幕間 后

「……イズリーの姉御、つかぬことを聞きますけど、一体全体、何をなさってるんで?」


 あっしは自分の直属の上司にあたる姉貴分のイズリー・トークディア隊長に尋ねた。



 あっしらの前に聳え立つ、垂直に切り立ったテーブルマウンテンから強い風が吹いてくる。


 風は焼き菓子の甘い香りと共に、これから流れる血の匂いまでも、運んでくるかのようだ。


 山の中腹、というより、崖の中腹あたりは大きくくり抜かれ、そこに街が一つすっぽりと収まっている。


 獣人国は北方、天空城クルーファルである。


 姉御は目を閉じたまま小さな口から真っ赤な舌をベロンと出して山に向かって正体したまま、直立不動の状態を維持している。


 現在、あっしら王国軍は獣人国に攻め入っており、これから攻め落とさんとする獣人国の最難関、天空城クルーファルに向かって布陣している最中なのにも関わらず、姉御はかれこれ一刻はこの様子だ。


 いや、これでもあっしはイズリーの姉御一番の手下を自認している。


 王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズと言えば、ここ獣人国で結成された王国軍最強の特別戦闘部隊だ。


 誇り高き我が隊は、王国軍の急先鋒であるミリア師団の中でも、キッシュの街から北進を開始してここ数日の戦果で最強部隊の名を不動の物とした戦闘集団だし、その副長であるあっしこと、タグライト・メカデリアと言えば、王国軍最強の魔導師であるイズリー・トークディアの姉御の懐刀として武名も鰻登りであるからして、我が隊の屋台骨を担っているのは他の誰でもない、このあっしだという自負がある。


 そして勿論、姉御への忠誠心だって誰にも負ける気はない。


 天空城クルーファルと言えば、獣人国北方最大にして難攻不落の都市であり、獣人国魔導師の聖地。名産品は砂糖をふんだんに使った焼き菓子であり、呑気に今でも焼き菓子を作る甘い香りが天空城から風に乗って鼻腔をくすぐる。


 そんな、獣人国に侵攻した王国軍にとって大一番の勝負の場となった天空城クルーファルの攻略を前にして、敵の城に向かってベロを出す姉御のことを、あっしは不思議に思うのだ。


 姉御のことは信頼しているし、姉御は誰よりも強くて優しい。


 そして、なによりも可愛いのである。


 宰相閣下のお言葉を借りるなら、『きゅうと』で『ぷりちぃ』。


 おそらく古代エルフ語か原初のドワーフ語あたりの難しい言葉なのだろうが、王都の商業区にあるスラム生まれで学の無いあっしにはどういう意味かはわからない。


 たぶん可憐で美しいとか、そういった意味なのだろう。


 とにかくそれが、我らがイズリーの姉御なのだ。


 しかし、その全ての行動は予測不可能が過ぎる。


 宰相閣下のお言葉を借りるなら、『えきせんとりっく』で『くれいじぃ』なのだ。


 常にあっしら下々の者どもの予想の遥か上を行くイズリーの姉御。


 あっし如きに姉御の考えを理解できるわけもない。


 なにしろ、あっしら姉御の取り巻きすら引くほどに姉御に対して偏愛を向ける宰相閣下ですら、姉御の行動は読めないと言うのだから。


「あのう、もうそろそろ出陣の号令がかかりそうですけど……姉御?」


 あっしは姉御にもう一度問いかける。


 姉御はようやく舌を引っ込めてあっしを見た。


「タグライトくん。あたしにはひとつ、疑問があるんだよねえ」


 あっしは直感する。


 姉御は伝説の大魔導師、震霆パラケスト・グリムリープ様のお弟子さんである。


 当のパラケスト様は王国軍が天空城前に布陣したと同時にどこかにふらっといなくなったが、おそらく近隣の村に女を買いに行ったのだろう。


 あの御仁は暇さえあれば女子を口説いている。


 英雄色を好むとは言うが、流石は姉御のお師匠様である。


 とにかく、その姉御が戦を前にして抱いた疑問。


 つまり、天空城クルーファル攻略戦のこの作戦に、何か穴があったのではないか。


 それを、姉御は疑問に思い、今のような不思議な行動をして自らの考えをまとめていたのだろう。


 あっしの読みが正しければ、それはルーティーンのようなもの。


 目を閉じ、赤いベロを出し、沈黙を保つ。


 格好こそ不思議で可憐に見えるがその実、強者にとって必要不可欠な行動なのだ。


 自らの内面と向き合い、集中力を高めるための精神統一の一環。


 苛烈な戦いを前に、自らと向き直る。


 姉御のような強者であれば、それは必要なことなのだろうし、あっしら凡人から見れば、それはやはり不思議な行動に思えるもの。


 あっしは姉御の精神統一の邪魔をしてしまった自分自身を恥じて、姉御の言葉に耳を傾けた。


 姉御は続ける。


「なんで風って味がしないんだろうね? 甘かったらいいのになあ。あの街からはさ、甘〜い匂いがするじゃんね? でも、それを運んで来る風には、味がしないんだなあ。なんでかねえ?」


 ……。


 ……はあ?


