第240話 世界
日の出と共に出発し、森の悪路を進む。
太陽が沈めば休息をとり、また太陽が登ると同時にユグドラシルを目指す。
途中で幾つかの関所を抜けたが、その間にエルフの集落や村は一つも見かけることはなかった。
全てのエルフが、ユグドラシルに住まう。
故郷を出て他国に移ったエルフ以外、皆そうして生きるらしい。
エルフ領内の森は
それでも、魔物とは頻繁に出会した。
その度にイズリーが馬車を飛び出し、魔物を狩って素材を持ってくる。
今も、イズリーが今日の獲物を仕留めてご満悦な様子で馬車に帰ってきた。
「にしし、今のは強い魔物だった! でーっかいヘビみたいなやつ! ほら! 角!」
イズリーは馬車の荷台から自分の荷物を引っ張り出し、白い象牙のような二つの素材をいそいそと仕舞い込む。
そんな様子を見て、ミリアは呆れたように言う。
「その素材……、バーミリオンサーペントの物ですわね……。あの魔物が落とす素材は牙ですわよ。そもそもイズリーさん、バーミリオンサーペントに角は生えていなかったでしょうに」
イズリーは自分の荷物をごちゃごちゃとかき混ぜながら、ヘビの魔物が落とした素材を入れるスペースを作り出しながら唸る。
「んー……? そーだったかなあ、忘れた!」
彼女は倒した後のことは、すっかり記憶から消し飛ばすのだろう。
イズリーの荷物、通称
その中に、僕はなんだか懐かしい物体を見つける。
「それ、まだ持ってたのか。……何の役にも立たないんだろ?」
イズリーは馬糞のような物体を箱から取り出す。
エンシェント。
深淵と呼ばれた最強の魔物の素材だ。
「これ? エンシェントが落としたうんち! 良い匂いがするの!」
エンシェントのうんちではない。
それは南方に生えるキノコの類だ。
見た目は完全に馬糞そのものだが、確実にそれはキノコなのだ。
それはともかく、イズリーはエンシェントのうんちだと認識した上でソレを素手で掴んで匂いを嗅ぐ。
うんちを掴んで匂いを嗅ぐ笑顔の美少女の図というのは、僕の中で新たな性癖の扉を強くノックするが、僕は宗教勧誘のおばちゃんへの対応よろしく、心頭滅却の精神で居留守を使う。
イズリーが荷物を整理し終わった頃、馬車の扉がノックされた。
ニコが扉を開くと、そこには蒼髪のエルフが立っていた。
「イズリーのお嬢、バーミリオンサーペントとの戦い! お見事でした! どうか、どうか俺に稽古をつけてはもらえませんか! あの強力な魔物を一撃で倒す勇姿、この目に焼き付き離れません! 何卒、何卒!」
蒼髪のセラフィムの言葉に、ミリアが反応する。
「バーミリオンサーペントを一撃で? ……あり得ません。あの魔物の魔力抵抗は北方随一ですわよ? イズリーさん、あなた戦略級魔法でも使いましたの?」
ミリアは困惑して言うが、イズリーはどこ吹く風だ。
「んー? せんたく……魔法? なにそれ? あたしが使ったのは、……なんだっけ?」
コテンと首を傾げるイズリーに、セラフィムは言う。
「……確か、お嬢は
雷の魔力を両手に宿してぶん殴る、イズリーの代名詞のような魔法。
「
やっぱり訝しげなミリアにイズリーはポンと手を打って答えた。
「にしし。それはねえ、このペンダントのおかげだよ! シャルルの魔力が入ってるの! ここから魔力を貰ってね、魔物をぶん殴るとね、魔物、すぐ死ぬ! そだそだシャルル! これ、魔力が減ってきてるからまた魔力を足して?」
イズリーが胸元から取り出したペンダント。
狼の顔をあしらったペンダントだ。
銘はケルベロス。
キッシュの街で八黙の鍛冶師、ハーバルゲインに作ってもらった首飾りだ。
僕とハティナとイズリーしか持っていない、魔力を溜め込むことができるペンダント。
「わかったよ」
なんて言って、僕はイズリーのペンダントに魔力を補充する。
イズリーはハティナより圧倒的に魔物との戦闘の機会が多い。
ペンダントの魔力が減ると、彼女はこうして僕に魔力を補充させる。
ミリアがその様子を悔しげに見ている。
そして、セラフィムがイズリーにしつこく弟子入りを懇願し、イズリーは「ふーん? いいけど、あたしの修行は厳しいんじゃぜ?」なんてパラケストのモノマネで答えていた。
そうやって、緊張感のカケラもないまま僕たちの旅は続き、いつしか知恵の大樹イギュノームまで数日の距離まで迫っていた。
「魔王グリムリープ卿、イギュノームが見えて参りました。あれに見えるが、我らが母なる大樹ユグドラシルにございます」
防人のケルビンが指差す遥か先の方向に、漆黒の塔のようなものが見える。
よく見れば、塔の先に枝葉が広がっている。
巨大な幹は大地を貫き、天空に伸びている。
枝葉が広がる辺りには、雲が垂れて一番高いところは見えない。
視界の狭い密林のど真ん中からでもわかるほど、その大樹は高く高く聳え立っていた。
威風堂々と天に真っ直ぐに伸びる幹、太くしなやかな枝、青々とした葉が広がり、その高さを誇示せんとするように、雲がかかっている。
ここから大樹までの距離はまだかなりある。
それでも、この世界に恵みを齎し生きとし生けるもの全てを包み込むようなその威容は、自身のちっぽけな存在を際立たせるほど。
僕はまだ世界の半分も知らなかった。
それは。
これほどの……。
「偉大……だ。……言葉が出てこない」
僕の口から溢れる。
生命の極限の輝きを見て、僕はそれを表現する言葉を持たなかった。
いや、それを表現する語彙ごと、あの大樹はそんな些細なことなど吹き飛ばしてしまったのだ。
そして、僕は心に刻む。
この世界を救う。
これほど偉大な世界を、滅ぼしてはならない。
世界のために、僕は戦う。
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