第236話 自慢の。

 獣人国での戦後処理がひと段落つき、遂に僕たちはエルフ国へと旅立つ。


 カイレンの西門。


ここから伸びる街道は、獣人国西側からエルフ国の領域、そしてその中心部である世界樹ユグドラシルまで伸びている。


 数年に一度開催される、北方諸国共栄会議という、いわば国連のような組織の首脳会議に参加するためだ。


 王都のミキュロスからは、アスラとムウちゃんを引き連れ、開催国であるユグドラシルのエルフ国へ出発したと報告が入っていた。


 獣人国首都カイレンからユグドラシルまで、そう離れてはいない。


 タスクギアからは戦後の和平交渉に出席していた舌鋒のユリムエルが遣わされ、クロウネピアからも王国代官のミザハがユグドラシルへと派遣される。


 僕たちも彼らと共にユグドラシルへ向かうわけだ。


 ユグドラシルに向かうのは、僕と双子、それにニコとライカの姉妹にモノロイとミリアだ。


 ハルとフォーラは軍と一緒に王都に帰還させることにした。


 僕はエルフ国のユグドラシルで用事を済ませた後、そこから直接カナン大河を渡って南方入りをしようと考えている。


 大陸南方。


 僕の生涯を賭けたターゲットである、南方の魔王を倒すだめだ。


 大陸南方にあるもう一つのユグドラシル。


 おそらくそこに、南方の魔王がいる。


 北方のユグドラシルと南方のユグドラシルは比較的近い場所にある。


 大河を挟んで睨み合う形で、二つの世界樹は太古の昔から聳えているのだ。



「即唱、くれぐれも獣人を蔑むな。彼らからしたら我々は侵略者だ。こちらが彼らを卑下すれば、彼らは必ず牙を剥く。へりくだれとは言わぬが、彼らを自分たちと同列に扱うことだけはゆめゆめ忘れてくれるなよ?」


「心得ました。……しばらくはカイレンに駐留し、時が来れば全軍で王都に帰還いたします」


「ああ。頼んだ」


 王国軍を任せた即唱とはそんな会話をして、今度はパラケストに向き合う。


「……師匠」


 パラケストはいつになく真剣な表情で僕に言った。


「南方の魔王を討伐するなんてのぁ、頭のネジの外れたド阿呆が騙る夢物語じゃぜ」


「……心得ています」


 パラケストの辛辣な言葉に、僕はぐうの音も出ない。


 魔王が現れて以来、魔王討伐という人類共通の悲願は五百年もの長きに渡って叶うことがなかったのだ。


 パラケストの言うことはもっともな話だ。


「……けんど、お前さんは頭のネジの外れた魔王じゃぜ。俺ぁよ、お前さんなら本当にやってのけちまうんじゃねえかと思っちょる」


「……」


 パラケストから次に出た言葉は、僕にとっては意外なものだった。


「……死ぬなよ、シャルル。絶対に死ぬな。……お前さんは俺の弟子である前に、俺の大切な孫じゃぜ。俺の大切な、可愛い孫じゃぜ。あっちの魔王にお前を殺されても、俺じゃ仇討ちすらできやしねえ。それが、俺ぁ何より口惜しい! だからな、シャルル。ちゃんと生きて帰って来い。……ほいでな、二人でまた、馬鹿やろうぜ」


