第256話 ハートキャッチ(物理)

「その後、南方に渡った森の賢者が魔王と成ったのかは定かではありません。しかし、南方の滅亡と森の賢者が一切無関係であるとは、とても思えないのです」


 プリンシパリアは最後にそう付け加えた。



 エルフの女帝が語ったのは、とある男女の話だった。


 古来よりエルフに伝わるお伽噺。


 ゾッと僕の背筋をなぞるような。


 儚い恋のお話。


 淡い愛のお話。


 そして、破滅と破壊のお話。


 話を静かに聞いていたギレンが言う。


「森の賢者の伝説はエルフにとっては有名な話だ。……が、その後森の賢者が南方に向かったという話は初耳だ」


「エルフの民に伝わっている歴史としては、森の賢者がエルフに対して虐殺を行ったことしか伝わっておりません。……この寓話は、エルフの限られた王族にしか伝わっていないのです」


 僕は演武祭でムウちゃんをエルフのクソから奪う時に、彼らが森の賢者がどうのこうのと言っていたのを思い出した。


 女帝の言う寓話が真実なのだとすると、南方の魔王と森の賢者が同一人物である可能性は高い。


 それに、一度だけ見た南方の魔王の憎しみに満ちた目。


 あの目を見た僕は、まるで怒りと憎しみに心を奪われた自分自身のように感じた。


 森の賢者は愛する人を惨たらしく殺された。


 もしも、ハティナが同じ目に遭ったら?


 もしも、イズリーが同じ目に遭ったら。


 きっと僕も、同じ目をして同じ道を歩んだに違いない。


 自覚している。


 僕の怒りに、際限はない。


 慈悲も容赦もないし、およそ人の持つ倫理観なんてもんからはこの星の半周分はズレているだろう。


 これがまるで青鯖が空に浮かんだような顔をしたボンクラが書いた小説の真似事みたいな物語であれば、僕はきっと主人公にはなれないタイプだ。


 それだけのことをしてきたし、この先もそれだけのことをするだろう。


 そもそも魔王なんていう物騒なジョブ持ちだ。


 僕の魂そのものが、みんなから尊敬を集める人間には、そもそも相応しくないのだ。


 プリンシパリアは何かを決心したようにおもむろにドレスの胸元を開いてひとつの首飾りを出した。


 キラキラと玉虫色に輝く首飾り。


「……では、私の呪いをお見せします」


 プリンシパリアが首飾りを取る。


「……な!」


「そ、その姿は……」


 ミキュロスとモノロイ、それにデュトワが声を漏らす。


 どうやら、ミキュロスたちにもプリンシパリアの醜悪な姿が露わになったらしい。


「……ご推察の通り、この首飾りは森の賢者が愛するダークエルフのために造った首飾り。何の因果なのか、呪いを打ち消すことはできませんが、これを身に付けている間は、私の呪われた姿を隠すことができるのです。この呪いは子に遺伝します。私の母も祖母もこのように醜悪な姿をしておりました」


 子に遺伝する呪い。


 プリンシパリアの首飾りは魔道具の類だろうか。


 森の賢者が造った首飾りが、森の賢者がかけた呪いを覆い隠す。


 森の賢者の愛が、森の賢者の憎悪に対向する唯一の手段なのだ。


 プリンシパリアの言うように、こんなにも皮肉な話があるだろうか。


「余とグリムリープ卿にも、其方そなたの真の姿が見えた。……会議の中座はそれが原因だ。余らは其方が魔物であると考えたが、実際のところどうなのだ? 返答次第では、余はグリムリープ卿に助太刀するつもりだ」


 ギレンは剣呑な眼差しをプリンシパリアに向ける。


 僕はプリンシパリアが魔物であるとは考えていなかったのだが……。


 森の賢者の呪いの影響でプリンシパリアの話を聞く限りこいつは人間が魔物のような姿に変えられてしまっている状態である可能性が高い。


「私はご覧の通り醜悪な姿であります。……が、これは呪いによるもの。私は私を人間であると自覚していますし、人類の発展を切に願っているのも本当です」


 それを聞いて何かを諦めたように、エルフの文官がプリンシパリアの言葉を補足する。


「だからこそ、我らは帝国に対して南方不可侵の約定を望んだのです。王家の呪いが未だ解呪されぬまま南方の魔王が滅びれば、陛下の御身に何が起こるか一切の未知数ですから……」


「我が身が惜しい訳ではございません。ただ、我ら王家が滅びればエルフの子らがどうなるかが心残りで……」


 そう答えるプリンシパリアにギレンは沈黙して、切なげな顔をする。


 イケメン好きのミーハーな女子が見たら失神すること間違いなしだ。


 そのくらい、コイツの顔の造形は美しい。


 心底ムカつくことにだがな!


