第245話 ニワトリ

 三日後。


 帝国の勇者、ギレン・マルムガルムがエルフ国入りを終えたらしい。


 エルフの王城は広い。


 それにエルフ国の配慮もあったのだろう、僕たちリーズヘヴンとマルムガルムの使節が接触することはなく、クソッタレな勇者と僕が再会を果たすこともなかった。


 いよいよ北方諸国共栄会議が開催されることになり、僕とアスラは最後の会議を行っていた。


 部屋には僕とアスラ、そして何故かついて来た双子とニコしかいない。


「アスラ兄さん、ドワーフ国との折衝は?」


「彼らは食いついて来たよ。元々、ドワーフは金属加工で財を成した民族だ。領土が隣接している獣人国の鉱山は、彼らからすれば垂涎ものだったのだろう」


「なら、あとは帝国とエルフ国を相手にどれだけ有利な交渉を進められるかですね」


「帝国もエルフ国も、リーズヘヴンを攻めれば獣人国に背後を脅かされる。大きく動くとは思えないが……」


 そう。


 獣人国の実質的な支配という楔がある以上、彼らの軍を領地にピン留めすることは可能だろう。


 しかしそれは、彼らがそれぞれ単独であればだ。


「僕が危惧しているのは、エルフ国と帝国が軍事同盟を結ぶことです」


「……? その二カ国が連携すると……! そういうことか!」


「ええ、どちらかがリーズヘヴンを脅かし、どちらかが獣人国を攻める。……それだけで、獣人国という楔は簡単に意味のないものになります」


「……確かにそうだ」


「ドワーフ国はリーズヘヴンがどうなろうと獣人国の鉱山権益という実利を得るわけですし、皇国もリーズヘヴンが倒れる分には願ったり叶ったりでしょうから、この二カ国から戦争での協力を取り付けるのは困難。つまり、少なくともエルフ国と帝国のどちらかと不可侵条約を結ばなければなりません。もしくは、エルフ国を滅ぼし、ダークエルフの女の子を救い出すことが得策でしょうね」


「まだ言ってるのか君は……」


「……冗談ですよ」


「目が泳いでいるが?」


「……60%くらいしか本気じゃないです」


「……」


「70……いや、80……85%くらいしか本気じゃないです」


「そこまでいけばもうやる気満々じゃないか!」


 エルフ国を滅ぼすというのはもちろん本気じゃないし現実的でもないが、エルフ国を封殺するくらいの手は打ちたいところではある。


 何か彼らを出し抜く手でもあれば御の字なのだが。


 少なくとも、帝国とエルフが結びつくことだけは阻止しなければならない。


 例え、それがどちらかの国を滅ぼすことになるとしても。


 僕の気持ちを悟ったのか、常に側に侍るニコが口を開く。


「先刻入城を果たしたギレン・マルムガルムですが、既にエルフの高官と何かしらの交渉を行ったそうです。強い自尊心を持つギレン・マルムガルムがエルフ国の女帝ではなく一介の官僚と交渉したことから、やんごとなき事情があるものと想像できます」


 既にギレンは動いているらしい。


 彼女がその情報をどこから引っ張ってきたのかは分からないが、情報戦や謀略戦においては他の追随を一切許さない程の才覚を持つニコのすることだ、聞くだけ野暮というものだろう。


「アスラ兄さん、こちらもエルフ国とは話し合いを持てているんですか?」


「いや、獣人国の戦役もあってだろうが我々はかなり警戒されていてね。……それに、エルフ国を治めるのは女帝なのだが、彼女はまつりごとにはほとんど参加しないそうだ」


「エルフの女帝……なるほど、これはリーズヘヴン王国にて最高権力者たるこの僕が直々に会わなければなりませんね!」


「やれやれだよ、全く。……しかし、そういった事情があったからこそ──」


「そういった事情があったから、ギレンは官僚という裏口から交渉を始めたわけですか」


「……だろうね。与し易しと考えたのだろう。エルフは恬淡寡欲に見えて実に合理的で強欲な種族だ。……官僚による政治腐敗も横行しているというくらいだからね」


「ま、彼らも人間ですからね。貴族が腐敗してるのは、王国も似たようなものですし」


「君らしい意見だが、王国貴族の政治腐敗は我々が実権を握って以降だいぶ減って来ている。……これまで甘い汁を吸ってきた彼ら王国貴族にしてみれば、忌々しいことだろうがね」


「ま、政治腐敗は絶対に無くなりませんよ。人間が政を執り行う限りはね」


 僕はそこまで言って、ニコに向き直る。


「ギレンが何を交渉したのか、そしてエルフ国の誰と接触したのかはめくれているのか?」


「いいえ、主さま。ギレン・マルムガルムにはかなり知恵の回る参謀がいるらしく、なかなか尻尾を掴ません」


 ニコ相手に情報戦で互角に渡り合うあたり、相当に頭のキレる参謀なのだろう。


「……なら、そこから調べるか。ニコ、できるか?」


 僕はニコに問う。


「御意」


 ニコは静かに頷き、そして何か思いついたようにこんなことを言った。


「……時に主さま。話は変わりますが、この辺りの鶏はよく鳴くそうですよ。……今宵は鶏を使った料理などいかがでしょう?」


 鶏を使った料理とは、よく言ったものである。


 ニコの提案、これをそのまま鵜呑みにしてアホなイズリーのように「おー、いいね! 鶏肉食べたい!」などと答えてしまえば後には凄惨な結末が待っているだろう。


 彼女はこう言っているのだ。


 自分にとってみれば、ギレンに侍る参謀などうるさい鶏程度であると。


 そんな小鳥など、歌わせてから絞めてしまおうと。


 優秀だというギレンの参謀から情報を引き出し、殺すのはどうかと。


 これはそういう意味の言葉だ。


 ニコは冷徹さと残忍さと忠誠心を混ぜて煮詰めたような少女だ。


 付き合いの長い僕にだけ通じるように、彼女は暗殺などという物騒な言葉を使わずにそれを伝えたのだ。


 そんなニコに僕は答える。


「……それも一興ではあるが、とは言え殺生は好まぬ。それに、郷に入っては郷に従えと言うからな。草食だというエルフの流儀に合わせようじゃないか」


 エルフはベジタリアンが多い。


 城で出される食事も、野菜が中心だ。


「……御意。では主さま、すぐに支度に取り掛かります」


 ニコはゆっくりと昏い瞳を閉じて微笑んでから退室した。


 僕とニコの会話を不思議そうに聞いていたアスラは何かを感じ取ったように口を噤んでいた。


 部屋に流れる沈黙を、例のアホの娘の声が切り裂く。


「えー! またお野菜なのー? もうイヤだー! 肉が食べたいー! お菓子が食べたいー!」


 完全な駄々っ子の様相で身体を左右にゆするイズリーの隣で、ハティナが静かに「……わがまま言わないの」なんてことを言った。

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