第237話 愛すべきアホ
エルフ国が大樹ユグドラシルへ向けて、馬車は進む。
獣人国の中央の盆地にある首都カイレンから程なくして、馬車は深い森に入った。
多種多様な植物が群生している森には、薄い鉛筆で書いた下書きのような道が、かろうじて馬車一台分の幅を残している。
生い茂る樹木が空を遮り、名前も知らない小さな羽虫が飛び交い、時折どこからともなく奇怪な鳴き声が聞こえる。
鳥か、獣か、あるいは魔物か。
ここは、いわゆるジャングルだ。
王国、タスクギア、クロウネピアの高官を乗せた三台の馬車は連なった状態で道なき道を進む。
この世界の馬車の車輪は特殊な魔道具で出来ているらしい。
砂漠の砂地も難なく進むほどなのだ。
森道の悪路に車輪が嵌まることはないが、馬車の揺れは凄まじいものである。
今では僕も慣れっこにはなったものの、乗り物酔いに弱い人間には辛いものがあるだろう。
激しく揺れる馬車の中には、僕と双子とミリアとニコが乗る。
ライカは馬で先頭を進み、モノロイも彼女のすぐ後ろに控えている。
護衛はヴァレンの谷間の戦士から強者が十人ほどついてきていた。
揺れる馬車の中で、イズリーは今日も元気だった。
「に、に、に、……に? んーと、にんじん! あ、にんじんは最後に『ん』がつくから、ちがくてちがくて、えとえと、にんじんグラタン!」
揺れる馬車の中で、イズリーは今日もアホだった。
「……結局、最後に『ん』がついてる」
僕の向かいに座るハティナがイズリーを見ることもなく呟いて、ため息を吐く。
暇を持て余した僕と双子はしりとりに興じていたのだが、結果的にこのゲームが僕たちの暇を潰すことはなかった。
イズリーが平均して三周目の時点で毎回ゲームを終わらせるからだ。
ハティナのため息に、イズリーは鼻息を荒くして答える。
「今のにんじんは無し! にんじんはちがくて、あの、その、言い間違えただけ! にんじんグラタンって言ったの! にんじんは最後に『ん』が付くけどさ、にんじんグラタンは最後に『ん』が付いて……る!?」
そもそも、にんじんグラタンて何だよ。
僕は揺れる馬車の中で熱々のグラタンの上ににんじんが丸ごと突き刺さったようなイメージを浮かべ、それを振り払う。
「シャルルー、このゲーム難しすぎるよ。あたしが負けるようにできてるんじゃないのー?」
連敗に次ぐ連敗を喫したイズリーが右隣でブー垂れ始める。
「いや、そんなことはないと思うけど……」
僕がイズリーに向き直ったその時、左隣のニコが剣呑な雰囲気を醸し出した。
「主さま……」
「魔物か?」
「いえ、おそらくエルフの出迎えかと。……ただ、殺気だった者が数名潜んでおります」
北方諸国共栄会議の開催国であるエルフ国としては、各国の使節に何かあれば自国のメンツに関わる。
護衛役の案内人を差し向けるのは当然だろうが、その彼らが殺気を漏らしているというのはどういうわけなのか。
「暗殺者でも紛れているのか?」
そう聞く僕に、ニコはくすりと笑って答えた。
「ふふふ。そのようなことを企むメリットは、かの国にはございません。ですが……その際は万事、このニコにお任せくださいませ。主さまに刃向かったその罪、エルフという人種の絶滅をもってして償わせます」
ゾッとした。
比喩でもなんでもなく、僕の背筋に冷たい汗が流れる。
隣でイズリーが魚のように口をパクパクさせ、向かいのハティナは目を見開いてニコを見つめる。
相変わらず、ニコの殺気の圧力は半端じゃない。
まだチビのハルあたりがこの殺気を当てられたら、完全にトラウマものだろう。
向かいのハティナの隣で、ミリアだけがはしゃいでいる。
「その言や良しですわ! その際は、私も加勢いたしましょう!」
コイツはコイツで狂っている。
すぐに馬車は停止した。
馬車の窓の外から、ヴァレンの谷間の戦士の一人がニコに耳打ちする。
「……わかりました。あなたは下がりなさい」
そして彼女は僕に向き直る。
「残念ながら暗殺者ではございませんでした。ユグドラシルへの道先案内人のようです」
……何が残念なんだろう。
……わかるけど、わかりたくない。
馬車を降りて先頭に向かうと、ライカとモノロイが下馬して僕を迎えた。
ミザハはすでに馬車を降りて側に控えていたバザンと何事かを話していた。
タスクギアの使節である舌鋒のユリムエルは馬車の窓からひょっこり顔を出し、僕と目が合うや否やすぐに中に引っ込んだ。
道の先に、五人のエルフがいる。
