたしますわ。遂に、ご主人様が悲願を成就させると思うと、わたくし……、下着がいくつあっても足りません!」


「……そ、そうか」


 未だにミリアとの距離感が掴めない。


 それは僕にとって数少ない悩みの一つである。


「シャルル殿」


「モノロイ」


「いよいよですな」


「長かったな」


「お供できて光栄です」


「僕も、心強いよ」


 僕とモノロイは頷き合って、固く握手をした。


「シャルル君、議会は終わっていないが、本当に行くんだな」


 長い赤毛を揺らして、アスラが言う。


「アスラ兄さん、こっちの面倒事は任せます」


「やれやれ──」


 アスラは肩をすくめてそこまで言って、一つため息を吐くと僕の目を真っ直ぐに見た。


 射殺すような視線だ。


「──……生きて帰ってくるんだろうな?」


 有無を言わせぬ。


 そんな目だ。


「当然です。あっちの魔王を軽く捻って、凱旋しますよ」


「ふ、ならば良い。こちらは王陛下と私でどうにかしよう」


「ボス、余とアスラにお任せあれ」


 ミキュロスは恭しく頭を下げる。


「王がへりくだるなよ。誰かに見られたらコトだろう?」


 僕の真っ当な指摘に、ミキュロスは首を振った。


「ボスに不遜な態度を取る? いくら余が王とて、それは命知らずかただの馬鹿ですかな」


 ミキュロスは大きな鷲鼻を掻いて笑った。


 アスラはそれんなミキュロスに「やれやれ」なんてまた肩をすくめ、一方でライカは「……ほう、御身もなかなか解ってきたではないか」などと感心していた。


 ライカに、お前はどの立場なんだとツッコミを入れたくなるほどのドヤ顔だった。


 思えば、ミキュロスとの付き合いも長い。


 最初は本当にぶち殺そうかと思うほどだったが、今では二人で祖国を盗んだ相棒だ。


 敵が味方になるってのはアニメや小説じゃよくあることだが、実際にやってみると不思議なカタルシスがある。


「じゃ、行くから。……そうだ、僕がいない間、何かあれば父と祖父を頼ってくれ。魔王の尖兵ベリアルの力が必要なら……──」


 僕がニコに目線を移すと、彼女はイズリーの髪をとかす手を止めて「王都に八黙のマーラインが戻っているはずです」と言った。


「──だ、そうだ。マーラインは賢いし使えるヤツだ、何かあれば彼に」


「ボスの仰せのままに」


 再びミキュロスは深く頭を下げた。


「むー」


 ニコとお揃いのメイド服を着たムウちゃんが、ミキュロスとアスラを交互に見て声を漏らした。


「……?」


 頭に疑問符を浮かべた僕に対して、すかさずニコが通訳する。


「ダークエルフのこと、くれぐれも頼むと申しております」


「無論、ボスの庇護のもとに入ったからには、余が王権に賭けて彼らの処遇は安堵するかな」


「むうー、むう」


 満足気な表情のムウちゃんは僕に何かを伝えて宿舎の扉を開けた。


 ニコはくすりと笑って、それを翻訳する。


「とっとと行って倒そう……だそうです」


 ライカは強く頷いて同意した。


「ふん、ムウの割には道理に適った物言いだ。主様の覇道の前に、南方の魔王は木っ端微塵に消し飛ぶだろう。さあ、主様、参りましょう」


 ライカは僕の目をまっすぐに見て、剣をカチリと鳴らした。


 僕たちは魔王討伐への第一歩を、ようやく踏み出した。

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