第229話 二人の天使

 イズリーがカイレンの議事堂にひとしきり叫び倒した頃、ようやく僕の部隊がイズリーの部隊に合流した。


 イズリーの部隊は新顔の獣人ばかりになっていた。


 彼らは僕の部隊が掲げるヴァレンの旗と僕を見比べて怪訝そうな表情をしている。


「僕はイズリーの元へ向かう! あとは任せたぞ!」


 僕はさも当然のことのようにニコに告げ、議事堂に向けて降伏を迫るイズリーの元に駆け寄った。


「イズリー! 会いたかったぜ! こんちくしょう!」


 僕の声に気付いたイズリーが振り返る。


 金色のポニーテールがふわりと揺れて、イズリーの可愛い顔が僕を見た。


「シャルルだー!」


 僕とイズリーは互いに抱き合う。


 イズリーは大きなグローブを付けた腕で僕を抱きしめ、そのまま持ち上げてくるくると回った。


 ……うーむ。


 本来、そっち側は僕じゃないか?


 男としての尊厳に関わる絵面の危うさに、僕の脳内で警鐘が鳴る。


 しかし、そんなことはもうどうでも良かった。


 ローブ越しに伝わる彼女の体温。


 揺れる金髪。


 大きな目に小さな鼻。


 極限まで研磨されたかのような美しい笑顔。


 僕の腹の辺りに当たる柔らかな二つの弾力。


 僕の心に、ファンファーレが鳴るような想い。


「今ねえ、今ねえ! あの人たちにねえ! こ、こ、こうふん? するように言ってたんだ!」


 笑顔のイズリーが言う。


 回りながら。


 ……大勢に取り囲まれて国家滅亡の危機に瀕した状態で興奮しろと言われても、流石にそれは無理な話だろう。


 僕の心臓がかつて無いほどに脈動する中、頭の中ではそんなことを考える。


「そ、そうか……。たぶんそれを言うなら興奮ではなく降伏だと思うよ」


「そだ! それそれ! こうふく!」


 僕を抱き上げて回転しているイズリーが、大きな目をパチクリさせながら言う。


「姉御! 中から使者が出てきましたよ! ……って、宰相閣下! ……何やってんすか?」


 タグライトがイズリーと僕を交互に見ながら言った。


 何やってんのかって?  


 ……感動の再会に決まってんだろ。


 僕は独楽のようにイズリーと共に回転しながら思う。


「降伏の使者だろう。すぐに席を用意せよ! 僕はイズリーと戯れるので忙しい。その辺にニコがいるだろうから、彼女に応対させろ!」


「へ、へい! わかりやした! ……わかりやしたが……そ、そのう、宰相閣下は……」


 お前は行かないんかと。


 敵国との交渉より女の子に抱き上げられてグルグル回る方を優先すんのかと。


 タグライトはそんなことを言いたげな顔で僕たちを見る。


「僕はコレが済んだらすぐ行く! それから、ハティナはどこだ!」


「ハティナ副長ならミリア師団長と一緒に北門から侵攻しているはずですが、正確な位置までは……」


「ならとっととハティナがどこにいるのか正確な位置を僕に報告しろ! 一刻も早く彼女に会わないと大変なことになる!」


 ……僕の我慢はとっくに限界なのだ。


 何しろ、これまで生きてきてこれほど長く彼女と離れたことはなかった。


 僕のバッテリーは最早、電力不足で切れる寸前なのである。


 そうなる前に、早くハティナを充電しなければならない。


 ……ハティナを充電?


 いや、自分でも言ってる意味が解らないがとにかく僕の魂にハティナ成分が足りていないことだけは解るのだ!


 僕に言われたタグライトは血相を変えた様子で近くにいた獣人を数名引き連れてどこかに走って行った。


 イズリーの気が済むまでその場で回転した後、僕とイズリーは目眩から二人してふらふらとした足取りでニコの元に向かった。


 議事堂前の広場。


 ニコの用意した天幕には、すでにタスクギアからの使者がいた。


 使者に間違った気を起こさせないようにとの配慮なのだろうか、使者の両脇にライカとモノロイが立っている。


 天幕の隅には象の獣人のゴーズが座っていて、何やら使者にきつい視線を送っている。


 僕に気付いたニコが言う。


「主さま、我々ヴァレン勢の本陣に遣いを送り、ミザハとクロウネピア文官のナラセンをこちらに向かわせております。……それから、ハルとフォーラも」


 ニコの気の利き方は半端じゃない。


 この交渉に、クロウネピアの幹部とミザハが必要なことを、彼女は既に見切っていた。


「……ミリアを待った方が良いだろうか?」


彼女は一応、王国軍の大将だ。


 宰相である僕が全ての政治的な決定権を持っているとは言え、彼女抜きで話を進めるのは良くないような気がする。


「……御意。必要かと存じます。ミリア様は王国軍大将として同席するべきでしょう。……それから、ハティナ様も同様です」


 ニコの答えに僕は頷き、ひとまずは二人とミザハ、そしてクロウネピア幹部のナラセンを待つことにした。



「これはねえ、なんて言ったかな。んとねえ、んとねえ、何とかって街で奪ったお菓子だよ! すっごく甘いんだあ! それからねえ、こっちはねえ、……名前は忘れちゃったけど、何とかって街で奪ったお菓子なの! こっちはねえ、甘い!」


 僕とイズリーは彼女が次々に出してくれるお菓子を食べながら必要な面子が揃うのを待つ。


 この死ぬほど情報量が少ないお菓子の山は、イズリーたちが攻め落としてきた都市で鹵獲した特産品だそうだ。


 イズリーが途中で仲間にした獣人の話によれば、彼女は行軍の道程にあった各都市で強者とお菓子をしこたま集めていたらしい。


 今はハティナを探しに行ったタグライトが、強者とお菓子で彼女を釣ったのだ。


 都市を攻めれば強い戦士と戦える上に、勝てばお菓子まで付いてくるぞと。


 イズリーの腹心の部下であるタグライトも、彼女の扱いに慣れてきたようである。


 お菓子の為に攻められる都市と言うのも、なかなかに災難だっただろう。


 僕の隣で頬をお菓子の食べカスだらけにしているこのイズリーは、あの伝説の大魔導師、震霆パラケスト・グリムリープが太鼓判を押すほどの傑出した才を持つ魔導師だ。


 そんな彼女からしてみれば、今回の戦争も旅行や観光と何ら変わりなかったのだろう。


 演武祭の時だって、帝国に行くのを旅行気分で楽しんでいた彼女だ。


 まるで意思を持った暴力そのもののような性質を持つ、覚醒した大魔導師に歩き回られた獣人国が不憫でならない。


 そして、ミザハ、ナラセン、ハル、フォーラが天幕に到着して数分後。


 僕の眼前に、愛しき銀色の天使が現れた。


 その姿を直視した僕の魂が肉体を飛び出して昇天しかけたことは、もはや言うまでもないだろう。

 

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