 ……はあ。


 ……そうですねえ。


 ……何故なのかはちょっと、わからないです。


 あっしは頭の中で「なぜ、風には味がしないのか?」という姉御の疑問の答えを探し、そして「わからない」と結論付けた。


 姉御はあっしに投げつけた疑問をそのままにして空を見上げる。


「……あ! 大きな鳥だ! すごーい、大きいなあ! なんて鳥だろう。デカ鳥かなあ? デカいし!」


 ……。


 ……確かに。


 ……デカいですねえ。


 ……名前まではちょっと、わからないです。


 巨大なシフォンケーキのように切り立った山に向かって飛んでいった大きな鳥を見ながら、やはりあっしは姉御の質問に「わからない」と結論付けた。


 イズリーの姉御は気分屋だ。


 やる気のある時の姉御は、破壊の女神の化身のような強さを持つ。


 逆に、その気にならないとテコでも動かないのだ。


 そこが姉御の愛らしい部分ではあるのだが、クルーファルは獣人国魔導師の聖地と呼ばれるほどの都市であり、高い城壁から繰り出される魔法は寄手を無慈悲に虐殺するらしい。


 姉御の力抜きにして、この城は落とせない。


「あ……姉御、急にどーしちまったんですか。一昨日の城攻めじゃあ、あんだけやる気に満ち溢れていたのに」


 慌てるあっしに、姉御は答えた。


「なんかねえ、飽きた」


 ……。


 ……あー。


 ……なるほど。


 ……飽きちゃったら、仕方ないですよねえ。


 あっしの頭に諦念が過ぎる。


 しかし、ここで諦めて王国軍が敗けたとあってはあっしだけじゃなくイズリーの姉御まで危険な目に遭いかねない。


 あっしは頭を振って自分の諦念を外に追いやり、姉御に言う。


「姉御、調子に乗ってる獣人をやっつける好機ですぜ? ここらで、王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズの強さを他の奴らに見せつけてやりましょうや!」


「うーん? 別に良いじゃない、調子に乗ってても。元気があってなによりだよ」


 この作戦はダメだ……。


 あっしはイズリーの姉御の好奇心をくすぐるような言葉を次々に放つ。


「あ、あの城見てくださいよ! まるでケーキみてえだ! 美味そうですねえ! お? さっきのデカい鳥が二羽もいやすぜ! 捕まえに行きやせんか? お! あそこに立ってる戦士、なかなか強そうですぜ!」


 そこまで言って、姉御は少しだけ興味を持ったように「どこどこ!?」なんて食いついたご様子だ。


「ほら! 城壁の真ん中に立ってやすよ! 銀色の兜の!」


 姉御はあっしの指さす方向を見て、呟いた。


「シャルルの方が強そう」


 そりゃ、宰相閣下に比べたら……。


 あっしは思い出す。


 あっしが初めて宰相閣下の戦いを見た時のことだ。


 何年か前に、王国魔導四家の一つでありコウモリと呼ばれる一族、グリムリープ家にお家騒動が起こった。


 詳しい理由は知らないが、当主の雷鼓ベロン・グリムリープに対して嫡男の宰相閣下、つまり魔王シャルル・グリムリープが反旗を翻したのだ。


 そして、御前決闘が行われた。


 グリムリープの内情は知らないが、魔導四家で当主が現役なのに代替わりが行われるのは珍しい。


 そして、挑戦者の目論見通りに、当主の座を力で奪うことが成功することも……。


 それを、宰相閣下は史上最年少で成し遂げた。


 あっしはミリア隊の特別任務の一環として宰相閣下の戦いを応援席で見ていた。


 はっきり言うが、人生を五回繰り返して魔導の修行をしても、宰相閣下には勝てやしないだろう。


 スラムのごろつきとして名を馳せ、当時所属していた傭兵団魔王の尖兵ベリアルからミリア隊にスカウトされて天狗になっていた当時のあっしは、開始の合図の次の瞬間には完全に理解していた。


