第235話 連理の枝
僕がライカの無慈悲な妄想に打ちのめされたその日の夜。
僕の部屋にミリアが来た。
ミリアを招いたのはニコによる策略である。
僕とミリアを二人きりにするために、何やら謀略を張り巡らせていたらしい。
ニコは僕とミリアにお茶の用意をした後、気を遣ったように部屋を辞した。
護衛のライカは「さ、さて、そろそろハルとフォーラに剣術を指南する時間だな。師匠たる私が遅れると不味い。主様、ライカはこれにて……」なんて、彼女にしては妙に多い口数で部屋を出て行ってしまった。
これで、部屋には僕とミリアの二人きりである。
「……? ライカ、今日はやけにご機嫌でしたわね?」
ミリアはテーブルに着くと同時に不思議そうにそんなことを言った。
「あ、ああ。最近、ハルとフォーラに剣を教えているらしいんだ」
僕は何故か妙に早口でそんなことを言う。
事実、僕はハルとフォーラに魔法を教えているが、ライカはそれを見て何を思ったのか二人に剣術を教え始めた。
意外なことに、ハルは剣術に才能を見せた。
ライカ曰く、いずれはヴァレンの谷でも中の下くらいの兵士にはなれるだろうと。
獣人国で最強の戦士団であるヴァレンの谷で中の下なら、なかなか筋が良いということなのだろう。
ジョブが魔術師のハルに剣術の才能があったのは意外だった。
ハルもライカを姉のように慕い、剣の鍛錬に余念がないらしい。
「あの獣人の
……鋭いね、君。
ニコの知恵の鋭さとは、また違った鋭さを彼女は持っている。
「それで、ご主人様。何やらお話があるそうですが……」
僕の現実逃避を許さないミリアである。
軍服ではなく、貴族としては割とラフな格好のミリア。
長い袖のゆったりとした白のワンピースに、紺色の長い髪が映える。
ボディラインが隠れそうな服装なのに、彼女の胸とお尻の部分だけはかなりタイトな状態だ。
どんぐりを思わせる大きな瞳に、鼻筋の通った高い鼻、そして薄いピンクの柔らかそうな唇。
……正直、エロい。
……こいつ、こんなに可愛かったっけ。
僕はミリアの美貌に、今更ながらに参ってしまっている。
しかしながら、困ったことになった。
何を話せば良いのかわからない。
そもそもだ。
ニコは僕にどうさせたいんだ?
彼女のことだから僕では到底思い付きもしない何かしらの考えがあるのだろうが、今さらミリアに「僕、君に恋しちゃってるみたいなんだよねえ。困ったね。えへへ。好き!」なんて言えとでも言うのだろか。
これが帝国のクソッタレ勇者ギレン・マルムガルムや、紳士ぶった顔して意外と方々の女の子に手を出していると噂の草食系装い男子であるアスラ・レディレッドだったら上手く女性を喜ばせる言葉を並べるのだろうが、こちとら筋金入りの野暮である。
上手いことを言おうとして地雷を踏み抜く公算大なのだ。
僕はミリアを前に、心臓がキュッとする感覚を覚えながら思案する。
そして、何やらいつもより美人に見えるミリアに対して、ヘタレな僕から出た言葉はこうだ。
「……ミ……ミ……ミ、ミザハ。……そう! ミザハの様子はどうだ? 上手くやっているか?」
最初の三つの『ミ』は当然、ミリアのミだったが、僕は競輪選手ばりの見事なコーナーリングでそれを回避した。
僕のヘタレっぷりもいよいよ板に付いてきた思いである。
「ええ。彼はなかなかに優秀な人材でございましたわね。彼ならば、上手くクロウネピア領を取り仕切ることでしょう。流石はご主人様でございます。お見事な人選に私、感服いたしましたわ!」
「……そ、そう。そりゃ良かった! アレは優秀だが狡猾な人間だ。持ってるスキルも厄介だし、気をつけてくれよな」
「御意。今は従順ですが、常に見張りを付けております。それに、クロウネピアのナラセンとゴーズは彼をかなり警戒しておりますので、すぐには二心を抱けないでしょう」
「そ、そうだな。……そう。その通り……」
「ええ……」
「……」
「……」
会話は終わった。
