第244話 空中戦

「シャルル君」


 冷たい笑顔を貼り付けたアスラが、ムウちゃんを連れ帰った僕の名を呼ぶ。


 エルフの王城、リーズヘヴンに与えられた部屋で、アスラの説教が始まった。


 テーブルを挟んで対峙するアスラの目は、完全に怒りに染まっていた。


 彼は腹の奥底で怒りを燃やすタイプのようだ。


 すぐ態度に現れる僕とは正反対と言える。


「……はい」


「街に出ていきなり騒ぎを起こしたと聞いたが……」


「……えーと、ええ、少し」


「ムウさんを見失ったのはこちらの落ち度だが、君自身がエルフの看守たちを攻撃したと報告を受けたのだが……」


「えー……と、そんな気がしないでもないです」


「あれほど、騒ぎはごめんだと言ったはずだが……」


 テーブルの向こう側から僕に詰め寄るアスラに向けて、部屋に備え付けられたソファで愛用のグローブを磨いていたイズリーが僕に代わって答える。


「めんぼくないですねえ」


「……」


「……」


 僕とアスラの間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。


 アスラは一度咳払いをして呟いた。


「……爺上様が言ってたのはコレか。確かにコレは……抗い難いものがある」


 アスラと僕の祖父であるモルドレイも、イズリーの『めんぼくないですねえ』という言葉にはペースを乱されがちだった。


 それもそう。


 当然のことなのである。


 これだけ可憐で純粋な少女に大きな瞳で見つめられながら『めんぼくないですねえ』なんて言われてみろ、たとえ親の仇であったとしても秒で許してしまうだろう。


 僕はアスラの、モルドレイそっくりな反応に満足感を覚える。


「当然です。イズリーほど尊いものはこの世界にただひとつしかありません。そう、ハティナです」


 僕の自信満々な様子を見て、アスラは何やら呆れたようにため息を吐いてから言った。


「やれやれ、しかし、我々の交渉は難航しそうになったね。まだエルフの女帝から直接の苦情は入ってないが、交渉の材料にはされるだろうね。それに、帝国は敵対するだろうし、ドワーフ国の調略も済んでいない」


 アスラは疲れ切った様子だ。


「アスラ兄さん、僕に考えがあります。ドワーフ国はどうにかなるでしょう。エルフ国は滅ぼせば問題ありませんので、あとは帝国だけですね。ギレンの馬鹿がどう出るかですが……」