 自分では絶対に到達できない次元の猛者が、この世界には存在するということを。


 最初に魔法を放ったのは雷鼓ベロン。


 雷魔法の早撃ちだ。


 初撃を躱すのは至難の技。


 それを宰相閣下は、詠唱すらなく眼前で撃ち落とした。

 

 そして、宰相閣下はその姿を変化させる。


 赤黒く輝く王冠は、まさに魔導の王に相応しく、両肩から生えた漆黒の翼が、宰相閣下と他者との圧倒的な次元の差を表していた。


 

「あの宰相閣下と比べるのは……」


 あっしは呟く。


 姉御はそれに、大きく二度頷いた。


「うんうん! シャルルはねえ、めちゃんこ強いからね! あたしも、シャルルに追いつきたいんだ! だからね、あたしのす、す、すっぱいずりおちぶらじゃーず? をね、強くしたいの!」


 姉御は長い単語が苦手だ。


 短くても難しい単語は苦手だ。


 姉御の部隊の名前は王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズ


「あっしたちの部隊名のことなら、王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズかと。着古した女性用下着じゃないんすから……」

 

「あ、そだそだ。それそれ!」

 

 姉御は向日葵のような笑顔で言った。


 姉御の言葉で、あっしは思い立つ。


「姉御、王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズを強くするなら、強い敵をスカウトしたらどうです? 敗将が降るは武門の習いですし……」


「ん? どゆこと?」


「つまりですね、相手を殺さない程度にやっつけて、仲間にするんでさあ。そしたら、俺たちの部隊はめちゃ強くなるんじゃないかと」


「うーん、でも、……そうだね。強い人がいたら、あたしに任せて!」


 姉御は一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐにあっしの助言を受け入れてくれた。


 あっしは戦端が開く前に部下に命じた。


 強敵と当たったら殺さず姉御の元に引き立てるように、難しいようなら、姉御を呼ぶように。


 これなら姉御は強者と戦えてやる気を持続できるし、正直なところ敵兵への勧誘が失敗してもあっしらには何らマイナスはない。


 

 そうこうしている内に、ミリア隊による天空城攻めが始まった。


 天空城は垂直に切り立った、いわゆるテーブルマウンテンの中腹をくり抜いた場所にすっぽりと収まっている都市で、そこから三つの山道がそれぞれ北側、東側、そして南側へ伸びる。


 山道の入り口には大きな門があり、王国軍はそれぞれ隊を三つに分けてそれらの門を攻略する手筈になっている。


 魔法に対して抵抗力を持っている魔王の精鋭アザゼルが正面北門を受け持ち、東門をミリア本隊が。


 そして、あっしら王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズは南門の攻略を担っている。


「本隊より伝令! 『天空城に漆黒の十字架を立てよ! 天空城に漆黒の十字架を立てよ!』であります!」


 本隊からの使いの兵士が姉御に向けて告げた。


 『天空城に漆黒の十字架を立てよ』


 出撃の合図を表す合言葉だ。


 それを聞いた周りの兵士たちが、一様に殺気立つ。


 王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズを構成する兵士のほとんどは、あっしも含めて育ちの悪いゴロツキばかり。


 そんな好戦的で血の気の多い野郎共の雰囲気が変わったのが、肌で解った。


「……? どゆこと?」


 姉御だけが、小首をこてんと傾げて聞き返す。


 状況を理解していない姉御に、あっしは言った。


「姉御、攻撃開始の合言葉です! 急ぎましょう! 出遅れちまいますよ!」


「ああ! そゆこと! よーし! 一旦落ち着こう!」


「お、落ち着くんですか?」


 意外だった。


 肩透かしを食らうとはこのことかと思った。


 イズリーの姉御のことだ、攻撃開始となれば我先に相手に突っ込んでいくものだと思っていたからだ。


 姉御は急に神妙な顔になり、そしてあっしら王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズの面々を見た。


 その姉御の瞳からは、それまでの鮮やかな輝きはすっかり無くなり、まるで人形か何かの目のように無機質な印象を受けた。 


 一瞬だけ、姉御の顔に悲みに似た感情が見えた。


「……あ、姉御?」


 たまらず、あっしは姉御に水を向けた。


「シャルルはねえ、すごいんだよ」


「あ、はい。……え?」


 面食らうあっしに、姉御は言う。


「シャルルはねえ、どんなに怖くても、全然へっちゃらなの」


「はい、あのお方は魔王様ですし」


「んーん、違うの。シャルルはねえ、魔王だからすごいんじゃ、ないんだよ」


「は、はあ」


「シャルルはねえ、戦うこと、あんまり好きじゃないみたい」


「そ、そうなんですか?」


 会話があっちやこっちにとっ散らかるのは、姉御の特徴の一つだ。


「シャルルはねえ、仲間のためなら命を投げ出して戦うの。シャルルはねえ、仲間も部下も、とっても大切にしてるんだよ。それなのにね、たとえ仲間が死ぬとしても、一度決めたことはやり遂げる。……大切なもの、無くしちゃうって分かってても、決意を曲げない」