 そんな怒りと同時に僕は、ギレンに呆れていた。


 マジかこいつと。


 だから、僕は敢えてプリンシパリアに投げかける。


「あんたは魔物じゃないんだろう、少なくとも、あんたらエルフの中ではな。……ただし、僕たちがあんたらの言う事を一から十まで信じるかどうかは別の話だ」


 先ほどまでの丁寧な態度は捨てた。


 面倒になったからだ。


 ギレンはハッとしたように僕を見る。


 そう。


 このアホは気付いてなかったみたいだが、僕はプリンシパリアが嘘をついているという線を捨ててはいない。


 全部デマカセって可能性もゼロではない。


 彼女は人間か魔物か曖昧な存在。


 少なくとも、僕たちにとっては。


 ギレンは人を陥れる嘘をつくようなことをしないのだろう。


 きっと、僕とは真逆の主人公気質を持った人間なのだ。


 だからこそ、プリンシパリアが嘘をついている可能性に気付けないのではないか。


 嘘つきで他者を陥れる才能に富んだ、およそ物語の主人公にはなれないであろう僕だけが、プリンシパリアが僕と同じ嘘つきである可能性を考慮できる。


 僕は筋金入りの嘘つきだ。


 なぜなら、僕なんか家族や仲間内にまで嘘を付いている。



 ──転生。


 そのフレーズは、死ぬまで誰にも白状できない僕の嘘だ。



 とは言え、彼女が嘘を騙ったか真を語ったかはすぐに分かる。


「ニコ、出ろ」


 僕が短くそう呟くと、僕の背後に突如として陰陽の具現アストロノーツを解除したニコが現れた。


「な!」


「いつのまに!?」


 エルフの文官と武官、そしてデュトワと不死隊サリエラの護衛がざわめき、モノロイは間抜けな面で「ニコ殿……?」なんて驚いている。


「主さま」


 ニコは目を閉じたまま首を垂れる。


「護衛役以外をこの場に入れるとはどういう了見か!」


 エルフの武官が叫ぶ。


 僕はそれに、ハッキリと答える。


「この者は我が股肱の臣にして我が半身。言い換えれば我らは二人揃って初めて『王国二代目宰相、王国グリムリープ家当主魔王シャルル・グリムリープ』なのだ。つまり、魔王シャルル・グリムリープの入室を許可した時点であんたらはこのニコの出入りも許可したことになるわけだ」


 暴論である。


「暴論だ!」


 エルフの武官に言われてしまった。


 そんな武官の男に、僕はこう返す。


「じゃあ、あんたのとこの女帝さんみたいに奇怪な魔道具で本来の姿を変えんのはアリなのか?」


 論点のすり替え、詭弁である。


「詭弁を使うな!」


 また言われてしまった。


 ニコが殺気を醸し出した時、ギレンが割って入る。


「……無駄だ、そのメイドの強さは余やグリムリープ卿のそれとは次元が違う。余もこれまで多くの強者と出会ってきたが、そのいずれもが彼女と比べれば稚児も同然。赤子と龍を比べるようなもの。龍にこの部屋に入るべからずと言って、果たしてそれが通じるかどうかは龍の気分次第であろう。其方らエルフが種の存亡を賭けてその者を部屋から追い出す様は一興ではあるが、勧めはせぬよ。……余も歴史ある北方諸国共栄会議の場で血を見ることを是とはせぬのでな」


 ギレンの言い様に、僕は笑いを堪える。


 大袈裟でも何でもなく、それが真実だからだ。

 

「ニコ、エルフを滅ぼすなら男だけにしてくれよ? 僕はまだ女エルフを見たことがないからな」


「御意」


 ニコが両目を開いて真っ黒な瞳を露わにした時、プリンシパリアが割って入った。


「お待ち下さい。……よろしいでしょう。開催国議長たる私の権限で、会議への参加を許可します」


「よろしいのですか!?」


 エルフの武官が吠え、エルフの文官は冷や汗を垂らす。


「この小さな少女から溢れる闘気と怒気が解りませんか? この少女は……」


 言葉に詰まるプリンシパリアに、エルフの武官は返す。


「僭越ながら陛下、人の強さとはその魔力と体躯に拠るものです。……この少女がいかに我らを威嚇しようと、純然たる強さで言えば我らに勝るはずもありません。……スキルでしょう。臣の読みでは、自らをより強く見せる権能を持ったスキルかと。お命じいただければ、化けの皮を剥がして進ぜましょう」


 チャレンジャーだ!


