第247話 決裂

 なるほど。


 どうやら、アスラが言っていたギレンに仕える腕利きの参謀とはデュトワのことだったらしい。


 彼に賢い印象はなかったが、今にして思えば演武祭での時、帝国が総力を挙げて捕らえようとした僕たち王国勢を死地から逃した手際は見事なものだった。


 特に帝都は彼らの庭と言って良いような場所。


 そんな虎口から、気取られることなく僕たちを逃すわけだから、並の手練手管では上手くいかないだろう。


 それに、そんな明白な裏切りをした後でもこうしてギレンの側近としてその地位を確立しているところを見ても、彼はかなり優秀な人材なのだろう。


「デュトワ、久しぶりだな! お前、ウチに来いよ! 落ち目の帝国より、飛ぶ鳥を落とす勢いのリーズヘヴンの方がお前の力を活かせるはずだぜ?」


 僕の勧誘にデュトワは首を振る。


「……かもな。でも、わかってるだろ?」


 デュトワは多くを語らなかった。


 それは演武祭最後の夜、あの時の会話が全てだと、そういうことなのだろう。


「そこの似非えせ勇者には勿体ない人材だ、お前は」


 僕は心底口惜しくなる。


 立場が上がれば上がるほど、信頼のおける優秀な人材は足らなくなる。


 そういう類の賢人は、多ければ多いほど良いのだ。


 僕はデュトワを獲得できない我が身を呪う。


 いっそ、ニコに頼んで離間計でも仕掛けようかと思ったがそれはやめた。


 きっと、それはデュトワの幸せとは程遠い行為だろうから。


「シャルル・グリムリープ、似非という言葉を除けば、確かに貴様の言はもっともだ」


 意外にも、落ち着きを取り戻したギレンは僕にそう言った。


 彼は続ける。


「余はデュトワを侮っておった。演武祭で貴様ら王国勢を逃がした時も、余はデュトワを処断しようと思ったのだ。……が、今は思い止まって良かったと思っている。この者は正しく、余には過ぎたる忠臣だよ」


「……ほう──」


 僕は『お前もわかっているじゃないか』なんて言いかけたその言葉を呑み込んだ。


 呑み込んだ上でこう続けた。


「──で、僕たちを待ち伏せしてた理由は何だ?」


 僕の問いにギレンは答える。


「詫びだ」


「詫び?」


「演武祭の時、貴様らを殺そうとしたことを詫びるつもりだった」


 到底、信じられる言葉ではない。


 詫びと言う割にはモノロイが臨戦態勢に入るくらいの殺気を放っていたし、申し訳なさそうな感じもない。


 そもそも、こちらが許せる限度は当に超えている。


 僕は頭と身体がグッバイする寸前までいったわけだし、何より双子が危険に晒されたのだから。


「今さら過ぎる申し出だな」


「そうであろうな」


 勇者ギレン・マルムガルム。


 一体全体、何が狙いなのだろうか。


 今に至って『これからは仲良くしようね』なんてことにはならないのは、彼らも解っているだろうに。


 僕が言葉に詰まっていると、デュトワが口を開く。


「獣人国の戦役は、お前が南方の魔王を討伐するまで帝国を南下させないための楔だろう? 兄弟、お前には悪いがその策は通らない。何故なら、俺たち帝国はリーズヘヴンに敵対することになるだろうからな」


