第251話 落胆

「何かわかったか?」


 ギレンが僕に尋ねる。


「……うるさいな、今集中してるんだ」


 僕は目を閉じ、地下保管庫の一角に置いてあった樽の上で胡座をかいて意識を飛ばす。


 夜王カーミラだ。


 エルフ国に潜む蝙蝠を支配下に置き、絶賛偵察中である。


「ギレンさま。主さまのお邪魔をしないでください。……殺しちゃいますよ?」


「……っ! グリムリープ! 貴様、従者にどういう教育をしているのだ!」


「ギレンさま。わたくしを悪く言うのは良いのですが主さまを悪様に言うなら……やっぱり殺しちゃいますよ?」


 ほんとにうるさいな君たち!!


 仲良くしなさいよ!


 同盟結成した次のページで勇者殺しちゃダメでしょ!


 色々と!


 メタファー的にも色々と!!


 僕は謎の心配で叫びたくなる。


 その時、僕が操っていた蝙蝠が円卓の議場に到着した。


 守衛が入り乱れる議場で、各国の首脳たちが騒つく。


『しかし、王国宰相グリムリープ殿と帝国皇太子マルムガルム殿は一体どこへ消えたのやら』


 ドワーフの王、繚乱公が言った。


『我が腹心ながら、余もあの者の心内は読めぬところが多いのであるかな。……まあ、おそらくは何か考えがあってのことであるかな』


『不祥モノロイ、一生の不覚である。シャルル殿とギレン殿下が急に消えたことにすら気付かぬとは。今の今まで、我の隣にいたというのに……』


 なんだか様子がおかしい。


 僕の操る蝙蝠が彼らの会話を聞くが、僕がエルフの女帝に対して戦闘態勢を取ったことに触れる人間が一人もいない。


『あらあらぁ、不思議ですねぇ〜。入室した時のことは覚えているのに、まるで記憶の一部分が失われたみたいですわぁ』


 モンスターじみたエルフの女帝が言った。


『守衛共! これから北方諸国共栄会議が始まる! 控えよ!』


 女帝の護衛が守衛に向けて叫ぶ。


『あ、あれ? 俺ら、何でこの部屋に来たんだっけ?』

『そりゃお前、あれだろ……。……何だっけ?』

『ここに勢いよく入ったのは覚えてるぞ!』

『えーと、確か何かで呼ばれて、それから……あれ?』


 守衛たちもこの様子だ。


 数年前、ニコ欲しさに愚かにも王国領を脅かし磔平原で王国軍に一方的に蹂躙され、僕に捕らえられて拷問きょういくを施された皇国の元首、大教皇ルーゴン・ゴンドールに至っては恐怖に慄き『か、神がお怒りなのでは……』などと呟いている。


 僕は片目を開いてニコに言う。


「なんか……みんな忘れちゃってるみたいなんだけど?」


「策が通りましたね」


 ニコが笑顔で言う。


「策? 一体全体どういうことだ! あれだけの出来事をあの場にいた者全員が忘れる? ありえん!」


 ギレンはニコに問い詰める。


 しかし、騒然とした空気になっている議場の中でただ一人だけ落ち着き払っている人物がいた。


 皆が一様に頭の上にクエスチョンマークを浮かべる中で、彼だけが異質の存在。


 僕は蝙蝠越しの視覚だったが、それはあまりにも目立ち過ぎていた。


 目の前に出されたお茶を優雅に飲み、まるで自然体とでも言うべき人物。


 新興国クロウネピアの仮初の支配者、抜足ぬきあしのミザハである。


「ミザハだけが落ち着いているけど……」


 僕の言葉に、ニコはやっぱり笑顔で頷く。


「ミザハが持つスキル、絞首の忘却スリップノットです。わたくしがこちらに来る前に、一度円卓の間に寄った際にミザハに指示しました。彼が裏切るかどうかが五分の賭けでしたが、これで分かりました。ミザハは心より主さまに屈服しております。少なくとも、現段階では……」


 絞首の忘却スリップノット


 僕も簒奪の魔導アルセーヌ で奪って持っているスキルだが、今の今まで忘れていた。


 相手の記憶の一部を封印してしまう、使い方によってはかなり凶悪なスキルである。


 簒奪の魔導アルセーヌ で奪うのはスキルの熟練度なので、ミザハがこうしてまた絞首の忘却スリップノットを使っていること自体は何ら不思議ではない。



「……つまり、新興獣人国のミザハのスキルで記憶を封じたということか」


 僕から説明を聞いたギレンが得心いったように言った。


「ひとまず、僕とギレンの愚行は隠しおおせたわけだな」


「何故貴様と余の共犯になっておる! 貴様の愚行を余が庇ったのだ!」


「まあまあ、細かいことはいいじゃない。そんなにカリカリしなさんな」


「グリムリープ! 貴様というやつは! 全く、貴様のようにいい加減な人間がこのニコやら言う知恵者やモノロイのような強者を魅了し従えておるのが納得いかん!」


 ギレンは怒ったように言う。


「……? モノロイを知っているのか?」


 意外だと思った。


 ギレンの口から強者という引用で出た名前がイズリーやライカ、あるいはミリアやハティナならば頷けるのだが、モノロイが真っ先に出るのはどういうことだろうか。


 ギレンとモノロイの間に面識がないとは言わない。


 さっき円卓の間に行く前にも、ギレンはモノロイと顔を合わせているからだ。


 しかし、そうだとしてもモノロイではイズリーには敵わない。


 ハティナやミリアや、ましてやライカにすら。


 先の獣人国平定戦、軍事的意味で最たる活躍を遂げたのはイズリーだ。


 今やイズリーはエルフたちにまで二代目震霆なんて呼ばれるくらいの名声を得ているし、国に帰れば莫大な恩賞に加えて大隊長くらいまでなら余裕で昇格するだろう。


「『鉄人』モノロイ・セードルフ、だったか? 帝国では『鉄槌』のモノロイと呼ばれているが……。知っているも何も、今や我が祖国で最も恐れられているのは生きる亡霊『震霆』パラケスト・グリムリープでも二代目震霆『暴鬼』イズリー・トークディアでもない、ましてや『魔王』のグリムリープでもな。……彼だよ、帝国での軍教育で唯一、『戦場で見たら一目散に撤退せよ』と教えられている王国魔導師は」


