第258話 魔王絶命

 円卓の議場に、ニコの澄んだ声が響く。


「これより、主さまの命により貴殿に我が秘中のスキル、創造の結実クリエイションを行使します。プリンシパリア帝、呪いを授かりし憐憫の女帝、これから行使するスキルにどんなリスクがあるかは不明です。しかし、貴殿がそれを望み、主さまがそれをお許しになられました。この後、貴殿に何があっても主さまは元よりわたくし、そしてリーズヘヴン王国には一切の責任はございません。……承服していただけますね?」


 ニコの声は慈悲に溢れ、それでいて相手を冷たく突き放すように通る。


 プリンシパリアは頷く。


「ええ、聖女様とグリムリープ卿を信じております。我が身に何が起ころうとも、その責を問うことはございません。私ももとより、覚悟しているのです。この醜悪から解き放たれるであれば、如何様な苦難も乗り越えましょう」


「それが聞けて何よりです。それでは、これより呪文の詠唱に移ります。何が起きても、スキルをレジストしようとはしないで下さいね。手元が狂えば、貴殿を殺してしまうことになりかねませんから──」


 ニコは光を映さない両目を開く。


 彼女の紅い小さな唇が、神の唄を刻む。


「──死屍累々の狭間に、神の意思あり。屍山血河の最果てに、神の意志あり。我が呼び声よ届け。深淵の狭間、冥府の最果てより舞戻りて我が声に応じよ。──創造の結実クリエイション


 彼女の詠唱と同時に、ニコの両手から虹色に輝く宝石が溢れるように淡い光の粒が溢れ出る。


 光の粒はプリンシパリアを優しく包み込む。


 僕はゴクリと喉を鳴らした。


 ニコは失敗しないだろう。


 彼女の優秀さは他を圧倒する。


 個人の持って良い強さの限界を遥かに超えている。


 だからニコは失敗しない。


 ──と、言うことはだ。


 エルフの女帝の呪いは無事に解け、そして顕になるだろう。


 エルフの女帝、その本来の美しさが!


 僕はエルフの女性を見たことがない。


 その美しさは月すら恥じらうほどだと言う。


 異世界に来るなんていう馬鹿げた経験をしておきながら、エルフの女性を見ずに死んだとあっては前の世界とこちらの世界、両方の両親に顔向ができない。


 プリンシパリアを包む光がその強さを増す。


 それに比例して、僕の心は高鳴る。


 美しいものを見るのが好きなんじゃない。


 野に咲く花々、夜空に浮かぶ月、天を彩る星々、驟雨の晴れ間に掛かる虹。


 そんなのが好きなわけじゃない。


 僕は女性が好きなんだ。


 特に、まるでデザインされたように僕の内側の劣情を掻き立てるような美貌。


 だからこそ、僕は──


 苔むした岩肌を思わせる緑色の肌に怠惰に全開でステ振りしたかのように丸々と肥えただらしない肉体、そして醜悪を真心込めて丁寧に熟成させたような顔面を持つプリンシパリアを抱きしめた淡い光の束が、その力を外界に発露するかのように勢いを増す。


 徐々に変化を始める、プリンシパリアの姿。


 緑の肌はシルクのように白い素肌に変わっていく。


 流れるプラチナの髪。


 清らかな青い瞳。


 雫を弾いてしまいそうなくらい弾力がありそうな胸。


 僕は心臓の高鳴りを隠すように、まるで恋する乙女みたいに両手を胸に当てる。


 光が霧散し彼女を覆っていた光が完全に晴れると同時に、ギレンが口を開く。


「……さて、どうやら創造の結実クリエイションとやらは成功した様だな」


 キラキラと光の残光が宙に消えて、僕の両目が視覚情報としてプリンシパリアの姿を脳に届ける。


 尖った耳。


 高い鼻。


 大きな目。


 細く、麗しい眉。


 太く、逞しい腕と脚。


 酒場のビール樽も道を開けるほどの巨体。


 ドレスを突き破るかのように、前方向に突き出た土手っ腹が僕の胸の高鳴りをミュートした。


 そして、僕は胸の前に両手を当てたそのままの流れで頭を抱えて叫んだ。



「あんまりだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」



 静まり返った議場に、僕の叫びだけがこだました。


 ──至福の暴魔トリガーハッピー起動。


 沈黙は銀サイレンスシルバーだけが、僕の気持ちを代弁していた。


「こ、これは……」


 モノロイが唸り、また議場に沈黙の帷が降りる。


「ニコ! 失敗か! 失敗したんだな!? ニコに限って珍しくはあるが、失敗であれば致し方ない! もう一度創造の結実クリエイションを掛けてみるのだ!」


 『ブスではないがデブ』みたいな状態のプリンシパリアのせいで、バグってしまった僕の脳みそが勝手に口を動かす。


「あ、主さま……残念ながら──」


 聞きたくない!


 僕にこんな残酷な現実を突きつけないでくれ!


 プリンシパリアは、その体型に似合わない艶やかな声で言う。


「呪いの魔力が浄化されたのがわかります。……グリムリープ卿、そして聖女様、何とお礼をしたら良いか」


「待て待て待てぇい! 礼を言うのはまだ早い! 勝手に救われてんじゃねえ! まだ呪いは残っているぞ! 特に体型の部分に!」


 そんな僕の自らの仕事に対して妥協を許さぬ覚悟は、プリンシパリアの「元から我らエルフの女はこういった体型ですから……」なんて恥じらい混じりに告げられたことで打ち砕かれた。


 僕の行き場を失った悲痛な叫びが再び議場に轟く。


「デブは持ち前なのかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」


 ふざけんな!


 あんまりだ!


 僕はエルフの美人が見たかったのであって、『太ってるけど痩せたらきっと美人』が見たかったわけじゃない!


 絶望する僕に向けて、ギレンは言った。


「エルフの女性は皆こういった体型だ。人生の大半を部屋の中でゆるりと過ごすのだから、当然だろう。それに、ふくよかな女性が魅力的に捉えられるのは帝国でも同じだ。……王国や獣人国では好みが違うらしいがな」


 なんだってえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!??????


 叫ぶことはなかった。


 ただ、僕は今度こそ真っ白な灰になった。

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