第257話 真偽の審議

 僕は興奮に震える声を抑えるように、丹田に力を入れた。


「これが我が半身たるニコの力の一端だ。……この場をクイネルの百獣門のようにしても構わないが、どうする? 命知らずのエルフさん?」


 百獣門はニコが獣人国でたった一人で押し寄せる兵士を退け、死体を山積みにした場所だ。


 彼女の恐ろしさを表現するに、これ以上に相応しい場所はない。


 膝立ちで茫然とするエルフの武官がガチガチと奥歯を鳴らす音だけが、静かな議場に響く。


 ニコはそっと目を閉じて、歳相応の屈託のない笑顔で言う。


「お次は知恵比べなどいかがでしょうか? エルフの文官様?」


 急に水を向けられたエルフの文官は、しどろもどろに言葉を濁した。


「もう充分です。……ニコ、と申しましたね? あなたとグリムリープ卿が存命である限り、我々エルフから王国に戦を仕掛けることは決してないでしょう」


 それがプリンシパリアの答えだった。


 僕はそれに頷く。


「このニコは戦闘能力もさることながら、その知謀も王国随一だ。さらに、人の嘘を見破れる」


 プリンシパリアは合点のいった顔でニコをジッと見た。


「なるほど、私の話の虚実を確かめるために……」


 本当はこの人に創造の結実クリエイションを使うためにニコを潜ませていたが、その姿を露わにしたのはプリンシパリアの言う通り、この女が嘘をついているかどうかを確かめるためだ。


 ニコは僕に向けて一言。


「プリンシパリア帝の申されたことは、全て……真実でした」


 ニコの報告で、僕は高らかにガッツポーズする。


「わーっはははは! それ見たことか! ギレン! こいつは魔物じゃない! ただの『世界一ブサイクという記録でギネスブックに載るクラスのブサイク』だったんだ! お前の言いたいことはわかる! こんなブサイクが存在するという事実は俄には信じがたい! 信じがたいがしかし、コイツは事実ただのブサイクだ! 魔物じゃない! なあ、ブス!? お前は魔物じゃないんだよな!? な!? ブサイクなだけなんだよな!? このギレンに言ってやれ! こいつはお前を魔物呼ばわりしたが、僕はお前が人類史上稀に見る程のブサイクなだけだと思っていたんだ!」


「……」


 議場は沈黙に包まれた。


 すごい空気だ。


 僕は自分の予測が正しかったことに不覚にもハイテンションになってしまったが、他国の王様捕まえてブサイク呼ばわりしているわけだ。


 つまり、非常に不味い状況であることは確かだ。


「……そこまで言われると、流石にショックでございます」


 プリンシパリアが項垂れた。


 僕は冷や汗かきながら言う。


「……こほん。まあ、なんだ。……一旦、落ち着こう」


「……シャルル殿」


 モノロイが憐れみに満ちた目線を送る。


 落ち着く必要があるのはお前だけだと、そういう目線だ。


「ふん。とにかく、貴殿が魔物であれば即刻滅ぼしているところではあるが、そこのニコなるメイドは魔物化の解除を促すスキルを持っているらしい。……そうだな? グリムリープ卿」

 

 ギレンにフォローされて、僕はこれまでにないくらい自分を惨めに思うが、とにかく今はどんな手を使っても茶を濁すべきだと、僕の頭の中のクレバーな部分がそう告げる。


「ああ、ただその呪いに効くかは知らん。実際にやってみて滅びてしまっても、こちらは責任を負えない」


「……左様ですか」


 プリンシパリアは迷っているようだ。


 再び会議室が沈黙に包まれた時、モノロイがポツリと呟いた。


「プリンシパリア陛下の呪いが解ければあるいは、元のお姿にも戻れるであろうに、おいたわしや……」


「しかし、もし失敗でもすれば陛下は!」


 エルフの文官が狼狽える。


 僕の目的はエルフの女性を見ることだ。


 ここは是非、ニコに呪いを解いてもらって、麗しのエルフの女帝を見てみたい。


 どんなに綺麗なのだろう。


 流石にハティナを超えることはないだろうが、異世界にやってきてエルフの女性を見ずして死ねるだろうか。


 そんなの、大阪に行ってたこ焼きを食べないようなものだし、名古屋に行ってひつまぶしを食べないようなものだし、宇都宮に行って餃子をスルーするようなものである。


 とは言え、失敗した時のリスクは排除しておきたい。


「プリンシパリア帝、よく考えた方がいい。この機会を逃せば、あんたの前にニコが現れることは二度とないし、それはつまりエルフは永久に呪いを解く手段を失うことを意味する。……それに、エルフと帝国がどんなちょこざいな妨害をしようとも、僕は魔王を滅ぼす──」


