第264話 赤の伝承
「自分が何を言っているのか、わかっているのか?」
長い沈黙の後に僕の口から出たのは、そんな言葉だった。
「なになに? どゆこと?」
イズリーが両手でお菓子を掴んだまま首を傾げた。
「無論、全て理解した上で申しておる」
と、僕の目を真っ直ぐ見つめてギレンは頷く。
「確かに、お前が南方入りに同行すれば帝国は王国に手を出せなくなる。だが本当に解っているか? それは、実質的には王国の……違うな、正確には僕の人質になるってことだ」
ギレンが同行すれば、帝国は王国に侵攻出来なくなる。
もし王国に攻め寄せたとして、南方の僕たちにそれが伝われば、ギレンの身の保証はされないということを意味しているからだ。
だからこそ、僕はこの策を捨てていた。
捨てていたからこそ、獣人国を攻めて橋頭堡を確立するような遠回りをした。
しかし、とうの昔に捨てていた策が、あちらから転がり込んで来た。
世界はやはり、一人の人間で測るには広すぎる。
広すぎるし、複雑すぎる。
「グリムリープ卿、貴殿が天満茸を交渉の材料に持って来ていたならば、余はこのような申し出はしなかったであろうし、逆に余に求めても応じなかったであろう。……貴殿と暴鬼殿の人の良さに当てられたのやも知れぬな」
「最初に言ったが僕はお人好しじゃねえ。……イズリーがそうしたいと言ったから、僕はそうしただけだ。イズリーのしたいこと、やりたいこと、それが僕のしたいこと、やりたいことだからだ。……それだけのことだ、それ以上でも以下でもねえ」
「ふ、やも知れぬな」
ギレンは背後の
「兄弟、こんな夜更けに何用だ?」
デュトワは訝しげな表情で僕に尋ねた。
「デリバリーだよ。クソみたいな見た目のキノコのな」
僕の言葉に、デュトワはハッとしたような表情をしてからギレンを見た。
ギレンがイズリーから譲り受けた天満茸を見せる。
「兄弟、お前……」
今にも泣きそうな顔で、デュトワはギレンからキノコを受け取った。
「デュトワ、これをすぐに父上の元へ」
「御意!」
今にも退室しようとしたデュトワに、ギレンは言葉を続けた。
「それから、フーブランシュを持って参れ」
「は。すぐに」
デュトワはギレンと僕に一礼してから退室し、今度は長方形の小箱を持って部屋に戻って来た。
「陛下、これを。……それから兄弟、あの日お前を逃したこと、俺は間違っていなかったようだ。……この帝国グリムリープが当主、デュトワ・グリムリープ、貴殿に最大の敬意と感謝を捧げる」
デュトワはギレンに小箱を渡し、僕に向き直って深く頭を下げた。
「借りを返したとは思っていないぞ」
僕は言う。
「ふ、お前らしいな。……だが、俺はそこまで強欲じゃないさ」
デュトワは頭を上げてから首を振った。
「グリムリープ卿、これを受け取ってくれ」
今度はギレンが、デュトワから受け取った小箱を僕とギレンの間の机に置いた。
小箱は色とりどりの宝石で華美な装飾が施されている。
この箱だけで、王都に立派な屋敷が建ちそうだ。
僕は何も言わずに小箱の蓋を開ける。
中に、一本の枝が入っていた。
箱の装飾とはあまりにもギャップがある。
長さは30センチほどで、しなやかな鹿の脚のようにねじ曲がった、いわゆる森でイズリーが拾って振り回していそうな枯れ枝である。
先端は細く、雷のようにジグザグを描いた枝には、それまでの持ち主の歴戦を刻んだように傷付いた持ち手が付いている。
「ワンド……なのか?」
僕はまるでワンド職人がデザイニングを放棄したような、あるいは素材の味を活かし過ぎた結果、素材そのままのような状態で完成を迎えてしまったかのような枝をしげしげと見つめて呟いた。
「なになに!? おお! 枝だ!」
イズリーは誰にも何にも構うことなくそのワンドをひょいと摘み上げた。
一転して、乾いた木の色だったワンドが金色に変わる。
「はわわ、色が変わった!」
イズリーは目を輝かせながらしばらく枝を振っていたが、すぐにそれを箱に戻した。
すると、箱に戻された枝は元の枯れ木のような色に戻った。