「……!」


 宰相という地位。


 あっしらからしたら、ただのお偉いさんだった。


 しかし、その実情は、仲間や部下を死地に向かわせる、呪いの椅子なのかも知れない。


 あっしに耐えられるだろうか。


 同じ釜の飯を食った仲間に、死ねと命じることが。


 顔も知らない部下のために、自らの命を危険に晒すことが。


「あたしはねえ、仲間が死ぬの、嫌なの。……戦うのは好きだけど、仲間が死ぬのは嫌なんだなあ、これが……。この前の戦で、七人死んだでしょ? ヘルホ、ミスカ、クリュード、チョーパン、ライネ、キルネック、ワイライナ、みんな良い人だったよね」


 姉御は死んだ仲間の名を誦じた。


 それだけで、あっしは、そしてあっしと姉御の会話を聞いていた兵たちは感動に震える。


「姉御、最初にやる気が湧かなかったのは……」


「また、仲間が死んじゃうかもって思ったら、ちょっと元気なくなっちゃったかもしれない……」


「姉御、あっしらは死にゃしません! 例え死んでも、魂は姉御と共にありやす!」


「……うん、そうだね! あたし、みんなが死なないように頑張るよ。だって──」


 姉御はきゅーとでぷりちーな笑顔で言った。


「──シャルルは仲間を見捨てない」


 姉御は何かに納得したように一度だけ頷くと、すぐに眉をきっと上げて、まるで悪鬼か羅刹のような雰囲気で言った。


「あたしたちは、強い!」


 出撃の下知を受けて士気が上がり、気炎を上げていた兵たちが一斉に押し黙った。


 不意の激励に、心がじんわりと熱くなり、まるで吹雪の中で唐突に凪が訪れたような感覚だろう。


 あっしもそれを感じている。


 突如訪れたその静けさは、今でもあっしの脳裏を離れない。


 静寂の中、姉御の声が響きわたる。


「あたしたちは、敵の全てを奪う! 命も! 尊厳も! 敵の遺言は聞かない! 繰言は聞かない! あたしたちが聞くのは敵の絶叫と断末魔だけだ! あたしたちが通った跡に、生きた敵兵は決して残さない! 刃向かう敵も、逃げる敵も、諦めた敵も! 全ての敵をぶっ殺す! 虐殺! 鏖殺! 惨殺だ! 生きとし生ける者、全て屍とせん! 敵兵に残された選択は服従か死か! それ以外の選択は断じて許さない! そして、最後にこれだけはあたしと約束して! みんな、絶対に死なないで!」


