第234話 気持ち

 魔王、シャルル・グリムリープ。


 リーズヘヴン王立魔導学園風紀委員長、シャルル・グリムリープ。


 リーズヘヴン王国二代目宰相、シャルル・グリムリープ。


 この世界に生まれ落ちてからというもの、肩書きは色々付いたが、僕は僕自身を知らなすぎた。


 パラケストの指摘した僕の弱点、そして強み。


 僕は僕自身を理解し切っていない。


 パラケストにそれを教えてもらったところで、僕に解るのは自分が自分を知らなすぎるということだけ。


 南方の魔王を滅ぼすため。


 今よりもっと強くなるために、僕は自分を知る必要がある。


 とは言え、自分のことは自分が一番良く知ってる。


 なんて、人は思いがちなもので。


 僕は未だに僕が僕の何を知らないのか、それすら解らないままである。


 

「……では、次の議題ですわね。我が軍の指揮下に入ったカイレンの住民から、城門修理の陳情が上がっておりますわ」


 獣人国、首都カイレンの昼下がり。


 都市中央に位置する議場の一室。


 カイレンに駐留する王国軍の評定の場に設置された円卓で、隣に座ったミリアが言う。


 アーモンドみたいに大きな瞳で僕を見るミリアと目が合い、僕は何故か心臓に界雷レヴィンを叩き込まれたみたいにピクリと身体を揺らした。


 不思議そうに首を傾げるミリアの、腰まで伸ばした紺色の髪が踊る。


 僕はミリアから目を逸らし、議題に関して考えを巡らす。


 基本的に、評定での採決の全ては軍で最も位の高い指揮官に委ねられる。


 だからこそ、指揮官には高い作戦立案能力と軍事知識、そして政治能力が求められる。


 軍で最も位の高い指揮官、そう、僕である。


 これは例えば。


 もしもの話だが、作戦立案能力と軍事知識、そして政治能力の低い者に軍団を任せれば、たちまち取り返しのつかない状況に陥るだろう。


 それを防ぐために、最も能力のある人物が最も高い位に就くのだ。


 しかしながら、カイレンに駐留する王国軍陣中の指揮官の中で最も作戦立案能力と軍事知識、そして政治能力の低い者は誰か。


 そう、僕である。


 僕より下にはイズリーもいるが、彼女は指揮官というより有能な武将。


 指揮官ではない。


 つまり、僕だ。


 なので、こっちを見つめるミリアに向かって僕は彼女に対して少しだけ目を逸らしながらこんなことを言う。


「そ、そうか。……城門の修繕か。良いんじゃないかな、僕が自分でぶっ壊しといて何だが、都市に城門がなければ住民は不安だろう」


 そんな僕に、魔王の精鋭アザゼルの指揮官である即唱が言う。


「僭越ながら、未だタスクギア全土の情勢は安定せず、敵国となる可能性のあるこの国の首都の防衛設備を修繕するのは些か危険もあると愚考いたしますが……」


 彼は良い。


 良いやつだ。


 元近衛隊隊長、つまり王の直属の軍で陣頭指揮を執っていただけあり、賢く有能な人材だ。


 それに、強い責任感もある。


 だからこそ、相手が僕みたいに魔王なんてジョブを持った、片足を魔物サイドに突っ込んだ人間にもちゃんと苦言を呈してくれる。


 こういう部下は貴重だ。


 そんなことを考えながら椅子に座り直す僕の背後で、ニコが咳払いをした。


「タスクギアとクロウネピアの主要都市にはすでに魔王の尖兵ベリアルの手の者を配しております。それに、カイレンでは姉さまの指揮の下にヴァレンの兵士で治安維持に努めておりますれば、テルメジャンアルカルシャンディア・ハビエルジャーランミックスレイクライデンカイゼルジャンハンブロンクホルスト魔王の精鋭アザゼル隊長の言は杞憂かと」


 心なしかドロドロとした殺気を放ちながら、丁寧に即唱をフルネームで呼んだ上で彼の発言をぶった斬るニコにミリアが追随する。


「その通り。即唱、出過ぎた真似をするのはおよしなさい。魔王様の言こそ、神のみことばであると心に刻みなさいな」


 全く筋が通ってない支離滅裂なことをのたまうミリアに、さらにライカが続く。


「即唱よ。我が主様に抗弁するばかりか、言うに事欠いて我が手勢たるヴァレンの戦士団が信用ならぬと申すか? ……ヴァレンの強さ、御身とモノロイの首で証明してやるのもやぶさかではないが、如何に?」


「何故、我まで⁉︎」


 絶叫するモノロイの隣で即唱は三人の言葉に何度も頷き、すごすごと引き下がる。


 ……即唱氏、フルボッコである。


 ミリアはそれに満足したように頷きながら、評定を進める。


「では、次の議題に──」


 ……そうなのだ。


 僕の考えなしな判断を、この三人が正解にしてしまうのだ。


 特筆すべくはニコの存在だろう。


 これは根っからの小市民である僕にとってはかなりの心労である。


 自分の言葉の重みに潰されるような思いだ。


 責任だけ負わされて、自分の知りもせぬ場所で事が進む。


 自分の預かり知らぬところで、もしかしたら何の罪もない人間が死んでいてもおかしくないわけだ。

 