「こ、この枝……なんか変だ! ちょうど良く無い! それに、なんだろ、なんて言うか、変だ!」
王国きっての枝ソムリエでもあるイズリーのお眼鏡にはかなわなかったらしい。
「ふふふ、暴鬼殿、不思議な感覚であっただろう? それに、色彩の変化……流石は暴鬼殿だな」
ギレンは優しく笑う。
「うん! なんか変! 色も変! あと、持った時も……変!」
イズリーのボキャブラリーの少なさは置いておくとして、僕もこの枝に興味が出てきた。
「僕も持っていいか?」
「無論、余も興味がある。果たしてグリムリープ卿が選ばれるかどうか……」
ギレンは枝に関して何も説明をしない。
初めて子犬を触った赤子が世界の不思議との出会いを果たす姿を見る親のような表情でイズリーを見ていたギレンだったが、僕の申し出に対して彼は一転して含みがある言葉に加えて不敵な笑みを見せる。
僕はイズリーが箱に戻した枝を手に取る。
「これは……」
測らずも、僕の口から驚嘆が溢れる。
僕の手に収まった枝は、まるで
焼かれた炭が燻るような輝きが、ワンドから漏れる。
「ほう……深紅を出したか」
ギレンは得心したように頷く。
「ギレン、何なんだこのワンド。……あ、しかもこれ、マジだ! なんか変だ! 何だこれ! どういうこと!? すげえ! 何だこれ! 変だ! イズリーの言ってる意味が分かった! 変だこれ!」
どうやら僕のボキャブラリーも吹っ飛んだらしい。
このワンド、ただ色が変わるワンドではない。
しかし、この感覚は形容しがたいものがある。
触覚に伝わる感覚は、痛みとくすぐったさに近い。
「それを初めて持った者は、皆そうなる」
「わかるぞシャルル、その気持ち!」
ギレンとデュトワが僕を見て笑う。
「ギレン、このワンドは? 一体、何なんだ?」
尋ねる僕に、ギレンはニヤリと笑って答える。
「銘はフーブランシュ。火の枝、あるいは龍の延髄と呼ばれ、世界の開闢の頃から存在すると伝わるワンドだ。太古の昔南方に一大国家を築いた魔法王ソロモン・ソリデュード、北方女神信仰の開祖ボルヴァ・ヴルボ、三妖仙を率いて獣人族に覇を唱えた獅子王ドロシー・ディレイ、北方エルフの英雄トリス・メギストス、第一次南方開放軍総指揮官にして最初の聖女メディア・コルキス、人類史上最も多くの人間を殺したとされる殺人魔導師キルケ・アポロドロス、傭兵ギルド創始者モルガン・パベレル、当時一介の土豪に過ぎなかった初代リーズヘヴン王を頂いて王国の礎を築いたマーリン・レディレッド、かつて帝国史上最大の反乱を企てた僭帝クリストフリード・マルムガルム。……歴史上に名だたる、その時代を代表する魔導師たちに受け継がれてきたワンドだ」
「やっぱエゲツない代物だったか。……しかし、この感覚は?」
「そのワンドは、持ち主の魔力を勝手に吸うのだよ」
リアルタイムで魔力を吸収されている。
それが、この不思議な感覚の正体らしい。
確かに、微々たるものではあるが魔力の流れを感じる。
「……命を吸っている、という説もある」
「おい!」
僕は叫んでワンドを小箱に戻した。
そんな危険な説があるもんを持たせるんじゃない。
僕の猛烈な抗議の視線に、ギレンは笑って答える。
「そのワンドは曰く付きの代物でな、そのワンドの持ち主は必ず自身の野望を成就させるそうだ。ただし、一度でも戦いに敗れれば持ち主はたちまちそのワンドに呪い殺されるらしい。……そのワンドは持ち主が死ぬと、不思議と次の持ち主に拾われる。そうして、錚々たる魔導師に引き継がれてきたのだ。持ち主のいない状態はまるで枯れ枝のようだが、持ち主と認めればその色を変化させる。色彩は持ち手の人格に左右されるらしい」
「イズリーは金色で、僕は赤か……」
「深紅を出したのは、過去にマーリン・レディレッドただ一人だそうだ。マーリンはクリストフリードに敗北し、フーブランシュを奪われたがな。……どんな曰くがあれど、魔王を打倒するつもりなら必要な物だろう」
かなりオカルトな話ではある。
しかし、それがもし本当なのであれば。
「……僕が負けなきゃいいってことかよ」
