第266話 火の枝、あるいは龍の延髄

 ユグドラシルからほど近い森の中。


 地獄の窯の蓋をぶち破るように黒炎が爆ぜ、轟音が鳴り響き、烈風が吹き荒れる。


 漆黒の炎は森の木々を焼き払い、その中心にいた魔物は素材も残さず消し炭と化した。


 爆心地に残る焦土だけが、放たれた魔法の威力を物語っている。


「こ、この威力は……」


 モノロイが腰を抜かしている。


 僕たちは魔物狩りに来ていた。


 イズリー、モノロイ、ライカ、そして僕の四人だ。


 ハティナはエルフの古書に夢中だし、ミリアはミキュロスやアスラと軍の再編に関する話し合い、ニコには他国との折衝と僕の南方入りのための下準備を任せていた。


 ギレンから譲られたフーブランシュの試し撃ちに森に出たところ、幸いにも熊の魔物、ホーンベアと遭遇した。


 僕は真紅に染まるフーブランシュを腰から引き抜き、火弾スター を放った。


 魔力をゴッソリ抜かれたのが分かった。


 次の瞬間、フーブランシュの先端から黒い火の玉が飛び、魔物を周囲の森ごと消し飛ばしたのだ。


 思えば、トークディア老師の修行は火弾スター の的当てだった。


 僕は三歳でこの魔法を教わり、それから5年は火弾スター のみを撃ち続けたのだ。


 つまり、火弾スター は僕が人生で最も数多く撃った魔法だ。


 それだけの数を撃った僕の火弾スター の色が、黒かったことは一度もない。


「……やばくね?」


 呟いた僕に、モノロイは「人間の放つ魔法の域を超越しておりますな……」と、目を白黒させながら答えた。


「すごーい! 黒かった! あたしもやりたい! あたしもやりたい!! あたしにも貸して! あたしはねえ、あたしはねえ、金ピカの石礫ストーン を撃つ!」


 そう言いながら、イズリーが僕の元に駆けてくる。


 僕は半ば放心状態のまま、火山から流れ出た溶岩のように深紅に明滅するフーブランシュをイズリーに手渡す。


「よーし! ……あれ?」


 イズリーに手渡したフーブランシュは、まるで生気を失ったように枯れ枝のような色合いに変わった。


「……ど、どうした?」


 僕の問いに、イズリーはしょんぼりした様子で答える。


「……この子、シャルルがいいみたい」


 イズリーがいくら魔力を込めても、フーブランシュは不貞腐れた子供のようにうんともすんとも言わなくなった。


「……ギレンから貰ってすぐの時は、イズリーが持つと金色に変わっていたような」


 僕は首を捻る。


「良い武具は主を選ぶと申しますし、そのワンドがイズリー様よりも主様を選んだということでは……」


 ライカは顎に手を当てながら言った。


「あたしから魔力は吸うのに……。はあ、残念だなあ、金ピカの石礫ストーン を二個撃ってさ、『キンタマ』ってやりたかったのに……。王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズのみんなに絶対ウケると思ったのになあ。きっとガルドレスなんかは笑いすぎてまた鼻血をばーって出してただろうなあ。タグライトくんは『ですよ! 姉御!』って怒るかもしれないけど!」


 貴族のご令嬢の口からキンタマという単語が飛び出たことはおいおい問い詰めるし、イズリーの穢れなき感性に下ネタを教えた王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズのゴロツキ共の粛正は後にするとして、とにかく、イズリーは何度か呪文を唱えてワンドを振ったが、フーブランシュは沈黙を保ったままなのだった。


 しまいには諦めて、彼女は僕にフーブランシュを返した。


 僕の手元に戻ったフーブランシュは、息を吹き返したようにまた赤く染まった。


「……持ち主を選ぶ武器、ですか。まるで生きているかのようですなあ」


 モノロイは遠巻きにフーブランシュを見つめながら、小声で「初級魔法にあれほどの高威力を付与するワンド……。もしもイズリー殿が主となっていたら、今ごろ我が身は……」などと冷や汗を流していた。


 同時に、僕も胸を撫で下ろす。


 確かに、モノロイの言う「もしも」があったとして、最初にイズリーの実験台にされていたのはホーンベアではなくモノロイだっただろう。


 大事な仲間が消し炭にならなくて良かった。


 あるいは金色の石礫ストーン を二つぶつけられて四つの金玉を持つ性欲の化身のような無残な姿に変えられずに済んで良かった。


「シャルルー、火弾スター がさ、黒くなったってことはさあ──」


 人差し指を顎に当てながら、イズリーが唐突にそんなことを言った。


「ああ、真っ黒だったな」


 僕は何の気なしに答える。


「──でしょでしょ? じゃあさ、闇魔法はさ、白くなんのかなあ?」


「闇魔法が白く……?」


 ならない気がする。


 重力という性質上、色が変わることは……ないと思うが、どうだろうか?


 僕は頭の中で考えを巡らせる。


 試し撃ちした感じだと、フーブランシュの特性は持ち主からその魔法の起動に必要な魔力の数倍の量を引き出す代わりに、通常の十倍を超える規模の魔法を出力するという、まるでテコの原理のようなワンドだ。


 闇魔法の威力は変わらないまでも、効果の規模は変わるだろう。


「……何か、起動してみるか」


 僕の呟きに、イズリーは飛び跳ねて喜ぶ。


「やろうやろう! あたし、アレがいい! 羽のヤツ!」


 彼女の言う「羽のヤツ」とは宵闇の天翼スカイハイのことだろう。


 例えば極小のブラックホールを生み出して対象を虚空に吸い込む沈痛の彼岸ペインディスティネーションだったら運悪く巻き込まれたモノロイが吸い込まれてこの世界からgood-byeグッバイしてしまう可能性があるが、自分に翼を生やす宵闇の天翼スカイハイはカウンター型の魔法に近いので安全性は高いだろう。


 僕はリアルタイムでジリジリと僕の魔力を吸い取っているフーブランシュを握る手に力を込める。


 沈黙は銀サイレンスシルバーが空気を読んだように僕の心の中で宣告する。


 ──宵闇の天翼スカイハイ


 ──君臨型レインモード、起動


 今なにか付け足さなかった!?