 あの蒼髪の男エルフ以来のチャレンジャーだ!


 エルフの男は大嫌いだが、イズリーに突っ込んでいった蒼髪のエルフの様なエルフ男子特有のチャレンジング精神に関して言えば、僕はとても快く感じる。


 僕は呆れ顔のプリンシパリアとエルフの武官に向けて言う。


「わかった、わかった。……見せなきゃ納得しないんだろ?」


「グリムリープ卿、しかしそれは──」


 焦るプリンシパリアを遮って、エルフの武官は腰に佩く剣の柄を握ってカチリと鳴らした。


「私もエルフ国ではそれなりに名の通った剣士の一人。手心は加えられませぬが、よろしいな?」


 エルフの武官はよほど腕に自信があるらしい。


 僕の持つ最強の手札である人間兵器、グリムリープ家メイド長ニコちゃん様をエルフにお披露目しておくのは、政治的にも有効だろう。


 こちらの武力の一端を見せることは、エルフに対して楔を打つに等しい。


 それに、エルフの武官とニコが戦うのは、僕にとってはこの上ないエンターテイメントだ。


 なぜなら、クソッタレなエルフの男がまた一人、王国の美少女にボッコボコにされる。


 これほど興を唆られることがあるだろうか?


「ニコ、殺さない程度に殺戮しなさい」


 僕のめちゃくちゃな要望に、ニコは薄い笑みを浮かべて答える。


「御意。……我が主さまに、そこなる愚物のハートを捧げましょう」


 大きな円卓を挟んで向かい合っていたニコとエルフの武官が、ゆっくりと移動する。


 円卓を避けるように、互いに間合いを計りながら近づく。


 二人の距離がおよそ半歩分まで迫った時、エルフの武官が口を開いた。


「得物は持たぬのか?」


 ニコは答える。


「弓も剣も嗜みますが……申し訳ありませんが、あなた程度がお相手ならば無用の長物でしかないかと」


「……ほう、素手で向かうつもりか? 手心は加えぬと言った筈だ。この間合いなら、私の剣が先に届く」


「ほんとうに?」


「……?」


「試してみてはいかがでしょう?」


 次の瞬間、エルフの武官が腰の左側にぶら下げた剣に手を掛けた……が、その剣が革製の無骨な鞘から引き抜かれることはなかった。


「──!」


 ニコの右手の人差し指が、エルフの武官の剣の柄頭を抑えている。


「剣は抜かねば届きませんよ?」


「は……速……」


「それから、心臓がなければ人は生きてはいられません」


 ニコの左手に、真っ赤な果実が握られている。


「え? そ……それ……」


 左胸にぽっかりと穴の空いたエルフの武官は一転して弱々しく呟く。


 ニコの持つ果実は、一度だけドクンと鼓動を打った。


「心の臓を頂戴しました。……言った筈ですよね? あなたのハートを主さまに捧げると」


 そして、エルフの武官は空中に両腕を残して膝から崩れた。


「あ、あ、ああ……」


 遅れて、彼の両腕が床にポトリと落ちる。


 ニコは両目を開いて邪悪に微笑む。


「手心は加えぬと申されたので、その『手と心』はもう必要ないものかと……」


 僕は彼の名前も素性も知らないが、女帝の護衛に選ばれる程の剣士だ。


 国でも一番の腕利きと言えるだろう。


 そんな強者を相手にして、彼女は一瞬でその両腕と心臓をもぎ取った。


 ギレンが言ったことは、でまかせでも大袈裟でもない。


 真実なのだ。


 ニコはその場に崩れ落ちたエルフの武官に向けて素早く再生リプロを掛ける。


 すぐにエルフの武官の切断された両腕が再生し、左胸に空いた大きな穴が塞がった。


 ──殺さない程度に虐殺。


 魔王の無謀な注文オーダーを、彼女は一言一句違うことなくやってのけた。


 実際、ガチの心臓を捧げられて何を思えば良いかわからないし、僕は古代マヤ文明の神様か何かなのだろうか。


とは言え、とにかくエルフの男が一泡吹かされたという事実に、僕はこの上なく痛快な気分になった。

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