 大袈裟かもしれないが、僕の言葉一つで世界が滅びかねない。


 もしも。


 そう、これはもしもの話だし、こんなことは考えたくもないけれど、僕が世界に向けて恨み言でも放った日には、本当に世界が滅びかねない気がするのだ。


 僕の何の気なしの世界への愚痴を、ニコが現実にするように思える。


 ニコの圧倒的なポテンシャルとドン引きするほどの忠誠心。


 それが僕の脳内に警鐘を鳴らすのだ。


 そして、ミリア。


 彼女は僕を堂々と持ち上げ、堂々と慕い、堂々と愛を語る。


 そんな彼女を見ていると、恥ずかしさに似た感情が湧き上がる。


 ……この感情、心底謎である。


 彼女とは魔導学園でまだ僕が一年生、十歳の時に知り合った。


 今では幼馴染のようなものだ。


 しかも親同士……いや、憎き祖父であり師であるパラケストによる勢いと思い付きの取り決めによって、今では許婚の関係である。


 そんなミリアとカイレンで再会した時、僕はミリアに対して未だ経験のない感情を覚えた。


 彼女を見ると動悸が激しくなり、背中を汗が伝い、心臓が捩じ切れるような想いに駆られる。


 こんな感情を他人に持つのは初めての経験だった。


 ……全くもって謎の感情である。


 それから僕は、何故だか彼女を避けていた。


 この先、彼女を第二夫人として結婚生活を営むことを思うと、僕はすぐにでも逃げ出したい衝動に駆られるのだ。


 ……本当に、この気持ちの謎は深まるばかりである。


 

「……ご主人様?」


 心配そうに僕を見つめるミリア。


 僕は少しの間、呆けていたらしい。


「あ、いや、何でもない! よ、良きに計らえ! あ、決して暴力的な手段は使わぬように!」


 議題を全く聞いていなかったのに、急に決断を迫られて焦る僕に、モノロイが言う。


「シャルル殿、いくら何でもカイレン郊外の開墾事業に暴力的な手段は必要ないでしょう……」


 ……なるほど。


 ……そういう内容だったのか。


 ……そりゃ確かに杞憂というものだ。


 すかさず、ミリアが咳払いをする。


「……こほん。うるさい肉達磨ですわね。……モノロイ、よろしくて? ご主人様は我々では到底及ばぬ程の叡智で戦略をお考えでいらっしゃいます。余計な茶々は入れぬように。……死にたくなければですが」


「……う、うむ。失礼」


 何故かモノロイが叱られた。


 すまん、モノロイ。


 

 そんなこんなで評定は終わり、僕は自室に帰る。


 自室への帰路でも、考えるのはミリアのことだ。


 この謎の感情は何なのか。


 ハティナを見て沸き上がる感情が太陽ならば、ミリアを見て湧き上がる感情は流星に似ている。


 ハティナを見るとテンションと血圧がたちまち上がって、心臓が燃え尽きそうになるが、ミリアを見た時はそれとは違う。


 ミリアを見ると、不意に夜空に現れる流れ星のように、心臓に電流が走る感覚。


 銀のバターナイフで身体の真ん中を掬われるような感覚。


 ……謎である。


 ライカとニコが黙ってついてきて、部屋に入ると同時にニコがいそいそとお茶の用意を始め、ライカは僕からローブを脱がして預かり、それを腕に掛けていつもの定位置に立つ。


 ライカの革鎧は少し傷んでいる。


 それが彼女に、歴戦の戦士のような貫禄を齎しているように思える。


 メイド服姿のニコは、こうして見ると本当にただのメイドにしか見えない。


 栗毛色の髪を揺らす彼女からは、百獣門に死体の山を積み上げた万夫不当の戦闘力は微塵も感じない。


「主さま、何かご懸念がお有りのご様子ですね」


 ニコが言い、ライカの耳と腰から垂れる尻尾がピクリと動く。


 失念していた。


 ニコに僕の感情はお見通しなのだ。


 彼女は心音や発汗、あるいは声や呼吸なんかの些細な機微から人の心を読む。


 ニコに隠し事が出来るのは、おそらく人としての生命活動が途絶えた死体だけだろう。


 それでも、僕は言う。


 例えニコに嘘が通用しないことが解っていても、僕はこう言う他ない。


「……いや、何もない」


 そんな学芸会のしょぼい大道具みたいにペラペラな嘘を吐きながら部屋に備え付けられたテーブルに着く僕に、ニコはお茶を出しながら言う。


「主さま。わたくしと姉さまは主さまの秘密の全てを守ります。決して外には漏らしません。例え、いかなる拷問、攻め苦に遭っても、主さまを裏切ることは絶対に有り得ません」