魔王を倒す野望の役には、立つかも知れない。
「500年人類を苦しめてきた魔王を相手にするのだ、そのくらいの覚悟は必要であろうよ」
「何でこんなもん持ってんだよ」
「エルフの持つ天満茸との交換に使えるやも知れぬと考えてな。……そのワンドに選ばれた魔導師は、残念ながら今の帝国にはおらぬのもある」
「……? どういうことだよ?」
「最後にそのワンドを持っていたのは、先ほど名を上げた僭帝クリストフリード・マルムガルムだ。クリストフリードは余の祖先でもある。当時の皇帝カマケル・マルムガルムの実弟に当たる人物だからな。……クリストフリードは王国の始祖マーリン・レディレッドを一騎打ちの末に討ち取った魔導師だ」
学園の頃、王国史の授業はほぼサボっていた僕でも、マーリン・レディレッドが帝国との戦争で討死にしていることくらいは知っていた。
その後、帝国は内乱状態になって王国と和平を結び、同盟関係となった。
帝国が一方的に同盟を破棄して攻め込んでくるまでは。
「僕の遠い先祖だ。……マーリンは」
僕の母方の血はレディレッドだ。
そして、その血族の始祖がマーリン・レディレッド。
因果なものである。
「クリストフリードは王国との戦でマーリンを降し、フーブランシュを手に入れた。そして、凱旋後に反乱を起こしたわけだ」
「……」
「クリストフリードの反乱には帝国地方貴族のおよそ半数が呼応した。実質的に帝国の国土の半分を配下に収めたことで、クリストフリードは次代皇帝を僭称した。しかし、彼も身内の裏切りにあって没した。皮肉にも、クリストフリードを裏切ったのは当時のグリムリープ家の当主、アンリ・グリムリープだ。それから、フーブランシュは裏切りを呼ぶ
グリムリープの裏切りはエリファスの一度切りではなかったらしい。
帝国史には詳しくなかったので、その情報は知らなかった。
「あー、ウチの家名が常に裏切り者扱いされる理由がわかった。で、このワンドが持ち主を選ぶってのは?」
「そのワンドで魔法を使うには、ワンドに認められる必要がある。先も述べたが、そのワンドは持ち主によってその色を変える特性を有しておるわけだが、資格のない魔導師が持っても色が変わらぬのだ」
ギレンがデュトワを見やると、デュトワは首を振った。
「ああ、俺も持たせてもらったことがあるが、結果は聞かないでくれ。俺たちその他大勢の魔導師にとっては、そのワンドは魔力だけを吸い取り続ける貧乏神だよ」
デュトワの言葉にギレンは頷く。
「魔法の起動に通常の数倍近い魔力が必要な上に身に付けていれば永続的に魔力を奪われ続ける。その上、才覚のない魔導師はそのワンドに魔力を込めることすら出来ない。……フーブランシュを使いこなせる魔導師には圧倒的な魔力量と魔導師としての技量と才能が求められるわけだ」
使い勝手が良い武器とは、お世辞にも言えないだろう。
魔法戦は手数の多さが勝敗を大きく左右する。
だからこそ、僕の
しかし、そこまで威力が上がるのであれば、僕にとってはこれ以上ない武器になるはずだ。
僕の持つ漆黒のワンド、ソフィーは祖父パラケストがユグドラシルの根から削り出した一品だ。
ソフィーが優等生なら、フーブランシュは問題児である。
ただ、僕は本来ワンドを二本使う。
ヒノキオをハルに与えてしまった今、新たなワンドの必要性は感じていたところである。
「そんなけったいな代物、貰っちゃっていいわけ?」
素朴な疑問。
「演武祭の後に貴殿を殺そうとしたこと、父上の薬となる天満茸を譲ってくれたこと。……その償いと借りは返しておきたいのだ。共に魔王を打倒する仲間となるのに、それだけは避けては通れぬ」
ギレンは真っ直ぐに僕を見る。
僕は無言で、小箱に収まったフーブランシュを腰のベルトに差した。
僕のベルトには既にジジイに貰ったソフィーがあったが、その隣に深紅のワンドが並ぶ。
漆黒のソフィーと深紅のフーブランシュ。
黒と赤の並びは、まるで僕の髪の色を思わせる配色だった。
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