第261話 魔王の断末魔
頭にはカラスの紋章が金の刺繍であしらわれたケピ帽、紺色のスーツタイプの軍服を軽く羽織り腿の辺りがゆったりとした同色の乗馬ズボンをベルトでピタリと締め、腕組みをしている金髪ポニーテールの美少女が、僕の目の前に立っている。
そう。
彼女はリーズヘヴン王国魔導四家が一つ、カラスと呼ばれるトークディア家の令嬢。
イズリー・トークディア。
暴鬼、あるいは二代目震霆。
全世界──これはつまり僕が前にいた世界も含めて、言葉通りの意味である──で一番キュートでプリティーな軍人である。
イズリーは軍服に着替え、磨きたてのオルとロスを腰のベルトに結んで垂らしてから、その手に持ったエンシェントの素材である馬糞のようなキノコを僕に見せるようにして言った。
「さ、この馬のうんちを渡しにいこ!」
「い、今からいくのか?」
「早くしないと、ギレンくんのお父さん死んじゃうかも! お師さんが言ってたよ、『イズよお、兵は切腹を尊ぶもんじゃぜ』ってね!」
それを言うなら兵は拙速を尊ぶだろう。
イズリーの無駄に上達したジジイのモノマネに関しては今は置いておくとして、この世界に侍はいない。
この世界にいる唯一の侍は僕の魂に宿る『彼』だけだし、その『彼』は絶対に切腹をしない。
『彼』はジャパニーズヘンタイカルチャーの申し子であり、この世界で唯一、日本の萌え文化を熟知している存在なのであるからして、場合によっちゃあ革張りのソファに座って葉巻をふかすような権力者に靴を舐めろと脅されたら逡巡することすらなく舐めるタイプの侍なのだ。
切腹なんて絶対しないし、もしかすると『拳で抵抗する21歳』みたいな見た目かもしれないが、たぶん実際にはそんな根性は微塵も持たない。
「切腹は違うんじゃ……」
「ん? あ、そっか。……んー、せっ、せっ、せっくす? だったかも! とにかく、兵はせっくすを尊ぶんじゃぜ! さあ、いこいこ!」
絶対違う。
尊びはするかも分からないし、僕の『拳で抵抗する21歳』宿りし侍魂が美少女の口から唐突に出た卑猥な単語に震えぬのかと問われれば否やはないが絶対に違う。
とにかく、一日二日でどうにかなるものなのかはわからないが、イズリーの善は急げの言葉に、僕は従うことにした。
ついでに、ニコにも声をかけた。
ギレンとは一度は同盟関係になったが、何が起こるかわからない以上、ニコかライカは必要だ。
「たのもー!」
イズリーは帝国の宿泊する部屋の扉に向かって声を上げる。
なぜ道場破りスタイルなのかは謎だ。
この娘は獣人国の首都の大門を攻め立てていた時も、決死の抵抗で門を死守していた敵兵に向けて同じことを叫んでいた。
ガチャリと鍵が回る音が聞こえ、扉が開く。
黒装束に銀の仮面。
護衛の
「……? グリムリープ卿?」
表情はわからないが、戸惑ったような様子が声から伝わる。
「ギレンに会わせろ」
僕は不遜な態度で言う。
「このような夜更けに如何な要件か、伺っても宜しいか」
男か女か分からない、中性的な声で
なぜなら、イズリーの持つ聖母マリアもびっくりの博愛によって、今ここに僕とイズリーとニコはいるわけだ。
それを如何な要件かとは随分な言いようじゃないか。
だいたい、僕はともかくイズリーのように可愛くて優しくて純粋可憐でまるで明けの明星のように(中略)そんな女の子に向けて言い放つ言葉ではない。
この怒りが筋違いなのは理性では理解しているが、そんなもんは関係ない。
僕とイズリーの進撃は誰にも止めさせないし、誰にも阻めないのである。
なぜならそれはイズリーが世界で一番、可愛いからなのである。
「魔王と暴鬼と血塗れの聖女が来たと伝えろ。出迎えの用意は要らぬ、用が済んだらすぐに帰るからな」
「しばしお待ちを」
そう言って、部屋に戻ろうとした
「魔王と暴鬼と聖女を待たせるとは、帝国の人間は随分と豪胆な気性らしい」
「ええ、どうやら彼の国に賢者はおらぬようです。いと貴き主さまと、いと尊きイズリーさまを部屋の外に待たせようとは、国運を懸けねば到底できませんから」
僕とニコの皮肉を聞いたのか、一瞬だけピクリと肩を揺らした
「早くしないと死んじゃうかも……」
何この娘!
ガチの天使やん!
僕とニコがアポ無し会見を脅迫的に要求している真横で、他人の父親の心配ができるなんて!