 デュトワは言った。


 言ったが、彼らがそれを僕に言うことになんのメリットがあるのかがわからない。


 しかし、帝国にとって王国主導による南方解放は都合が悪いのは確かだ。


 帝国は大陸南方とは王国を隔てることで隣接していない。


 だからこそ、これまで南方大陸からの大掛かりな魔物による侵攻の被害を被っていなかったのだ。


 帝国と魔物の領域に挟まれた王国が、未だに小国となる一番の理由である。


 定期的に行われる南方からの魔物による侵略は、王国から大いにその国力を奪ってきた。


 帝国にしてみれば、だからこそ都合が悪い。


 南方解放が成れば、必然的に王国の背後に巨大な空白地帯が突如として出現することになるわけだ。


 それはつまり、帝国が解放された大陸南方に領土を求めれば必ず王国と衝突することを意味する。


 逆に王国は北方諸国を自領でブロックした状態で豊かな大陸南方を独占的に支配下に置くことができる。


 奇しくも、人間を滅ぼさんとする南方の魔王の存在そのものが今の北方諸国のパワーバランスを保っているのだ。


「だとしても、獣人国は王国の傀儡だ。お前ら帝国だけでは無理だろ」


 僕の呟きに、デュトワもギレンも沈黙した。


 そして、僕の頭の中で点と点が繋がる。


 ──エルフ国が動いた……か。


 そもそもこの世界の大半の人間、少なくとも国家の主権を持つ者たちは南方の魔王の討伐など望んでいないのだ。


 もしも、ある日突然、世界の広さが倍になれば何が起きるだろうか。


 まず最初に、世界中の商人がこぞって新大陸を目指すだろう。


 商人が動けば金が動く。


 金が動けば国が動く。


 その先には安定までの動乱がある。


 戦争。


 新たな大陸を食い合って情勢が安定するまで、北方全ての国を巻き込んだ世界規模の闘争が始まるわけだ。


 エルフ。


 全く忌々しい種族である。


 人口の九割が男でむさ苦しいだけでも万死に値すると言うのに、その大多数がイケメンで誇り高く、性格も悪い上にことごとくが僕の覇業の邪魔をしてくる。



 沈黙を貫いていたミキュロスが、おずおずと口を開いた。


「エルフ国はリーズヘヴンと同じく、大陸南方と接しておる故、その解放は彼らに有利に働くと思うのであるが、何故エルフ国は余らの邪魔立てを致すのかな?」


 ミキュロスも知恵の回る男だ、彼もエルフ国の介入に気付いたらしい。


 エルフ国側から見た南方解放の利点について推察するミキュロスに対して、デュトワは不遜な態度で答える。


「さあな。……奴らの考えは読めねーが、アイツらどうやら魔王を滅ぼされると困る理由があるらしい。エルフの事情は知らねーが、ただ俺たち帝国は南方が解放されれば確実に国力を落とすことになる。……俺たちは俺たちで、自衛のためにリーズヘヴンと敵対しなけりゃ生き残れねーんだ。シャルル、お前には悪いと思っているが、俺たちの世代での南方解放は諦めてもらう」


 そんなデュトワに、モノロイは激怒した。


「今この瞬間も、無辜なる民草が魔物の脅威に晒されておる! それでも貴殿らは自身の保身を取ると言うのか!」


 僕は思った。


 モノロイの言葉は正論だ。


 でも、そうじゃない。


 そうじゃないんだ、モノロイ。


 誰だって、魔物なんかいない方が良いに決まってる。


 それでも、自国の民が貧しくなるのを許容できる主権者はいない。


 いや、それを許容すればたちまち、自国の民に剣を向けられるのだ。


 そうやって、国は滅びては生まれ、生まれては滅びるのだ。


 帝国が僕たちの邪魔をするのは、当然なのだ。


 激昂するモノロイに、不死隊サリエラの戦士が警戒するように身構え、それを制するようにデュトワが答える。


「モノロイよぉ、俺らだって譲歩してるんだぜ?」


 それこそ詫び、なのだろう。


 ギレンの言う詫びとは謝罪などではない。


 国家間の取引という非常に価値の高い情報を敵側に渡すことで、王国帝国間の因縁を収めようとしている。


 あくまでも、彼は僕たち王国とフェアに戦う腹積り。


 が、それすら彼らにとってはただの体裁に過ぎない部分があるだろう。


 帝国とエルフが繋がったという情報を自ら僕に教えることで、王国と獣人国対帝国とエルフ国という図式を生み出す。


 互いの地理的配置と国力を総括して考えれば、四カ国の状況は膠着する。


 僕たちに頭を下げる姿勢を見せながら国家間に緊張による膠着状態を作り出す、政治的に高度な駆け引き。


「詫びってのは、そういうことか」


 僕の言葉に、ギレンは答える。


「理解してもらえたようでありがたい。何も余らは進んで王国と戦端を開こうというわけではない。余らが望むは現状維持のみ。……この数年で総合的な国力を以前の数倍にまで高めた貴様らリーズヘヴンに損はあるまい。貴様らが魔王討伐を諦めれば、全て丸く収まるのだ。逆に、この申し出を断るならば北方にて現状最強の二カ国を相手取ることになる。……魔王シャルル・グリムリープ──」