 姉御の言葉に、あっしらの魂は震えた。


『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!』


 あっしも、皆と一緒に叫んでいた。


 魂の芯の部分から出た、命の叫びだった。


 生きてきた中で、あれほどの幸福はなかった。


 この先の人生でも、あれほどの幸福はないだろう。


 敬愛する主君の、激烈な鼓舞。


 あっしら全員はあの時、姉御のために死ぬ決意を新たにした。


 いや、たとえ死んでも死なずに、姉御のために敵を殺すことを、もう一度決意したのだ。


「全軍、気合を入れるよーっ! あたしたちの力を見せてやろう! しゅ、しゅ、しゅっけーつ!」


「出撃です、姉御! それじゃまだ戦ってねえのに血が出ちまってます!」


「あ、そだそだ、しゅつげきか! もしかしたら、間違えちゃったかもしれない!」


「かもしれないって! いやいや! あっしら全員聞いてましたぜ!」


「き、き、気のせいだと思う!」


「んなわけあるかあ!」


 姉御とあっしのやり取りに、兵たちから笑いが溢れた。


『あっはっはっは! 姉御には敵わねーや!』

『ったく、締まらねえなあ! だが、それが良い!』

『だな! やっぱ姉御はこうでなきゃよ!』

『ははははは! でも、久しぶりに痺れたぜ!』

『ああ、野郎共、姉御の言葉は聞いたな!』

『死なずに、殺るぞ!』

『当然だ! 殺ろうぜ!』

『ああ、殺ろう!』

『虐殺!』

『鏖殺!』

『惨殺だ!』

『しゅっけつすんのはまだ早えーがな!』

『はははは! 全くだ!』

『敵を殺し尽くしたら、また会おうぜ!』

『ああ! その時まで達者でなあ!』


 そんな声が、兵の間から次々に飛んだ。


 皆で一斉に笑い、そして一斉に黙った。


 一瞬の静寂は、すぐに姉御の一声で荒ぶる男たちの咆哮に変わった。


「全軍! しゅつげき!」


 馬が嘶き、兵が吠えた。


 蹄鉄が地を抉り、魂の叫びが空に満ちた。


 軽く門を突破し、都市へと続く山道に入ると太った獣人の戦士が大斧を片手に立ち塞がる。


 五十人からなる魔導師の部下を従えて、太った猫の獣人は大喝一声する。


「聞かん坊のアメーショ推参! 魔法、放て!」


 アメーショの背後の魔導師たちが一斉に魔法を放つ。


 収束した火魔法は炎の津波のようにあっしらを包み込もうとする。


 姉御に向けて防御スキルを唱えようとしたあっしだったが、その詠唱は途絶えることになる。


 姉御が厳ついグローブを嵌めた左手を一閃すると、炎の津波はまるで防波堤にぶつかったように砕けて消えた。


「王国のカラスを舐めないでよ」


 姉御の冷たい声が響く。


「ただの少女かと思ったが歴戦の魔導師だったか! 面白い! 強者は大歓迎だ! 貴様に一騎討ちを申し込む! このアメーショの大斧を味わって──」


「遅すぎるよ、子猫ちゃん」


 一瞬の間に、斧を振りかぶったアメーショの顔面は姉御の拳に捉えられていた。


 太った巨体が吹き飛び、背後に控えていた獣人の部下たちを巻き込んだ。


 アメーショを殴り、その場にふわりと着地した姉御はゆらりと体勢を戻す。


 肌を刺すような殺気が、姉御から漏れる。


 次に姉御の口から出た言葉は、敵味方関係なく、身体の内側をかき混ぜるような恐怖を湧き上がらせた。


「そのふとっちょは捕らえろ、仲間にする。……あとは、殺せ!」


 あっしは姉御の影に、魔王を見た気がした。


 恐怖と高揚は紙一重。


 姉御の透明感がありながらおぞましい声に、あっしらの理性のタガは完全に外れた。


 あっしらから理性と人間らしい自我が消え失せるその直前、イズリーの姉御の言葉が耳の奥にこだました気がした。


「目指すは本陣! 一番槍は、あたしたちが戴く!」


 その後の戦いの記憶は、酷く曖昧だ。


 姉御の麾下の全員が、狂戦士が如く敵を打ち砕いて進撃した。


 瞬く間に敵兵を打ち倒した。


 味方が倒れても、敵に囲まれても、不意打ちを受けても、あっしらは止まらなかった。


 そこに敵兵がいれば、何も考えず一目散に殺しに向かった。


 そして、出会した敵兵には必ずこう訪ねた。


「服従か、死か」


 ほとんどの敵兵は立ち向かって死を選んだ。


 服従した敵兵でも弱ければ殺した。


 終いには、敵は戦うことすらせずに逃げ出すようになった。


 天空城の本陣に一番槍を入れたのは、ミリア本隊でも、即唱率いる魔王の精鋭アザゼルでもなかった。


 あっしら王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズだった。


 途中に現れた獣人の強者は、姉御がほとんど一人で倒し尽くした。


 姉御は敵方の強者数百名ほどを全て一撃のもとに打ち倒し、そしてそのほとんどを捕縛し、最終的には仲間に加えた。


 クルーファル陥落後、姉御は捕らえた獣人を勧誘した。姉御の強さに魅了された獣人は皆が降った。姉御の強さに恐怖した獣人も皆が降った。


 首を縦に振らない強情な獣人は、姉御が物理的に首を縦に振らせた。


 この戦争で、王国愚連隊スーパーイズリーブラザーズはその人数を数倍にまで増やした。


 今では隊の三分の二は獣人族だ。


 戦後処理の最中、敵兵の返り血で真っ赤になっていたあっしらを見た捕虜の獣人が漏らして気絶したのは、今では酒の席で必ず出る話題の一つだ。


 この戦で、新たに姉御に召し抱えられた獣人たちは、今でも決まってこんなことを言う。





『あの戦場でのあんたらは、完全にイカレていた』





リーズヘヴン王立魔導図書館所蔵


タグライト・メカデリア著『タグライトの苦悩』

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