第241話 大なる命、小なる戦
太陽が世界樹の向こう側に静かに沈みゆく頃。
僕たちは大樹ユグドラシルに到着した。
エルフ国は知恵の大樹イギュノーム。
この世界に二本しか存在しない大樹のうちのひとつ。
密林の奥地に存在する巨大な樹木。
その大きさを表現する言葉を、僕は持たなかった。
エルフ国は大樹の根本の
洞と言っても、その大きさは王都がすっぽり入るくらいの広さ。
知恵の大樹イギュノームの高さは目測で測るには高すぎる。
何しろ雲を突き抜けるほどなのだ。
天を衝くとはまさしくこのことだろう。
それほどの高さを誇る大樹の幹。
都市が丸ごと入るほどの空間があっても、それが折れることはない。
門を潜って街に入ると、そこには木をくり抜いた家々が軒を連ねる。
僕が一番驚いたのは、街の灯りだ。
夕暮れなのに、イギュノームの都市は明るさを保っていた。
蒼い炎が灯る街灯が街を彩る。
この世界に来て、街灯を見たのは初めてだった。
少なくとも、リーズヘヴンにも帝国にも獣人国にも夜を明るく照らす街灯は存在しなかった。
「……夜なのに、街が明るい。……魔道具の類?」
こんな風に目を輝かせるハティナの顔を、僕は久々に見た。
青白く照らされる都市の幻想的な風景に驚く僕たちに、防人のケルビンは言う。
「この世界に在る二本のユグドラシルは、百年に一度天空に種子をばら撒きます。決まって陽の沈んだ真夜中に行われるその種蒔きを、我らは星降りの夜と呼びます。夜空に放たれる無数の種子は、まるで大地から天空に放たれる流星の様だそうですよ。この都市を照らす街灯には、飛ばされることなく落下してきた種子が使われています」
ユグドラシルの種子は、百年もの間輝き続けるそうだ。
そしてその輝きが消える頃、ユグドラシルはまた新たな種子を夜空に撒く。
一度天高く放たれた種子が地面に落ちることはないらしい。
輝きを放ったまま夜空に飛ばされ、この星から離脱する。
エルフの学者によれば、ユグドラシルは別の星に向けて自らの種を撒くのだそうだ。
今僕たちを育んでいるこのユグドラシルも、もしかすると別の星から種が発芽したものなのかもしれない。
星を跨いで生命を繋ぐ大樹。
それが、大樹ユグドラシル。
僕たちは都市の最奥に在るエルフの王城に通された。
王城と言っても、樹をくり抜いて造られた巨大な建造物だ。
石や金属の類はほとんど使われていない。
城門も城壁も全て木製だ。
それでも、この樹は生きたユグドラシル。
城どころか都市の全ての建造物に魔力が通っている。
この環境で生まれ育てば、四則法の念しの修行なんてせずとも嫌でも身につくだろう。
この環境こそが、種族としてのエルフの強さの秘密そのものなのだろう。
「リーズヘヴン王国のお歴々がお待ちです」
ケルビンにそう言われて通された一室に、見知った姿を見つける。
「ボス! お久しゅうございますかな!」
目付きの悪い鷲鼻の男がスライディング土下座よろしく、僕の前に滑り出た。
「ミキュロス! 久しぶりだな!」
僕は跪く王の両肩に手を置いて、再会を喜ぶ。
ミキュロス・リーズヘヴン。
祖国リーズヘヴンの王様である。
「やれやれ、国王を跪かせて呼び捨てとは、我らが宰相は全くもって豪胆な人物だね。……まあ、知ってはいたけれどね」
目深に被っていた紅蓮のローブのフードを脱ぎながら、ローブの色より少し濃い赤髪を後ろで結んだイケメンが言う。
「アスラ兄さん、お久しぶりです。」
「やれやれ、王には無礼で私には慇懃というのも釈然としないものだね」
肩をすくめるアスラは、少し疲れているように見えた。
「少し痩せましたか?」
「我々も先程到着したばかりなんだ。それに、色々と立て込んでいてね」
部屋の中にはミキュロスとアスラだけだ。
護衛の聖騎士や近衛隊の人たちも来ているはずだが、彼らはどうやら別室らしい。
「……そういえば、ムウちゃんは?」
彼女も来ているはずだ。
魔王討伐に、彼女の持つ賢者のジョブ特性である魔物特効は欠かせないからだ。
僕の疑問に、ミキュロスげんなりと項垂れ、アスラは深いため息を吐いた。
「ここに着くなりどこかに消えてしまったよ。……全く、彼女は腕っぷしは立つがコントロールは効かないんだ。ここは彼女の故郷だし、土地勘もあるだろうから一度逃げられると見つけるのは至難の業でね」
「よ、余は止めようとしたのですかな。ですが、余の言うことなど彼女に聞き入れられるはずもなく……」
ミキュロスよ、君はリーズヘヴンの王様だろう……。
なんて思ったが、確かにムウちゃんはニコとライカの言うことしか聞かない。
むしろ、彼女を支配下においている悪辣姉妹の方がおかしいのだ。
「……会議までは時間がありますし、僕が探してきますよ。そう言えば、他国の王侯はすでに到着しているんですか?」
「そうして貰えると助かるよ。会議を前に、彼女に暴れられては敵わない。リーズヘヴンと獣人国以外だと、皇国の大教皇ルーゴン・ゴンドールはすでにユグドラシル入りを済ませていると先方から報告が来ている。それから、ドワーフ国の王もね。最後に来るのは帝国の勇者ギレン・マルムガルム一行だろう」
大教皇ルーゴン・ゴンドールは王国領に侵攻し、僕に捕らえられてからはミキュロスの傀儡のようになっている。
ドワーフ国とは関わりが薄いので、魔王討伐のために調略するか協力を取り付ける必要があるだろう。
しかし、ギレン。
彼が会議に出席するとなると、一筋縄ではいかないだろう。
僕は彼から恨みを買っているし、魔王討伐のために弱体化した王国領を狙うのは火を見るより明らかだ。
「……ギレン。あいつが来るんですか? 帝国の皇帝は?」
「余の掴んだ情報によれば、帝国皇帝は病床に伏せっているようですかな。ですから、代わりに皇太子のギレン・マルムガルムが出席するのかと」
……最悪だ。
僕は帝国皇帝を人質に取ってでも南方入りするつもりだったが、どうやらそれは出来ないらしい。
ギレンを捕らえて人質にするわけにもいかない。
戦闘力で圧倒できるわけでもないし、帝国に無駄な侵攻の口実を作ってしまうことになるからだ。
「……とにかく、今はムウちゃんです。ニコとライカを連れて彼女を探します。会議の目的は時間稼ぎです。僕たちが魔王を討伐している間の時間稼ぎ、そのための交渉材料を集めてください」
僕の注文に、アスラはやっぱり深くため息を吐き、ミキュロスは胸を張って「お任せを!」と答えた。
僕はこの数年で目的の大半を成し遂げたが、最後にして最大の政治戦が始まる。
生命の根源とも言える偉大な大樹の根本で、僕たち小さな存在のささやかな戦いが幕を開けた。
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