 マジかよ。


 モノロイのくせになんかカッコいい感じになってるじゃねえか。


 やはり、なぜか釈然としない。


「……それホントにモノロイか? 誰かと間違えてないか?」


「間違えてなどおらぬ。モノロイ・セードルフは王国との国境の樹海に展開した千の帝国軍をたった一人で壊滅に追いやったのだからな」


 あー……。


 そう言えばそんなこともあったなあ。


 僕たちが深淵と呼ばれる魔物、エンシェントを倒す直前のことだ。


 ジジイのところで修行中だった、まるで北京原人みたいなモノロイが千人規模の帝国兵を一人で倒したのだった。


 モノロイは巌骨一徹スタボーンという自らの名を明かさなければ起動しないスキルを持っている。


 おそらく、帝国兵を倒す時に自ら名乗ったのだろう。


 ギレンは忌々しそうに歯噛みしながら言う。


「あの魔導師の所為で、エルフなどと言う信の置けぬ者供と組む羽目になったのだ……」


 ギレンに対し、僕はコウモリを操りながら返す。


「王国への軍事的プロモーションでむざむざ軍を失わせ、国での立場が危ぶまれた……ってところか?」


「それもあるが、あれは王国への示威行為などという安っぽい理由ではない。……当然、軍を動かすことで王国を刺激することは予想されたがな」


 王国と帝国、両者が領有を主張する樹海近隣に兵を展開し軍事的アピールをすること以外に、ギレンには何か目的があったのだろうか。


 あるいはこの場にいるニコであれば、その理由も読み切ってしまうのだろうか?


「あれが示威行為じゃないってなら、どんな理由があったんだよ? あの時は僕も王都から引っ張り出されて大変だったんだぞ」


「なるほど、目的はエンシェントでしたか」


 ニコが呟いた。


 ギレンは舌打ちしてから、苦々しい表情で言う。


「国家機密だ……と言いたいとろだが、ここまで鮮やかに見抜かれると、隠す気も失せるな。……そこのメイドの言う通り、あの軍は深淵エンシェント討伐軍だ。かつてエルフ国、獣人国、王国の三国連合軍をたった一体で退け、貴様の祖父である震霆の麾下を崩壊させるほどの力を持つ魔物だ。樹海に展開した軍の目的は、それの討伐さ」


 深淵エンシェント。


 ジジイの仇敵でそのためにパラケストは森に四十年も縛られていた、まるで鹿の頭骨を被った枯れ木のような魔物。


「肝心の討伐軍は余が帝都から合流する前にモノロイに倒され、それからすぐにエンシェントは森から姿を消したがな」


 そう言ってギレンは悔し気に握り拳を作る。


 コイツは一から十までムカつく野郎だし、キザったらしくて心底不快だし、そのくせ変なところはシャイだし、はっきり言って絶対に友達にはなれない部類の人間だ。


 学校の教室だったら、陽キャ軍団を率いるクラスカースト上位にいるであろう人間だ。


 僕と対極。


 それでも、ギレンは魔物は嫌いだと言っていた。


 魔物から人類を守りたいという、信念は感じる。


 エルフと協力して僕たちの魔王討伐を阻止しようとしてはいたが、それでも良き王であろうとはしていた。


 以前、演武祭で話をした時も、そこだけは本物なのだろうと感じた。


 自身の正義に目が霞み、他者の正義を置いてけぼりにしがちだが、少なくとも私利私欲で動く人間ではないことは分かる。


 だから、僕は言った。


「その魔物、もうどこにもいないよ。少なくとも、樹海にはな」


 ギレンは目を見開く。


「どういうことだ?」


「あの時、樹海前に展開した帝国軍に対応するために樹海の南側に僕たち王国軍も兵を集めたんだ。で、イズリーのワガママ……いや、成り行きからエンシェントと戦うことになってな。……で、討伐した」


「そうか……貴様らなら、あるいは」


 ギレンは何やら悲しそうな目をした。


 僕にはそれが、少し引っかかった。


「まあ、結果的にはお前が行かなくて良かったじゃないか? こっちは魔物特効のジョブ持ちが『魔王』の僕と『聖女』のニコと『戦鬼』ライカ、それに『賢者』のムウちゃんまでいた。そこに『暴鬼』イズリーと『慧姫』ハティナ、『凍怒』のミリアにお前らの大好きなモノロイ、おまけに震霆パラケストがいてギリギリ倒せた感じさ。お前一人じゃ、今頃は頭もぎ取られて軍隊丸ごとエンシェントのお人形さんになってただろうよ」


 ギレンは怒ると思っていた。


 僕の軽口に、「無礼な! 余が負けるものか!」なんて言って。


 ギレンの反応は意外なものだった。


 落胆したように、ギレンは呟く。


「特別なジョブ持ちが四人に、演武祭で名を上げた猛者に加えて伝説の魔導師か……錚々たる全力だな。……やはり、余では救えなかったか」


 そう言って、ギレンは押し黙った。


 ため息のように弱々しく消えたギレンの最後の言葉。


 まるで何か大切なものを諦めたような、諦念にも似た落胆のニュアンスが妙に僕の頭にこびりついた。

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