第231話 魔王vs暴鬼

 ……むすっ。


 背景にそんな文字が浮かんでいそうだ。


 イズリーのことである。


 昨晩、ハティナは僕の部屋に泊まった。


 同衾したとは言え、僕も彼女も婚姻前の王国貴族だ。


 許婚の関係であるわけだし、僕はグリムリープ現当主にして王国宰相にして魔王のジョブを持つ者だ。


 何も悪いことはしていない。


 それに、ハティナとのキスは魔王を滅ぼすまでお預けと決めている。


 しかしながら、『魔王を倒すまでハティナとキスをしないという誓い』であるからして、キスをすっ飛ばせば最後までしても良いのだろう?


 なんて、僕の魔王の部分が告げたりはするものの、それは詭弁というものだ。


 詭弁だよな……?


 いや、道理が通ってないわけではないが……。


 いやいや、ダメに決まってる。


 そんな脳内葛藤を経た一晩を過ごしながらも、結果的に僕たち二人の間にやましいことはなかった。


 やましいことはないが、しかし、問題はある。


 それがイズリーにバレたのだ。


 今朝。


「やっほー! シャルルー! おはよー! シャルルー!」


 なんて、リズミカルな挨拶を口にしながら僕の部屋に突撃してきたイズリーが見たものは、同じベッドに眠る僕とハティナだ。


「ズルい! ハティナだけズルい!」


 それからこうなったのは白痴の類でも解ることだろう。


 今朝の小さな修羅場を経て、僕の屋敷で無言のまま朝食のパンを次々に口に放り込むイズリーが出来上がった。


 共に食卓を囲むハティナは我関せずといった様子。


 イズリーの皿からパンが消える度に、ニコが新たに彼女の皿にパンを乗せる。


 モノロイとライカは朝の哨戒に出かけた。

 

 ニコとミリアによって獣人国側との交渉はまとまったそうだが、まだまだカイレンが安全とは言い難いからだ。



「イズリーさんや、そろそろ機嫌を直してはもらえませんかねぇ?」


 僕はまるで貴族に胡麻をする商人のような口調で言う。


「あたし、機嫌いいもん」


「いやいや、どう見てもご機嫌斜めだろう?」


「ご機嫌斜めじゃないもん。ご機嫌真っ直ぐだもん」


 獣人国に存在するパンを食い尽くさんばかりのイズリーに、朝食の用意をして側に控えていたニコが言う。


「イズリーさま。主さまはイズリーさまとハティナさまのどちらも分け隔てなく慈しんでおられます。昨晩のハティナさまは、主さまからご褒美をいただいたのです。イズリーさまも、何かご褒美をおねだりしてみるのはいかがでしょう?」


「ご褒美?」


 パンを口いっぱいに頬張るイズリーが食いつく。


「はい。イズリーさまは此度の戦において大いにご活躍なされたと聞き及びました」


「ご褒美……」


 ニコの言葉に、イズリーが何かを考えている。


 イズリーが物を考えるなど、葦がものを思うくらいあり得ないことだが、僕の目の前でそのあり得ないことが起きている。


 イズリーがポンと手を打つ。


 そして、僕を見て言う。


「シャルル、ご褒美決めた!」


 コロッと機嫌を直したイズリーを見て、僕はニコに視線を送る。


 ……グッジョブだ!


 流石はニコ!


 我が股肱の臣よ!


 劉元徳に諸葛孔明がいるように、羽柴秀吉に黒田官兵衛がいるように、魔王シャルル・グリムリープには悪辣姉妹のニコがいる!


「そうか、何でも言うといい。僕が叶えてやろう」


 イズリーはご機嫌な様子で僕に言った。


「シャルル! あたし、シャルルと戦いたい!」


 ニコの表情が固まる。


 これは予想外でした。


 そんな表情だ。


 それまで無関心を決め込んでいたハティナでさえ、目を見開いて自身の妹を見ている。


 お前の頭は大丈夫か。


 そんな表情だ。


 ハティナとニコの想定を簡単に越えたイズリーに、僕はまるで冷たい手で心臓を握られたような気持ちになった。


 もの思う葦が、王国が誇る叡智を凌駕した瞬間だった。


 