 そう言って、ニコは僕を正面に捉えてボソリと言葉を漏らす。


「……ミリアさまのことですね?」


 バチコリ当たっていた。


 完全なる図星。


 圧倒的な正解。


 完璧な正答。


 ニコを相手にしては当然のことだが、バレているのだ。


 僕は観念して言う。


「……そ、そのう、……自分で言うのも恥ずかしいのだがな。……ミリアに対する自分の気持ちが解らない」


 出来る限りの力を振り絞ったはずの僕の声は、力なく部屋の空気に溶け込む。


 静まり返った部屋に、開け放たれた窓の外から風が入りカーテンを翻す。


 風はそのまま窓際に置かれた花瓶に挿された花から花弁を一つ奪った。


 それと同時にライカが言う。


「あの者は小憎たらしい……いや、小肉たらしい? ……とにかく、特に胸の辺りに無駄な贅肉が多いのは事実ですが、主様への忠心は本物です」


 ライカとミリアは本来、折り合いがあまり良くない。


 一周回って今では戦友同士のような関係で、憎まれ口を叩き合いながらも互いを認めている節がある。


 口を真一文字に結んでいるライカに、妹のニコは言う。


「うふふ。姉さま、主さまはミリアさまの忠義をお疑いになられているわけではありません。主さまはこう考えておられるのです。奥方さま……いえ、ハティナさまに対するご自身のお気持ちと、ミリアさまに対するお気持ちが、まるで相反するようでいて似通っていると。そんなご自身では不思議な感覚に、お心が乱されておられるのです」

 

 恥ずかしいからやめてくれ!


 僕は心の中で絶叫する。


 僕はそこまで正確に心を読まれているのかい?


 それじゃ何かい?


 僕が粛々とお茶を淹れるニコを見て可愛いなあとか、凛として立つライカを見て美人だなあとか思ってるのも、全部全部バレちゃっているのかい?


 イズリーがモノロイに新技を披露して身体を密着させているのを見て沸き上がるジェラシーも、ハティナに「……シャルル」なんて名前を呼ばれて魂ごと舞い上がってしまうのも、全部全部バレちゃってるのかい?


 脳内から自身の恥部が溢れ出るような状態の僕に、ニコはくすりと笑って言う。


「主さま、流石にわたくしもそこまでは読めませんよ」


 読んでるじゃねえか!


 今!


 お前、……今!


 そんな堂々とした現行犯ある?


 僕のメンタルはスペインの牛追い祭りに参加してどんちゃん騒ぎを繰り広げた上に調子に乗って牛にどつかれて大怪我を負った観光客のような状態になる。


 キョドる僕に気付かぬように、ライカは不思議そうな顔をする。


「……むう。……つまり、どういうことだ? 主様は、ミリアを好いておられるのか? それならば何の問題もなかろう? 主様とミリアは将来的に婚姻を結ばれるのだ。……アレは堕落の化身のような身体付きだが、見方を変えれば子を産むに適した身体とも言える」


 そんなド直球投げないでくれ!


 僕の心の深いところで、ドスンとキャッチャーミットに豪速球が収まる音が聞こえた気がする。


「……ふふふ、主様の御子息、あるいは御令嬢か。……想像するだけで滾るなあ。きっと見目麗しく聡明なお方に相違ない。……そうだ! 主様のご許可さえ頂ければ私自ら剣を教えて差し上げよう! 我がヴァレンの剣技の全てを託そう! お師匠さま、なんて呼ばれちゃったりして! いや、ライカと呼び捨ても良いな! しかし……、くうーっ! 胸が熱くなるな! 肩車とかせがまれたりな! ……いいぞ、最高だ! ふふふ、若様! なんて呼んだりなあ! ああ、良いぞ! 素晴らしい! 実の母君であるミリアより懐かれたらどうしようか! ふふふ、アレの悔しがる顔を見てみたいものだ! 母上よりライカの方が好き! なあんて言われた日には、私がその場で絶命しても何ら不思議はない! 万の兵に囲まれても私は必ずや生き残るであろうが、そればかりは致命傷となるであろう! ま、待てよ? ……あるいは、その若様にお子がお産まれになったら──」


 ぎゃあー!


 もうやめてくれー!


 僕の精神体はすでにオーバーキルの状態である。


「姉さま、流石にデリカシーが無さすぎますよ……」


 ニコがテンションの振り切れた姉に待ったをかける頃には、すでに僕の精神は真っ白に燃え尽きていた。


「一度、きちんとお話すると良いかもしれません。南方の魔王討伐に、ミリアさまのお力は必要不可欠。……相手は伝説の魔王。大事な決戦を前に心ここに在らずでは、流石の主さまでも不覚を取りかねません。……今のうちに、後顧の憂は断つべきかと愚考します」


 ニコはそう言って、励ますように僕の肩に手を添えた。


 僕は僕を知るべきだ。


 そう考えていた。


 そう考えてはいたが、他人からこうも無理矢理に自分の知らない自分の気持ちを突きつけられると、なんとも絶望的な気持ちになる。


 僕はニコの言葉とライカの発狂によって半ば強引に気付かされたのだ。


 ……どうやら、僕はミリアに恋をしているらしい。

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