第263話 無理筋

 帝国の宿舎、その客間。


 ランプからはオレンジ色の淡い光が漏れる。


 向かい合った革張りの柔らかなソファの上で、金髪の天使がハイスピードで菓子をポイポイと口に入れる。


 僕の隣に座る天使は歓喜の声を上げる。


「うんまあーい!」


 帝国産の焼き菓子の残滓を頬に付けたまま、イズリーは叫ぶ。


「お気に召したようで良かった。好きなだけ食べるが良い、菓子ならいくらでもある」


 机を挟んで僕たちの向かいに座ったギレンは優しく微笑む。


 ギレンの背後に立つ不死隊サリエラは、僕たちの会話に立ち入る様子もなく、まるで部屋のインテリアの一部のように佇んでいる。


「ギレンくん、良い人なんだねえ」


 イズリーはご機嫌な様子でニコニコしながらお菓子を次々に口に運ぶ。


「ふん、騙されるなよイズリー。そいつは筋金入りのデブ専だぞ」


 僕もギレンの用意した菓子を口に放り込みながら言う。


 クッキーのような焼き菓子だが、確かにコレは美味い。


 だが、菓子が美味いのとコイツがエルフの女性は美しいなどと僕を担いだことは別だ。


 美的感覚などという、無責任な言い訳は通用しない。


 デブの美しさを、僕は生涯認めない。


 僕は相手がどんな宗教を信じようが、どんな野蛮な文明に浴しようが、それを個人の自由として受け入れられるし、例え付き合いの長い友達が『コメディアンから絵本作家にジョブチェンジして「馬鹿がそれっぽいことを言って馬鹿を騙すスタイルのビジネス」を展開するインチキインフルエンサー』のオンラインサロンに入って評価経済社会とかいう全くリアリティも実用性も無い幻想に毒された挙句、飲み会の席で「これからは信用経済の時代だからね、例えばクラウドファンディングは信用を換金する装置だしさ。それで言うと、やはりこれからはお金を稼ぐより信用を稼いでいかないといけないよね」とかなんとか言い始めても、心の中で「お前は自分が何を言ってるかわかってて言葉を発しているのか?」とは思いはするものの、そんな妄言すら個人の自由、個人の主観とカテゴライズできる程度の度量を持っていると自負している。


 しかし、デブは違う。


 もっと言えば、エルフなのにデブなのは絶対に違う。


 せっかくエルフという見目麗しい種族がいるのに、その女性が全員デブとはいかがなものか。


 それでいいのか異世界!




 僕は生涯忘れないだろう。


 ギレンによって僕の夢の一つが打ち砕かれたことを。


 いや、エルフの女性が皆太っていることはギレンのせいではない。


 ないがしかし、僕を一瞬でも担いだことは、やっぱりなんだか許せないのである。


「まだ根に持っておるのか、グリムリープ卿」


「……ふん」


「でもでも、ふとっちょはなかなか死なないからねえ! あたしの隊にもね、アメーショっていう太った猫の獣人がいるんだけど、すーっごくデブでタフなんだ! 顔を本気でぶん殴ってもね、全然へっちゃらなの!」


 楽しそうに語るイズリー。


「イズリーのパンチを受けて無事でいるって? モノロイ並みのタフガイだな、悪魔超人か何かなのかソイツは。そんなやつを側において大丈夫なのか?」


「普通は死んじゃうんだけどね、アメーショは顔の形とか変わっちゃってるんだけどもね、全然へこたれないんだ」


「その人本当に大丈夫なのか!?」


「うん! タグライトくんに聞いたらね、ご褒美なんだって! だから喜んでる!」


「ただのドMじゃねえか!」


「……ふ」


 僕とイズリーの掛け合いに、ギレンから笑みが溢れた。


「愉快だな……。グリムリープ卿、余は貴殿が羨ましい」


「……あ?」


「其方は余を倒す程の能力だけでなく、心底から背を預けられる仲間にも恵まれておる。……本来なら敵である余を助ける余裕があるのも頷けると言うものだ」


「……ギレン、急にどうした? 熱でもあるんじゃないのか」


 ギレンの口から出る台詞とは思えない。


「……ふ、そうやも知れぬな。今宵は余も少々、浮かれておるのやも知れぬ。……それに、イズリー殿には感謝をしても仕切れぬ」


「そうだな、イズリーにだけは感謝しろ」


「うむ」


 父親を救う目算が立ったからだろうか。


 ギレンはとても穏やかな表情を浮かべていた。


「ギレン、聞きたいことがあるんだがいいか?」


「余に答えられることであれば」


「疑問なのは、何故エンシェントの素材がその天満茸かわかったことだ。僕の母方の祖父であるモルドレイ・レディレッド曰く、人類は今まで深淵エンシェントを倒したことはないそうなんだが」


「……ふむ、何から話せば良いか。端的に言えば余の国には腕利きの占い師がおるのだ。……あるいは、預言者と言っても良い。とにかく、その者は『代弁者の悪戯ナビ』と呼ばれるスキルで、未来あるいは過去を覗くことが出来るのだ。余の父が病に臥した時、すぐにその占い師を呼び寄せて父を占わせたのだ」


「その占い師が言ったのか? 『お父上の病はエンシェントが落とす馬の糞で治ります』と?」


「いや、占い師がスキルで覗ける情報はあくまで断片的なものだ。最初に出た情報は『深キ森ヨリ這イ寄ルしかばねノ王ガ醜キ落トシ子、天ヲ満タス星々の如ク病者ヲ照ラシ、ノ御霊ヲ黄泉カラ遠ザケル』だ。ここから、帝国の学者たちの解読で深淵エンシェントの素材だと推測した、『深き森』は国境の樹海を示し、そこにいる『屍の王』と言えば深淵しかいないからな。そして、それまでの実例から代弁者の悪戯ナビの示す『落とし子』と言うワードは魔物の素材であることが解っていたからな。そして『天を満たす星々の如く』と言うワードから天満茸だと当たりをつけた」