 邸宅の広い庭。


 眼前で金髪の天使が左右に嵌めたグローブをガツンと鳴らして魔力を廻している。


 晴れ晴れとした、とても楽しそうな表情である。


「主さま、此度はわたくしめの失策にございます。如何様にも罰してくださいませ……」


 満面の笑みのイズリーとは対照的に、ニコはどんよりとした雰囲気で囁く。


「……いや、良い。お前が予想出来なかったのだ、どう転んでも結果は同じだっただろう。……戦るしかない。九死九生キャットライフを頼む」


「……御意」


ハティナは隅にあるベンチに座って本を広げている。


 ニコと違って彼女はすでに頭を完全に切り替えてしまっているらしい。


 こういうところは似ている姉妹だ。


 僕だってこの数ヶ月遊んできたわけじゃない。


 『神』に会うための魔法は未だ開発途上だが、その副産物として多くの闇魔法を会得してきた。


 負けることはないだろうが、イズリーと戦うのは心に来るものがある。


 僕はどうやってスマートにイズリーに勝つかを思考する。


 ニコの九死九生キャットライフで死ぬことはないとは言え、彼女を傷つけたくはない。


「よーし! 準備完了ー! いっくぞー!」


 イズリーはそう言って、法衣の纏雷ニューロクロスを起動した。


 イズリーの周りを電気の膜が覆う。


 そして、開いた右手の掌から電撃が僕に向かって飛ぶ。


 界雷レヴィンだ。


 ノーモーションで撃ち放たれたイズリーの界雷レヴィンを、僕は魔塞シタデルで防ぐ。


 唐突に始まった魔王と暴鬼の戦いは、僕にとっては予想外の戦況を生み出す。


 魔王は暴鬼に対して、一切の反撃を許されず防戦一方となったのだ。


 油断していた。


 それ以上に、イズリーが強くなっていた。


 詠唱速度が格段に上がっている。


 それに加えて、起動のタイミングも絶品だ。


 僕がここは攻撃してほしくないと思う場所に完璧なタイミングで必ず飛んでくる雷魔法。


 イズリーは踊るようにステップを踏みながら僕の攻撃魔法を躱す。


 そしてグローブで自分の口元が隠れるようなタイミングで終わらせる詠唱。


 あの大声で詠唱していたイズリーが、今ではこんな駆け引きを打ってくる。


 負けはしないだろう……だって?


 お前は自分だけが強くなった気でいたのかよ。


 そんな風に、僕はほんの数分前の自分を呪った。


 イズリーは笑顔で雷魔法を連打する。


 僕は魔塞シタデル魔城フォートレスでそれを防ぎなら、魔王の鬼謀シャーロックを起動する。


 なりふり構っていられるか。


 好きな女の子に敗北を喫したとあっては、じゃあ誰がその好きな女の子を守るんだ。


 イズリーの放つ魔法に、僕は同じ魔力、同じ魔法を当てる。


 ベロンとの戦いで使った戦法だ。


 イズリーが使う魔法を土魔法に切り替えた。


 隕墜石礫メシーバレッジ を唱えたイズリーから無数の石の弾丸が飛ぶ。


 僕の苦手な属性の魔法で、このコピー戦術を防ぐ算段だ。


 起動とほぼ同時に着弾する雷魔法と違って土魔法にはタイムラグがある。


 僕は宵闇の天翼スカイハイで創った闇の翼でイズリーの魔法を吸収する。


「にしし。やっぱシャルルは強いねえ! こんなに楽しいのは初めてだよ! あたし、シャルルのこと愛してる!」


 イズリーが興奮したように叫ぶ。


「ありがとう。僕も愛してるよ……」


 そう言って、僕はこんな状況で愛を語り合うことと、いつかハティナには言えなかった言葉が自分の口からすんなりと出てくることに呆れ果てる。


 イズリーが魔法を使うイメージが流れる。


「──!」


 次の瞬間、魔王の鬼謀シャーロックから僕に流れるイズリーの未来のイメージが消えた。


 イズリーの掌から眩い光が放たれる。


 視界が光に遮られた。


 ──閃光フラッシュ


 光魔法だ。


 土と雷に適正を持つイズリーが光属性の魔法まで使うようになっていたとは……。

 

 イズリーの目眩しに視界を奪われて、魔王の鬼謀シャーロックからの未来のイメージは途絶えた。


 だが相手はイズリーだ。


 彼女は必ず距離を詰めて突撃してくるはずだ。


 イズリーは問題を知恵で解決するハティナとは真逆の存在。


 つまり、イズリーは問題を暴力的な手段で解決する。


 光が収束して消える。


 僕の目と鼻の先まで、イズリーは迫っていた。


 読み通り!


 僕は冥轟刃アルルカンを起動してイズリーにカウンターを入れる。


 イズリーの左の拳が僕の頬を掠め、その左腕に重力の枷が嵌る。


 ──捕らえた!