僕の嫌いな、男のエルフだ。
手足が長く、すらっとした体躯に小さな顔がちょこんと乗っている。
当然の如く全員がイケメンだ。
特にリーダー格に見える真ん中の男はイケメンだ。
全く憎たらしい種族である。
皆透き通るような金髪。
その中に一人だけ蒼い髪のエルフが混ざっているが、彼もなかなか端正な顔立ちだが、他のエルフとは違って筋肉質な体型だ。
「……王国二代目宰相、魔王シャルル・グリムリープだ。……出迎えご苦労」
嫌悪感丸出しの僕に、エルフの男が答える。
「……お待ちしておりました。エルフ国が
僕がリーダー格だと睨んでいた男が答える。
丁寧な物腰で話すケルビンから、殺気は全く感じなかった。
僕の背後で、小さくニコが呟く。
「主さま……後顧の憂は早めに断つべきかと」
そこで、僕の中に少しだけ悪戯心が芽生える。
後ろで眠りから醒めたばかりの猫のように伸びをしていたイズリーを見て、ニヤリと笑みが溢れた。
僕の顔に気付いたイズリーが、キョトンと僕を見る。
むふふ。
エルフの男はいけすかない奴らばっかりだ。
ここはイズリーのストレス解消に役立って貰おうではないか。
そんな悪い考えを見透かされないように、僕はケルビンに向かって言う。
「ケルビン殿、後ろのエルフは貴殿の配下かな?」
ケルビンは後ろに控える四人のエルフの男たちを見やって言う。
「この者らは我が義兄弟にございます。魔王グリムリープ卿」
……五人の義兄弟?
劉備玄徳もびっくりの大所帯だな。
僕の考えを他所に、魔王の部分に何やら含みを持たせたような言い方で、ケルビンは目を伏せた。
「先ほど、僕たちに殺気を向けた人間がいるな。どいつだ? 出てこい」
僕は殺気なんてものは微塵も感じなかったが、ニコさんが嘘をつくわけもない。
それに、ニコの言う後顧の憂とは先ほどの殺気のことだろう。
確かに彼らはエルフだが、その真意が本当に道先案内人かどうかは分からない。
それでも、ニコには筒抜けだろうが。
「……我らは御身の安全のために遣わされた防人にございます。御身に殺気を向けることなど──」
ケルビンの言葉を遮る形で、ニコが言う。
「黙りなさい。……一番右の男、前に出なさい。殺気を飛ばしたのはあなたですね? 弁明があるなら聞きましょう」
有無を言わせぬニコ。
ニコに指差されたのは、蒼髪のエルフだ。
モノロイ程ではないが、線が太くフィジカル成分が強めの男だ。
ライカが僕の隣に出て、牙と名付けた曲剣の鞘をカチリと鳴らす。
一瞬で、この場は修羅場と化した。
ニコの激しい殺気を浴びながら、ケルビンは尚も言葉を続ける。
「誤解にございます。先ほども申した通り、我らは防人。我らが王から下された命により、御身の安全を──」
「もういいよ、ケルの兄貴。殺気を飛ばしたのは俺だ。なに、魔王ってのがどんだけのモンか知っときたくてね。しかし……魔王ってのはそっちの嬢ちゃんのことなのか? 随分と死線をくぐり抜けて来たみたいだが」
僕は蒼髪の彼の言葉に、深く深く頷く。
そうだ!
そうなのだ!
そもそも、何で僕が魔王なの?
ニコさんの方が、ずーっと魔王じみているよね!
僕はエルフの男とはいえ、彼に激しく同意した。
「……」
ニコは沈黙したまま、栗毛色の前髪の奥で虚ろな目を開いた。
……あ。
……まずい。
ニコがキレる!
僕は咄嗟に彼女の前を塞ぐように飛び出し、イズリーを見て叫ぶ。
「イズリー! その蒼髪のエルフと戦ってみなさい! きっと強いぞ! 楽しいぞ! エルフの諸君! 貴殿らの強さがいかほどのものか、知りたいのはこちらも同じ! いざ、我が最強の配下が一人、イズリー・トークディアと手合わせして──」
言い終わる前に、イズリーの右手が蒼髪のエルフの顔面にめり込んでいた。
どすん。
鈍く重い音が響き、蒼髪のエルフが後方に吹き飛ぶ。
エルフを吹き飛ばしたイズリーが、振り抜いた右手を引き戻すと同時に僕の方を見て言う。
「やった! 良いの? ほんとにほんとに、
僕は思う。
せめて。
そう、せめて。
聞くのなら殴る前にしてもらえないだろうか。
側で様子を見ていたミザハは「これは……お見事」なんて言ってイズリーに大仰な様子で拍手を送り、やっと馬車から出てこようとしていた牛の獣人ユリムエルはマッハの速度で馬車の奥に引っ込んだ。
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