「天満茸ってのは有名なのか?」


「天満茸はかつて南方で万能薬とされた茸だそうだ。帝国の薬学史から記載を見つけた。南方が封鎖されてからは、魔王が君臨する前に北方に入った物しかこちらの大陸には存在しない。エルフであれば、持っている可能性があったが、当時はエルフと交渉することは現実的ではなかった」


「だから深淵に対して軍を起こして樹海に展開したわけだな?」


「そういうことだ。結局は貴国の猛将、鉄鎚のモノロイに阻まれたがな……」


「その後は?」


「その占い師がスキルを使えるのは三カ月に一度きり、三度満月を拝まねばならぬ。次にエンシェントの素材に関して占った時には、既に貴様らに深淵が討伐された後であった。その時の占いの結果は『天満あめみたス良薬ハこま穢土えどノ姿ヲ以ツテ金色ノ王母ニ拾ワレル』だ」


「駒? 穢土?」


「馬の糞という意味だ」


「そういう意味か。確かに、まんま馬糞に見えたしなあ。……ん? ……金色の王母?」


「暴鬼殿のことだろう、現に天満茸を拾っておられる。……王母というのは、どういう意味なのかは分からぬが。……余はてっきり、暴鬼殿はミキュロス王と婚姻を結んだものかと思っていたが、どうやらそうではないらしいな」


「……そういう事実はないな」


 イズリーがミキュロスと結婚?


 ないない。


 断固阻止する。


 あんなストーカー野郎と結婚なんて、お父さんは許しません!


 僕の剣呑な雰囲気を悟ったのか、ギレンは咳払いをしてから話題を変えた。


「とにかく、その後の占いで天満茸はエルフ国にあると出た。そして、実際に魔王出現前に北方に持ち込まれた天満茸は確かに存在した。この北方諸国共栄会議に参加したのは、余にとっては父の病を治す天満茸を手に入れるためだ。すぐにエルフに交渉を持ちかけたよ」


「南方不可侵で、手を打ったわけか」


「そういうことだ」


「父親を救うためか」


「無論。しかし、余にもエルフにもその取引を継続する必要はなくなった。プリンシパリア帝の呪いは解け、余は天満茸を手に入れた。……それに、条約にはまだ調印しておらぬ。グリムリープ卿、暴鬼殿、貴殿らには感謝する」


 これは遠回しに、僕の南方入りを認めたということだろうか。


 コイツは嫌がらせでもしてくるかと思ったが、やはり勇者と言うだけあって、そこまで嫌な奴でもないらしい。


「……そうか、なら、もう僕とお前が争い合う必要はないな? 僕が南方の魔王を攻略する間、手出ししてくれなければありがたいんだが」


 そこまで言って初めて、それまで沈黙を保っていたニコの雰囲気が変わったのを感じた。


 そして、僕も同時にハッと気付く。


 ……やらかした。


 マルムガルム帝国は腐っても敵国。

 

 僕は自ら自国の弱みを吐露したことになる。


「油断をしたな、グリムリープ卿」


 ギレンはニヤリと笑う。


 ニコが戦闘モードに入ったのがわかった。


 しかし、ギレンはそんな僕たちの警戒心を解くように、両手を開いて言った。


「攻めぬよ、そのような姑息な手段は講じぬ。演武祭の後に貴殿を襲った余が言っても無意味であろうが、あのことは今では後悔しておるのだ。それに、獣人国の戦役は我ら帝国にそうさせぬための橋頭堡造りのためであろう」


 その通り、だが、攻めることはできる。


 獣人国を無視するか、あるいは少数の軍隊で足止めでもして速攻で王国に迫ることくらいなら、帝国の軍事力があれば可能だ。


「……」


 黙り込む僕に構わず、ギレンは続ける。


「地下貯蔵庫での会話と少ない情報のみから、余の目的を悟り、帝国とエルフ国双方と敵対することなく両国の取引を無意味な物に変えてしまう。……貴殿の智謀と政治手腕は本物だ。貴殿とは敵対せぬ方が得だというのは、稚児でも解ることであろう。……が、貴殿は余を信用はできまい?」


「ああ、全くな」


 僕は正直に答えた。


「ふ、正直なところは貴殿の美徳の一つだな。……一つだけ、方法がある」


「……?」


「貴殿の南方入りの間、帝国と王国に間違いが起きぬ方法だ。そして、貴殿はそれに気付いておろう。気付いていながら、それは不可能であろうことも確信しておるはずだ」


「……」


 僕は何も言わずにギレンを見る。


 先ほどの失敗をどうリカバリーしようかと考えると同時に、ギレンの真意を測りかねていた。


 コイツは、何を言おうとしているのか。


 それを言うこと、あるいは提案することは、先程の僕の失敗をはるかに超えるほどの「失敗」だろう。


 確かに、一つだけある。


 僕が南方入りしている間、帝国に対して手出し無用を強制する策が。


 あるがしかし、僕はそれは無理筋だとして早々に捨てていた。そんな無理筋だと思っていた唯一の方策が通るとは、ましてや、ギレンの口から出るとは、僕は夢にも思わなかったからだ。


 ギレンは言う。


「南方の魔王討伐、余も同行しよう」


 護衛としてギレンの背後に立つ不死隊サリエラの肩が、ぴくりと揺れた。

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