「待ちたまえ! エルフ国を滅ぼすと言ったかい?」


「ええ、だってダークエルフの女の子を檻に入れるような連中ですよ?」


「ダークエルフ……。なるほど、エルフと揉めた理由はそれか──」


 アスラは部屋の隅の方で三角座りで野菜ジュースをチューチューと吸っているムウちゃんを見た。


「──エルフ国についての物騒な話は置いておいて、ドワーフをどうにかすると言うのは?」


「ふふふ。良くぞ聞いてくれました。ニコ」


 僕に呼ばれて、僕の背後に控えていたニコが僕とアスラの間のテーブルに地図を広げた。


 この北方大陸全土の地図。


 その中央から西側に広がる獣人国領内に、幾つかの丸い印が書かれている。


「この丸い印を見てください。獣人国領内に存在する鉱山です。これらを全て、ドワーフ国に渡します」


「な……」


 アスラの顔から冷え切った笑顔がようやく剥がれ、今度は肝を潰したような表情に変わる。


 彼はそれをやっぱり咳払いで有耶無耶にして、僕に向き直って言う。


「ま、待ちたまえ。獣人国領は確かに、此度の戦役で我々の影響力が増した。しかしながら、他国の鉱山の権益を勝手に取引材料にすると言うのは……」


 そんなアスラに、ニコが答える。


「レディレッド卿、何も問題はございません。……彼らは敗北者ですから、我々勝者に全て奪われるのは当然のことです。それに、獣人国の面々とは別枠で交渉済みですから」


 アスラもニコの持つ知謀は知っている。


 ニコが言うならと、彼は真面目な顔で言う。


「……聞こうか」


「獣人国タスクギアと新興国クロウネピアには、解放されたあとの南方の鉱山権益、つまり採掘権を売り渡しました」


「大陸南方の? しかし、大陸南方には国どころか人も……」


「ええ、つまり主さまが南方の魔王を討伐し、大陸南方の解放が為された後、大陸南方で発見された鉱山権益を獣人国が得るという取り決めです」


「戦争に敗けたとは言え、それを獣人国は呑んだのか?」


 アスラが驚くのも当然だ。


 獣人国は大陸南方のあるかどうかも分からない鉱山の権益をアテにして、現在確実に存在する自国の鉱山の権益を売り飛ばしたのだから。


「しかし、それでは……。シャルル君、確かに君は我が国リーズヘヴンの宰相だ。軍務から内務、そして外交権も王陛下と同等の裁量をもっている。しかし、自国の権益を蔑ろにするのは、些か……」


 アスラが言いたいのは、実質的に支配権を得た獣人国の鉱山権益をドワーフ国に売り渡し、大陸南方に眠るであろう鉱山の権益を獣人国が得る状況、つまり、解放後にリーズヘヴンが得るはずであった鉱山から出る富を失うことを言っているのだろう。


「アスラ兄さんが言いたいのは、リーズヘヴンが南方解放後に鉱山権益に絡めないのではないかという危惧ですよね?」


「ああ、その通り。リーズヘヴンの国土はお世辞にも肥沃とは言いがたい。ユグドラシルから距離があることもあって、我らの土地には広大な平原が広がるばかりだからね。南方を解放してその土地を得れば──」


「確かに、アスラ兄さんの言うように南方を解放すればその瞬間、広大な空白地帯が我らの背後に広がることになります。ですが、それを狙っているのは我らリーズヘヴンだけではなく、北方諸国の全ての国々が自らの領有を主張するでしょう」


 事実、南方の解放が成ればその瞬間、世界の広さが倍になるようなもの。


 大陸南方の解放と同時に、北方諸国では突如現れたもう一つの世界を巡って血で血を洗う争乱が巻き起こるのは火を見るより明らかだ。


 それを無くす、あるいは、最低限に抑えることこそが、この北方諸国共栄会議の本質の部分なのだ。


 顎を摩って考えるアスラに向けて、僕は言う。


「ドワーフの領地は大陸の北端に存在します。そこは南方大陸から最も離れた土地なわけです。そして、大陸南方と北方を分け隔てる国はリーズヘヴンとエルフ国。つまりドワーフ国にしろ獣人国にしろ南方から鉱石を運ぶのに、リーズヘヴンかエルフ国を通過する必要があります」


「……確かにそうだ」


「重い鉱石を運ぶのに、ユグドラシルの恵み豊かな森林地帯は不向き。必ず、リーズヘヴンの平原を使用することになるでしょう」


「……まさか、君の狙いは」


「ええ、我らは鉱山の権益を獣人国に渡し、彼らに採掘させます。そして、それを運ぶためにリーズヘヴンを通過するその時に──」


「関税か」


「働かずして富を得る。……商売の基本ですよ」


 僕とニコの狙いは、物質ではない。


 僕たちの狙いは南方資源の物流を取り仕切る立場。


 奇しくも、リーズヘヴンは広大な平地に囲まれた領土。


 平地は森の恵みも鉱山資源も欠乏している。


 ただ、何も産まない平原にも一つだけ、商売に有利な資質がある。


 交通の便だ。


 つまり物と貨幣、あるいは物と物の取り引きを商売の地上戦とするならば、僕たちは物流という空中戦でアドバンテージを得る。


 南方からの物流の中心地として、自らの手を汚すことなく、汗をかくことなく利潤を手にする。


 それこそが、僕たちの狙い。


「自ら動くことなく、利益だけを吸い上げる……か。……まさしく、魔王の所業だ」


 アスラは呆れたように、あるいは、何かに畏怖するような表情でそう呟いた。

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