 僕は勝利を確信する。


 しかし、次の瞬間、イズリーの身体がぶくぶくと膨らみ、膨張した彼女がまるで風船が破裂するかのように電気を放って消えた。


 まるで悪夢でも見ているような気持ちになる。


 魔塞シタデルを突き破ってイズリーだった物から放たれた電撃が僕を貫く。


 致命傷ではないがめちゃくちゃ痛い。


 背後から聞き慣れた声が聞こえる。


「にしし。引っかかったー!」


 慌てて背後に魔城フォートレスを展開する。


 僕の背中に衝撃が走る。


 力任せに殴られたのだ。


 僕は前方に吹き飛ばされながら、無理矢理体勢を整えて反転して着地する。


 ごぽっ。


 と、僕の口から粘り気のある血が噴き出る。


 内臓までダメージが入った。


 チラリとニコの方を見ると、彼女が九死九生キャットライフで創り出した偶像の一つにヒビが入っている。


 イズリーはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。


「にしし。この魔法はねえ、霹靂神リトルシスターって言うの!」


 そう言って、イズリーはまるで人間を象るように滞留する電気の束を創り出す。


 霹靂神リトルシスター


 どうやら雷の魔法で分身を創り出す魔法。


 聞いたことがない。


 イズリーが開発したのだろうか。


 分身体はイズリーを模した姿をしているが、実際は圧縮された電気の塊のようだ。


 半透明に近い色合い。


「……すごいな。……イズリーは天才だ。……ゲホッ。……自分で創り出した魔法なのか?」


「そだよ! あたしね、あたしね、ハティナの妹でしょ? あたしもねえ、たまにはお姉ちゃんやりたいのに、ハティナが代わってくれないからね、だからねえ、魔法で妹つくった!」


 ……。


 これがアホの思考回路か。


 発想の飛躍がすごい。


「……そうか。……だから、リトルシスターか。でも、さっきのは完全にイズリーと同じ姿だったけど、ソレはどう見ても……」


 僕は人の形に滞留する電気の塊を指差す。


「にしし。それはねえ──」


 イズリーはほくほく顔で解説する。


 イズリーの言葉を要約すると、自身の姿を消す光魔法の透遁ミラージュで本体の姿を消し、霹靂神リトルシスターで創り出した分身体には光潜ファントムという光魔法で着彩してイズリーに見せかけているらしい。


 そうして、電気の分身を創り出したわけだ。


 ……アホのくせにめちゃくちゃ工夫してやがる。


 閃光フラッシュで目眩しをし、すかさず霹靂神リトルシスターを創り出して光潜ファントムで色付け、さらに自身は透遁ミラージュと念しで完全に気配を消して分身体を突撃させた。


 僕はイズリーの策にまんまとハマったわけだ。


「にししー! どっちが本物かわからないでしょ!」


 電気の塊がイズリーの光潜ファントムを受けてイズリーそっくりな姿になる。


 イズリーは霹靂神リトルシスターで新たに創り出した分身体と二人してキャッキャと喜んでいる。


 イズリーが二人いる。


 一足早く天国に来た気分だ。


「……本当だな。……どっちが本物かわからないよ。……ゲホッ。……も、もう少し、近くで見てみようかな」


 僕はそう言ってふらふらとイズリーに近づく。


 霹靂神リトルシスターの自爆ダメージがまだ尾を引いている。


 さっきから治癒ヒールをかけてはいるが、治る兆しはない。


 ……時間稼ぎに意味がないなら、次は不意打ちだ。


 僕はイズリーのことなら何でも知ってる。


 彼女がどういう生き物か、僕はこの世界でハティナの次に詳しい。


「……本当にそっくりだ」


イズリーに充分近づいた僕はわざとらしくそう言いながら、堕落の十字架サザンクロスを創り出した。


 背後に黒い十字架がふわりと浮かぶ。


「にしし。もっと近くで見ていいよー! 見分けがつくはずないもんねー! あ、でも触るのはナシ!」


 霹靂神リトルシスターは雷の魔力の塊。


 本来なら念しで感知すれば簡単に解りそうだが、その魔力の色合いも本物そっくりに巧妙に偽装されている。


 どちらが本物か、姿形からは一見わからない。


「……こっちだ」


 僕は懲罰の纏雷エレクトロキューションを起動すると同時に片方のイズリーを冥轟刃アルルカンで斬った。


「……え?」


 僕に斬られたイズリーから気の抜けた声が漏れる。


 僕が斬った方のイズリーに重力の枷が付き、堕落の十字架サザンクロスに彼女を磔にする。


「えー! なんで! なんでわかったの!」


「……ゲホッ。……喋る方が本物だ」


 僕は血を吐き出しながら答えた。


 ……そうなのだ。


 イズリーの霹靂神リトルシスターは一見すれば判別がつかない。


 しかしながら、僕にベラベラと魔法を解説したり『見分けがつくわけないもんねー!』とかなんとか言ってたのは常に片方のイズリーだけだった。


 もう一方のイズリーは貼り付けたような笑顔を一切変えることがなかった。


 五秒以上喋らない上に表情が変わらないなんて、イズリーに限ってはあり得ない。


「イズリー、僕の勝ちだ。……休憩しよう。疲れたし、それに……ゲホッ。さっきから咳と血が止まらないんだ」


 イズリーは不満気だったが、小さく頷いて大人しくなった。


 イズリー・トークディア。


 感覚肌の天才。


 途中からマジになった僕とは違って、彼女は遊び半分だった。


 頭が抜けていなければ、間違いなくこの時代で最強の魔導師だろう。


 僕は堕落の十字架サザンクロスに磔にされながらガックリ肩を落とすイズリーを横目に、その場で大の字になった。


 負けていた。


 勝負には勝ったが、試合では負けていた。


 「……このままじゃ、ダメだよな」


 僕は雲ひとつない獣人国の空に向かって、そんなことを呟いた。

 

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