 ギレンは両眼に力を込めて言った。


「──南方魔王の討伐を諦めよ」


 ギレンの言葉は、悔しいがその通りだ。


 王国と帝国の国力の差が埋まった今であれば、国と民のことを考えれば南方は今のまま封鎖されているほうが双方にとって都合が良い。


 いくら王国が戦力を上げたと言っても、内乱の傷跡深い獣人国と、その獣人国との戦役で消耗した王国では、万全な状態の帝国とエルフ国が相手では分が悪い。


 彼の申し出はつまりそういうことだ。


 ギレンは敢えてこの膠着状態を維持することを、かつての詫びだと言っているわけだ。


「ギレン、あんたの言うことはもっともだ。拮抗した戦力を背景にした膠着状態、王国に損は無い。ここ数年で俺たち王国が作り上げたアドバンテージは大きい。内では騎士家閥を含む王国全土を網羅する貴族階級の掌握、今や伝説級にまで有名を轟かせる傭兵団、魔王の尖兵ベリアルによる闇市場の管理体制、魔王の精鋭アザゼルという対魔導師戦に絶大な戦果が期待できる軍団の新設、ここにいるモノロイや二代目震霆イズリーのように優秀な魔導師の台頭。外では獣人国の実質的な支配権、皇国上層部との内通、今後成るであろうドワーフ国との協定。僕たちリーズヘヴン王国は、最早弱小国とは呼べないまでの成長を遂げたわけだ。獣人国での支配権をこのまま強めれば、世界最強の国家はリーズヘヴンとなるだろう──」


 僕は言葉を続ける。


「──だから、そう、お前の言う通り長期の膠着状態は僕らにとって望ましい展開だ」


 僕の話の流れを察し、ギレンとデュトワの緊張が途切れたのがわかる。


 僕からは噛み殺した笑いが溢れる。


「……くくく。このセリフ、一度は言ってみたかった──」


 ギレンの目を見て、ケレン味たっぷりに僕は口を開く。


 天才漫画家のスタンド使いのように、僕は冷徹に逡巡することすらなく言う。


「──だが断る!」


 デュトワが頭を抱え、ギレンが落胆するように肩を落とす。


 しばらくの沈黙の後に、ギレンがこう言った。


「人類の発展を想う貴様の理想は立派だがな、貴様は祖国が滅びても良いと申すか? ……魔王とは言え、国の民を思う心が貴様にもあると思っていたのだがな」


「ふん、お前は勘違いをしている。僕は魔王だ。……人類の発展? 知ったこっちゃねえ──」


 そう。


 僕はそんなモノに興味はない。


「──人類なんてデカい主語を出したところで、みんなやってることは自分の周りのことだけ」


「……余は違う」


「いいや、断じて違わない。お前は帝国という自分の家を守りたいだけだ。お前の決断で影響を及ぼされる人数が半端じゃないほど多いだけで、それは突き詰めれば個人的なことさ」


「……」


「それは僕も同じだ」


「……敢えて、我らの申し出を断る理由を聞こうか」


「僕は人類も王国もどーだって良いんだ。僕が死んだ後なら、好きに滅びてもらって構わない」


「……ならば何故、南方という禁忌に手を出すのだ。貴様が我らとの密約に乗りさえすれば、貴様の生きている間はその平穏に手出しはせん」


「僕がかったりい演武祭を全力で戦い、権謀術数の果てに国で最高権力である宰相の地位を奪取して、他国である獣人国を平げた理由はただ一つだけ」


「……その理由とは?」


「恋人とのキスだ」


「……事ここに至って下らぬ冗談はよせ、真の理由を聞かせよ」


「ハティナとのキスのためだ! ……あとついでに、とある怠け者との約束のため」


「……そんな下らぬ理由で南方の魔王を打倒しようと?」


「ああ? 下らぬ、だと? ……てめえの国、いいや、この世界の文明ごと滅すぞ」


「……」


 ギレンは黙って僕を睨む。


「……なんだよ」


「……本気、なのか?」


「本気と書いてマジだぜ」


 ギレンはため息を吐き、そして背を向けて言った。


「下らぬ時間を過ごした。……これにて失敬する」


 彼ら三人は僕たちを残し、先に議場に入って行った。


 帝国とは決裂した。


 察して、ミキュロスが言う。


「戦になるのでしょうかな?」


「さあな。……邪魔するなら滅すだけだが、ニコが上手くやるんじゃねーか?」


 僕の軽い口調に、モノロイが答えた。


「アスラ殿であれば、『やれやれ』などと申して肩を竦めるのであろうな」


 そう言って、大男は呵々と笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る