 パラケストは偶然にも僕を弟子にした。


 僕とパラケストは確かに師弟であったが、これまで僕らは祖父と孫のような関係ではなかったように思う。


 師弟、あるいは悪友。


 そんな関係だったパラケストから出た言葉に、僕は鼻の奥でツンとした感覚を覚える。


 僕はそんなセンチメンタルな感情を隠すように笑う。


 笑って、一通の手紙を渡す。


「もちろんです。ちゃんと帰りますよ。ハルとフォーラをよろしくお願いします。……父上と母上に向けて手紙を書きました。祖父上から、渡してもらえますか?」


 パラケストは僕から受け取った手紙の封蝋をすぐに開いて目を通す。


 こういうところは、本当にデリカシーの無い人だ。


「……ほーん? ……お前さん、マジで書いてんのか、これ?」


「ええ、マジです」


 両親への手紙にはこう書いた。


 まずは、獣人国への侵攻は無事成功を収め、これからエルフ国のユグドラシルへ向かうこと。


 そして、そのままの足で魔王討伐のために南方入りを果たすこと。


 最後に、ハルとフォーラを養子にしてくれと。


 ハルとフォーラには身寄りがない。


 グリムリープ家で使用人とすることも考えたが、獣人国から連れ帰られた孤児が生活するには、王国の差別意識は根深すぎる。


 きっと、家人の誰かに疎まれることだろう。


 それなら、いっそグリムリープ家に入れてグリムリープ姓を名乗らせてしまえば良い。


 それに、フォーラには大きな魔法の才能が眠っている。


 魔導学園に入れるには第一身分、つまり貴族階級である必要がある。


 一番良い方法は、両親の養子にして僕の弟妹にしてしまえば良いのだ。


 ハルに関してはどうでも良いが、フォーラは是非とも妹にしたいという邪な思いもある。


 だって、猫耳の美少女にお兄ちゃんとか呼ばれたいじゃないか。


 パラケストは僕からの手紙を読んで、コクリと頷く。


「……ほーん。……ならよ、シャルル。最後に、こいつぁ当主命令であるって書いとけ。それか、宰相命令だってなあ。そこまで書いときゃ、ベロンの石頭も首を縦に振らざるを得ねえんじゃぜ」


 僕も大概おかしいが、彼も相当におかしい。


 貴族が他国の、しかも種族の違う孤児を養子にするなど、本来ならあり得ないことだ。


 そんな問題を歯牙にも掛けずに即断して知恵を出すパラケストは、やはり真の意味で差別をしていない。


 差別意識なんてものがごそっと頭から抜け落ちているのだ。


 それでこそ、僕の自慢の祖父上。


 パラケストの話を聞いていたフォーラが僕たち二人を見上げて言う。


「ししょー。それって、どゆこと?」


 それに、ハルがわなわなとした様子で答える。


「俺たち、師匠の弟妹になっちゃうってことだよ! 師匠のお父とお母が、俺とフォーラのお父とお母になるんだよ!」


「えー! そーなの! ししょーがお兄ちゃんなの! ホント!? やったあ! 私、お父さんとお母さん欲しかった! 優しい人かなあ? 一緒にウサギを捕まえてくれるかなあ? あとあと、一緒にモグラを捕まえたり──」


 ……うちの両親はそんなアウトドアな人では無いと思うぞ。


 はしゃぐフォーラを見て僕は思う。


 フォーラは興奮したように言葉を続ける。


「じゃあじゃあ、ししょーのことは何て呼べば良いの? にいちゃんは……にいちゃんだし」


 ハルを見てそう言うフォーラ。


「お、俺は今まで通り師匠のことは師匠って呼ぶよ! 師匠は俺の師匠だからな!」


 それを聞いて、迷ったようにフォーラは言う。


「じゃあ、私はシャルルルにいちゃんて呼ぼうかなあ?」


 ……シャルルル?


 『ル』が多い気がするが。


 すかさず、隣で聞いていたニコが言う。


「フォーラ、良かったですね。しかし、それだとルが多くなってしまいますよ?」


「シャ、シャ、シャルルル……あれ? シャルルル? あれ?」


 フォーラはうまく口が回らないらしい。


 僕はそんなフォーラに言う。


「呼び方なんて何でも良いよ。……好きなように呼べば良い。このお爺さんは僕の師匠だ。この人の言うことを聞いていれば、お前たちはもっと強くなれる。……僕の自慢の師匠だからな」


 僕の言葉に、パラケストは照れた感情を隠すように鼻を擦る。


「わかった! シャルにいちゃん!」


 今度はルが減った。


 減ったが、それでも良い。


 猫耳の美少女が僕を兄ちゃんと呼ぶ。


 それだけで。


 それだけて良いじゃないか!


 世界から祝福されるようなファンファーレが、僕の脳内に響き渡る。


 フォーラは僕にひとしきり「シャルにいちゃん」と呼びかけて、すぐにパラケストに向かって小さな身体を曲げてお辞儀をした。


「シャルにいちゃんのおししよーさん! よろしくお願いします!」


 慌てたように、ハルも続く。


「よ、よろしくお願いします!」


 パラケストはハルとフォーラを見比べ、そしてフォーラに向けて特に鋭い視線を浴びせながら言う。


「ほーん? まだその色合いは濁ってやがるが、こりゃあ磨けば光る原石かもしれねえや。……思わぬ拾いモンかもしれんのんじゃぜ」


 パラケストは早くも、フォーラの才に気付いているようだ。


 そうして、何やら一人でぶつぶつと呟いたパラケストは僕に向き直る。


「ま、ガキンチョは任せるんじゃぜ。お前さんはお前さんの成すべきことをやんな」


「……はい。……師匠」



 そうして、僕たちはカイレンを出た。


 目指すはエルフ国、ユグドラシル。


 この世界を遥か昔から見守り、育んできた大樹。


 自然の恵みを枯れた大地に齎す、神の宿る樹。


 

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