 そこまで言って、エルフの文官の強張った顔が目に入る。


 ……そうか。


 そういう事情があるからこそ、エルフは魔王の討伐に後ろ向きだったのか。


 本来、エルフ国としてはもう一つのユグドラシルの解放と支配は悲願だったはずだ。


 それが、帝国と組んで南方の魔王に手出し無用とまで言った。


 それは、南方の魔王が滅びた時、エルフの女帝がどうなるかが未知数だからだ。


 エルフの女帝の呪いが万が一、魔王の命と紐付いていたら。


 道連れに女帝も滅びてしまう可能性がゼロではない。


 僕は一呼吸置くまでにそこまで思考し、言葉を続ける。


「──僕が魔王を滅ぼした時、呪いを受けているあんたはどうなるかな?」


「……それは」


 プリンシパリアは俯き、文官は顔を青白くさせる。


 さっきからこの文官の人、顔に出過ぎだろう。


「ニコの力は見たはずだ。敵であれば絶望的だが、味方であればこれほど頼れる仲間はいない。あんたらエルフが悪辣姉妹の血塗れの聖女を頼れるのは、今この瞬間しかない」


「……確かに、貴方の言う通りですね」


 プリンシパリアは納得した。


 この同意、駆け引きという意味では非常に大きな意味を持つ。


 プリンシパリアはただ単にニコでしか呪いを解く術がないと、そこだけに同意したのではないからだ。


 彼女は認めてしまった。


 自身がニコと僕を敵に回すことを嫌っているということにだ。


 ニコと僕が敵対すれば国に、いや、エルフという種族そのものに甚大な被害が及ぶであろうことを、事実として認めたのだ。


 この意味は大きい。


 後はこちらがどんな条件を出してもエルフは首を縦に振らざるを得ない。


 ニコと僕を敵に回すことは、絶対に出来ないからだ。


 ここからは、ずっとこっちのターンだ。


 エルフから絞れるだけ絞り取って、たかれるだけたかってやる。


「し……しかし、万が一失敗した時は──」


 ニコがコホンと咳払いして、エルフの文官を黙らせた。


 そう。


 今さら成功確率なんてのは問題じゃない、想像の結実イミテイションと真逆の力を持つスキルを、僕が握っているという事実が大事なんだ。


 女帝が語った御伽の森の賢者は呪いを想像の結実イミテイションと呼んだと言う。


 想像の結実イミテイションは特別なスキルであるはずだ。


 沈黙は銀サイレンスシルバーにギレンの雄弁は金ゴールデンオラトリーがあるように、至福の暴魔トリガーハッピー狂乱の猛勇キリングジョークがあるように、南方の魔王の想像の結実イミテイションと対になるスキルが存在してもなんら不思議はない。


 そしてそれが、おそらくニコの創造の結実クリエイション


 最強の魔物、深淵エンシェントすら葬った邪悪なニコの持つ神聖なスキル。


 僕はプリンシパリアに向けて言う。


「プリンシパリア帝、あんたの呪いを解くのに条件がある」


「……良いでしょう、何なりとお申し付け下さい。ただし、帝国との協定の破棄だけは私の一存では叶いませんが」


 ギレンは関心したように「ほう」と声を漏らす。


 僕は元々そこを要求するつもりはなかった。


 それが出来れば苦労はしないが、ギレンとエルフの間で何らかの取り引きがあったのはわかっている。


 ギレンにはギレンの目的があるだろうし、それに関しては見当も付いている。


 ギレンを調略するのはこの後だ。

 

 今はエルフから得られる実利を得るだけ。


「当然だ。……僕があんたらエルフに要求するのは三つ。一つ目、牢獄に囚われたダークエルフは全てリーズヘヴンへ送って貰う。これから生まれるであろうダークエルフに関しても、あんたらが差別の対象にし続けるってなら、その子らもリーズヘヴンへ送るように」


 もう無用な差別は許さない。


 僕はブスには厳しいが、それでも不当な差別をされて良しとは思わない。


 ダークエルフはリーズヘヴンが全て貰う。


 それに、そうすればいつかダークエルフの子供から女性のエルフも生まれるだろう。


 エルフの国でエルフの女性を見られないなら、王国内で生まれた女エルフを見ればよい。


 外国から取り寄せられない製品なら、国内生産に切り替えるだけだ。


「……わかりました、彼らへの言われなき差別には私も心を痛めておりました。しかしながら、ダークエルフへの恐怖と怨嗟は我らエルフの文化に深く根付いております。私の一存では打てる手はございませんでしたから」