ニコも僕と同じ感覚かもしれないが、僕は親切心からギレンにこの下品な見た目のキノコを渡そうと思ったのではない。
ギレンに恩を売ることで南方解放の作戦中に帝国から王国本土に茶々を入れられることがないようにするという思惑があったからだ。
それに、僕の予想が正しく、帝国がエンシェントの素材との交換条件としてエルフと南方不可侵の協定を結んでいたのだとすれば、ギレンとエルフを手切に出来るかもしれない。
エルフの女帝の呪いは解いたので、エルフが南方不可侵の協定を守る必要性はなくなった。
僕がエンシェントの素材を帝国に差し出してエルフと帝国間の協定に横槍を入れても、エルフは僕たちに何ら害意を持たないだろう。
そんな打算があったからこそ、僕はギレンにエンシェントの素材を渡そうとしていた。
しかし、しかしだ諸君。
僕の隣で金髪のポニーテールを揺らしながら「まだかなあ? まだかなあ?」なんて呟きながら閉じられた扉を見詰める天使は、心の底から他人の父親を想っているのだ。
そんなことってあり得る?
おそらくだが、イズリーの握る馬糞のようなキノコはその見た目に反してとんでもない価値を秘めた至宝なのだ。
国家間の取引きにすら使われるほどなのだから、例えば戦国時代の茶器やら駿馬やらに匹敵するほどの価値があるのは想像に難くない。
それを、顔も知らない他国のオッサンのために手放すなんてことが、あるのだろうか?
そんなことができる人間が、いるのだろうか?
そこまで考えが至った時、僕の中の貧乏性というか下劣心というか、いわゆる人間的に品性に欠ける部分がひょっこり顔を出してイズリーに訪ねる。
「イズリー、そのキノコ、売ったらわけわからんくらいの金になると思うけど、それでもギレンの馬鹿にあげるのか?」
僕からギレンにあげようと提案しておいて、この言い草である。
もしも僕が『神』で、もしもこの場面を見ていたら、たちまちこの黒目黒髪の馬鹿野郎に雷を落として消し炭にするだろう。
イズリーは目をぱちくりさせて僕に言う。
「にしし。シャルル、頭良いのに知らないの? お父さんはねえ、お金じゃ買えないんだよ」
ウボァー!
僕は脳内で、さながら世界征服の野望を抱いたが当然の如く主人公パーティに完膚なきまでに打ち砕かれ挙げ句の果てにインターネットでは同じく息子を人質に取られ魔物にボコられて『ぬわーーっっ!!』という断末魔を上げて死んだお父さんみたいな名前のNPCと共に『アホみたいな断末魔の二大巨頭』とまで言われる羽目になったとあるゲームのラスボスの悪の皇帝みたいに叫んだ。
「い、イズリー。そうだよな、その通りだ」
僕は吐血しかねないダメージを心に負ったのを気付かれないように言った。
イズリーはズレたケピ帽を細い指で直してから頷き、その美貌を笑顔で染めて言った。
「うん、お金で買えない物の方が、お金より価値があるもん」
ぬわーーっっ!!
僕は心の中で叫ぶ。
尊みのオーバーキルである。
『野菜みたいな名前の星に住む戦闘民族に「戦闘力……たったの5か……ゴミめ」と言われた農夫のオッサン』が『戦闘力53万のツルッパゲの宇宙帝王から「きええ!!!」という奇声と共に放たれたエネルギー弾』をモロに受けたくらいのオーバーキルである。
もう何も考えられない。
ただ、これだけは確認しておきたい。
「に、ニコよ」
ニコは僕に向き直って「はい、主さま」と首を垂れる。
「僕は……ま、まだ生きているか」
ニコは若干戸惑いながらも答えた。
「は、はい。ええと、当然です」
良かった、一命を取り留めたらしい。
しかし、このままではイズリーに尊殺される。
尊殺なんて言葉があるのかどうかは知らんが、とにかくこのままでは僕の穢れた精神はイズリーの可愛さと尊さと純粋さと(中略)可憐さに殴り殺される。
「は、早くギレンを呼べ! 僕がどうなっても知らんぞ!」
「御意! ──
言うが早いかニコが人差し指を扉に向けて突き立てぶち破る。
「あー! ニコちゃん! ダメだよ、待っててって言われたのに!」
「い、イズリーさま、あ、あ、あの、その、で、ですがしかし……」
「シャルルもだよ! 待てって言われたら待つんだよ、ハティナが言ってたもん!」
「す、すまん、イズリー……」
なんてこった!
洒落にならんぞ!
あのイズリーに常識を説かれる日が来るとは!
お前にだけは死んでも言われたくないと返したいところだが、今日だけは、今だけは僕は口が裂けてもそれを言えない!
破壊された扉の向こうに、ギレンが立っていた。
「北方諸国共栄会議に出席中、他国の宿舎の扉を破壊し押し通ろうとは、随分な挨拶であろう」
キザったらしく皮肉を言うギレンに、既にイズリーの尊さによって心の穢れを浄化されつつあった僕は答えた。
「……うちのニコちゃんがやりました」
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