 沈黙は銀サイレンスシルバーへの咄嗟のツッコミなど無視するように、僕の両肩に闇の魔力が集中する。


 漆黒の翼は、空気を振動させながら開いた。


 その翼長は6メートルはある。


 ソフィーで起動した宵闇の天翼スカイハイはおおよそ3メートルほどだったことを考えると、倍の大きさだ。


 これならマジでお空も飛べちゃいそうである。


 絶対に挑戦しないけど……。


 着地をミスって骨折するなんてのは、人生のイベントとして一度でもあれば充分だし、むしろ一度でもあるのはそこそこ大きな問題だ。


 しかし、宵闇の天翼スカイハイの変貌はそれだけではなかった。


 肩甲骨の辺りから飛び出た蝙蝠のような翼とは別に、背中と腰からも翼が生えたのだ。


 六枚羽。


 悪魔のような翼が天使と同じ枚数出てくる状況に、僕は困惑しイズリーは飛び跳ねて喜ぶ。


 すると、背中と腰の四枚の翼は包み込むように僕の身体に密着して変形した。


「うおおおおー! すごーい! すごー……?」


 テンションの針が振り切れていたイズリーの語尾が疑問符に変わる。


 四枚の翼はフード付きのポンチョのように僕の身体をすっぽりと覆い隠した。


 痛んで裾がギザギザになった黒いローブのように、僕を包んだ翼──だった物──がゆらゆらと揺れる。


「こりゃあ……死神みたいだな」


 僕は宵闇の天翼スカイハイが創り出した中学二年生のみが好みそうな前衛的ファッションセンスに項垂れる。


「んー……ダサい」


 ボソッと呟くイズリー。


 サクッと傷つく僕。


「主様! なんと神々しいお姿に! やはり、その黒衣にも魔力吸収の権能があるのでしょうか?」


 ライカは中二気質らしい。


僕は文化祭の出し物で無理矢理王子様の格好をさせられた時のような気恥ずかしさを隠しながら「……たぶん」と呟く。


 この格好はダサいが、フーブランシュを介しての宵闇の天翼スカイハイだ。


 しかも君臨型レインモードなんていう、日曜の朝から悪の怪人をやっつけるために奔走するお面を付けたバイク乗りの別形態みたいな名前まで付いている。


 魔力の吸収以外にも、もしかしたら何かあるかもしれない。


「シャルル殿……、なりませぬぞ」


 何を悟ったのか、モノロイが首を振る。


「……?」


 意味がわからない僕の一瞬の出遅れを、イズリーが見逃すはずもなかった。


「試そう! よーし! あたしの魔法を受けてみろ! イズリーが詠う。空に高き雷雲よ、地に深き熱血よ、天地繋ぐ震霆となりて我が慈悲を示せ。天上天下これ一なり。一天四海これ一なり。三千世界これ一なり。森羅万象これ一なり。蝙蝠の同胞は夜空を駆け、雨降れば地を這う。蝙蝠の同胞は逆位で眠り、深き夜闇でこそ光見る。大地を切り裂き蒼天を穿ち、一切合切、全を繋ぎ一とせん。──震霆の慈悲パラケストマーシー!」


 言うが早いか、イズリーは詠唱をすぐさま終えて魔法の起動に入った。


 しかも大技中の大技、震霆の慈悲パラケストマーシー


 イズリーは地面を素手で思い切り殴りつけた。


 危機を悟ったライカがすぐさま飛び退く。


 そして、それより遥か遠くにすごいスピードで遁走しているモノロイの背中が見えた。


 大きな身体を揺らしながら、ウサイン・ボルトもびっくりな綺麗なフォームで森を走り抜ける親友の背中。


「──そういうことか!」


 僕は光始めた地面の上で一人、得心する。


 モノロイの「なりませぬぞ」は、そういう意味だったのだ。


 新型宵闇の天翼スカイハイを試そうとすれば、誰かが僕に攻撃魔法を撃つ必要があるわけで、そうなれば必ずイズリーがはしゃぐ。


 いや、はっちゃける。


「うわああああああああああああああああああ!!」


 不意に首筋に突きつけられた死神の鎌に恐怖するように、僕は叫んだ。


 叫んだが、震霆の慈悲パラケストマーシーの天に伸びる雷が僕を包むことはなかった。


 代わりに、なぜか遠くに走り去っていたモノロイの背中が閃光に包まれ、彼は花火のように打ち上がり、遅れて轟音が炸裂した。


 森を吹き抜ける風と共に、「なぜ我までえええええ!」という絶叫が聞こえた。


「……」


「……」


「……」


 僕とイズリーとライカの間に、微妙な沈黙が流れる。


 沈黙に耐えかねたわけではないだろうが、イズリーは「どゆこと?」などと言いながらコテンと首を傾げる。


「こっちが聞きたいわ!!」


 死神みたいな格好の僕は、フーブランシュで強化された渾身のツッコミを放った。

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