「二つ目、王国エルフ国間での関税の撤廃」


「……それは、相互で関税を廃そうということでしょうか?」


「その通り、そちらから入る品に税はかけぬ。こちらから出る品に税をかけるな。無論、そちらを通過する王国商人にも税をかけること無きように」


「思っていたより、フェアなのですね?」


「フェアね……。どーでも良いさ、そんなこと」


 プリンシパリアは気づいていないようだ。


 僕は心の中でほくそ笑む。


 魔王を倒してポッカリと空白地帯になった大陸南方はひとまず北方諸国共栄会議が管理して資源を分け合うことになるだろう。


 いきなりリーズヘヴンが領有を主張したら、それこそ北方諸国全てを敵に回すことになる。


 獣人国からすら、梯子を外されてもおかしくない。


 が、それでも問題はない。


 どーせリーズヘヴンかエルフ国を介さなければ南方の資源を北方に届けられないからだ。


 問題が有るとすれば、大陸南方で得た資源を北方へ運ぶ際にエルフ国を通過した方が獣人国のタスクギアとクロウネピア、そしてドワーフ国へ速く届けられる点。


 帝国と皇国はリーズヘヴン経由が最速だが、他の三カ国はエルフにシェアを取られる可能性がある。


 シェアを奪われる可能性があるのは、エルフ国との価格競争に勝てなくなるのが理由だ。


 関税の差が、商売ではそのままコストとして値段に跳ね返るからだ。


 予めエルフ国と王国間で関税の撤廃をしておけば、王国商人はフリーパスでエルフ国を通過出来る。


 互いに関税を撤廃しているわけだから、新しい形の物流でリーズヘヴンとエルフ国はイーブンな状態にあるように見えるがそれは全く違う。


 何故なら、王国は獣人国の実効的な支配権を握っている。


 獣人国とも同じく関税を撤廃し、獣人国とエルフ国間での関税は維持させるように圧力をかけ続ける。


 獣人国は北方大陸中央に位置し、全ての国と領域を接している。


 つまり王国はエルフ国と獣人国との三カ国と関税を互いに廃するだけで、北方諸国全ての国へ関税なしでアクセスできる。


 リーズヘヴン王国の商人だけが、輸送中の関税コストをスルーできるようになるわけだ。


 こと商売に関して言えば、開かれた南方の影響でまず最初に一番大きく変わるのは物流だ。


 単純に北方だけで完結していた物流に、倍の広さの空間が齎されるのだから、王国を富ませるなら物流を支配するに限る。


「承認しましょう。こちらも、王国に木材を売り易くなりますし」


 くくく……。


 やはりモンスターに商売は無理なんだな。


 プリンシパリア。


 お前の浅はかな決断で、将来王国だけが富むことが決したぞ。


 何故なら南方が開かれれば不足しがちな木材など掃いて捨てるほど手に入れられるからだ。


 南方開放後も、五年はエルフが得をするだろうが、それから先は木材の価格は暴落するはずだ。


 僕は緩む頬を引き締めてから、三つ目の要求を口にする。


「三つ目、エルフの図書館から最古の魔導書を頂く」


「それは……、魔導は国の軍事の中核。それだけは……」


「いいや、頂く。無理なら戦ってユグドラシルごと奪うことになるだけだ。……なあ、ニコ?」


「主さまの思し召とあれば、今すぐにでも、神樹に集る害虫を駆除いたしましょう。……ちょうど、女王蟻も目の前にいることですし」


 押し黙ってニコを睨む女帝に代わって、今度はエルフの文官が叫ぶ。


「承知しました! 最古の魔導書ですな! すぐにご用意致します!」


「……!」


 驚いた様子のプリンシパリアに、エルフの文官は苦虫を噛み潰したように告げる。


「魔王卿は『最古の魔導書』をご所望です。あれには今では絶滅種となった闇魔法の多くが記されております故、我が軍の手の内が漏れる心配はございません。我が国の古典魔法は闇魔法。それが漏れたところで、使い手がいなければ問題になりませぬ」


 文官の言う通り、闇魔法はエルフの地を発祥とする魔法だが、今ではその使い手はほとんどいない。


 闇魔法は扱いが難しいのに加えて、本来は女神への信仰から生まれた秘術なのだ。


 魔法にはイメージが必要である。


 唱えれば必ず起動するのが魔法の特徴だが、より正確に魔法の効果を引き出すのには明確なイメージが必要になる。


 つまりその魔法が持つ特性、水の魔法なら水のことを、土の魔法なら土の特性を理解していなければならない。


 件の闇魔法に必要な明確なイメージというのが、重力。


 この世界の科学では解明どころか発見もされていない不思議パワーである。


 古代エルフは重力のイメージを女神への信仰という斜め上をいく方法で代替したが、今では闇魔法を行使できる魔導師は数えるほどしか存在しない。


 僕の闇魔法への適正はかなり高いが、それでもトークディアが記録していた闇魔法の半分も起動に成功していない。


 とにかく古い魔法だ、呪文そのものがでっち上げのパターンもある。


 それでも、エルフの古書には僕の目当ての魔法があるかもしれない。


 例えその魔法がなくても、それに近づくためのヒントはあるだろう。


 そして、何より重要なのはハティナへの良い土産になる。


 あの娘は本が大好きだ。


 エルフの古文書なんてプレゼントしたら、どんなリアクションをするだろう。


 それを見るだけでも、僕にとっては国の未来や世界の平和なんていう綺麗事よりよっぽど価値があることなのだ。


 国の大事な交渉カードを婚約者へのプレゼントに使うことに、王国宰相として罪悪感があるかと聞かれれば、僕は自信満々にこう答えるだろう。


 全くない。


 ミリもない。


 何故なら、僕にとっては祖国も権力もハティナのために持っているだけに過ぎないからだ。



 とにかく、僕の三つの要求をエルフは呑んだ。


 次はこっちが約束を守る番である。


 僕はニコに合図を送ると、彼女は胸の前で祈るように手を組み、澄んだ声で呪文を唱え始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る