僕はほとほと困ってしまう。
いつもだったら、ミリアが何かしらの話題を振ってきて、それに僕が答えることが多い。
何故だか今日のミリアはしおらしかった。
「ご主人様、お話というのはそれだけでございますか?」
こてんと首を傾げるミリアに、僕の思考は停止する。
「いや……違うんだけど、なんて言ったら良いか……」
狼狽する僕を見て、ミリアはくすりと笑った。
「ご主人様、今日は何やらおかしなご様子ですわね?」
僕の心臓が魚のように飛び跳ねる。
「そ、そうか? ……そうかぁ」
「うふふ、何やら思い悩んでおられるご主人様も、愛しいものですわね」
こうやって、いつも彼女はストレートに自分の気持ちを伝えてくる。
魔導学園では天才と呼ばれ、演武祭を無敗で制し、若くして凍怒の異名を取り、王国軍歴代最年少で師団長まで上り詰めた自信があるからだろうか。
そんな小賢しい考察と共に、僕の胸に照れ臭さがよぎる。
「……そうか。……なんつーか、そのう、……ありがとう」
ヘタレな僕はこんな無粋な返ししか出来なかった。
ミリアは僕の返答に、意外そうな顔をした。
「ご主人様、今日は大変お素直ですわね。その返しは全く予想しておりませんでした。……思えば、私たちも祖国から随分と遠いところまで来てしまいましたわね。ご主人様とは共に帝国で旅をしたり、ランザウェイ領の平定に王国南部に赴いたり致しましたが、今では獣人国の首都でございます。……そして、近いうちにエルフ国へ参ることになるでしょうし、
そう言って、彼女は上品な仕草で笑った。
僕は笑う彼女の顔を見て、やっぱりミリアは美しいと思う。
僕はミリアに「そうだな──」なんて前置きをしてから言う。
「──僕、ミリアと出逢えて良かったと思ってる。……出会い方は最悪だったけど、君との出会いは僕の人生を良い方向に変えてくれた気がするんだ」
不思議と、僕の口から素直な気持ちが溢れ出るようになった。
彼女が言うように、僕たちは長い間旅をして来た。
ミリアとの出会いは、戦いから始まった。
彼女が僕を半殺しにして、僕も彼女を半殺しにした。
演武祭に行く途中、仲間と逸れた僕に彼女はついて来た。
それから二人で深い森を彷徨い、共にパラケストに師事して、エルフの盗賊と戦い、ライカとニコと出会い、演武祭を共に戦い、ランザウェイを倒し、エンシェントを討伐し、皇国軍を退け、今では獣人国の首都にいる。
長い長い旅だった。
そう言えば、僕の唇を彼女は奪った。
あの時も、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
それこそ、僕が今まで気付くことのなかった気持ち。
大切な、僕の気持ち。
「ミリア、僕はさ──」
言葉を続ける僕を、ミリアは真っ直ぐに見つめる。
僕も、ミリアに向かって真っ直ぐに言う。
「──君のこと、今では双子と同じくらい……」
言葉が詰まる。
ハティナへの罪悪感が頭の中に去来する。
それでも。
それでも、これが僕の本心なのだ。
ハティナとイズリーを、僕は愛している。
双子に恋はしなかった。
最初から、愛していた。
ミリアは違う。
ミリアと僕は長い旅をして、共に死線を潜り、共に血を流し、互いの関係を深めたからこそ、今僕は──
一つ、呼吸を置いて言う。
「……双子と同じくらい、君のことを大切に想っている」
ミリアの大きな瞳から、一粒の大きな涙が流れる。
「ご主人様……いえ、旦那様。……嬉しゅうございます。私……嬉しゅうございます!」
それからミリアは大泣きした。
僕の心の澱みが、一気に晴れた気がした。
ミリアの涙に、僕の心の中に蔓延っていた謎の感覚は、すっかり洗い流された。
殺し合いから生まれた関係が、今では僕の心の中で、とても大切なものになっていたことに、僕はやっと気付いた。
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