第220話 敵将、捕らえたり。
ヴァレンの谷の兵士。
巷では、谷間の戦士と恐れられるその戦闘集団は陥落寸前にまで陥ったクイネルの砦の援軍として現れ、そして戦況をひっくり返した。
身の丈ほどの大剣を振り回して暴れ回る犬族の戦士たちの周りで、ライカの持つような曲剣を片手に兎族の戦士が俊敏な動きで寄手を倒していく。
背後を突かれたタスクギアの軍勢は瓦解し、次々に降伏していく。
中でも、先頭で戦うライカとモノロイの強さは異常だった。
ライカは立ち塞がるタスクギアの猛将たちのほとんどを一太刀で切り伏せる。
敵の兵士を包み込む分厚い鎧の隙間を、針の穴を通すように曲剣で素早く斬る。
ライカは踊るようにステップを踏み、舞うように曲剣を振る。
僕はそれを心底綺麗だと思う。
ライカの短く結んだ後ろ髪がふわりと揺れる度に、一人、また一人と敵の戦士が倒れる。
まるで死の舞踏。
ライカは舞い踊りながら、戦場に死を振り撒く。
その動きは、紛れもなくヴァレンの谷間の兎族の戦士のものと同じだった。
犬族のライカによる、兎族の舞。
折れかけていた僕の心に、一陣の薫風が吹き抜ける。
モノロイの戦いは、まさに無骨そのもの。
見るものをその美しさから虜にするライカとは対象的に、モノロイは全てを自らの腕力を以ってして薙ぎ払った。
敵の槍を折り、盾を穿ち、鎧を引き千切る。
顕現した力の化身のようにただただ力任せに敵を討ち取る。
それでも、モノロイは慈悲深かった。
抗う者の命は一瞬で奪い、諦めて武器を手放した者を攻撃することは一切なかった。
偽りの降伏でモノロイを騙し、彼の後ろから斬りかかった者がいた。
モノロイはすぐにそれに気付き、その兵士の槍を折って声をかけた。
「勝利の為に戦士としての誇りを捨てるか……。悔しかろうな……。だが、誇るが良い。貴殿は正しく国のためにこそ散るのだ。……貴殿のことは覚えておく。安らかに冥土に渡るが良い」
そう言うと、モノロイは素早くその戦士の息の根を止めた。
何故だろうか。
僕は卑怯な不意打ちを仕掛けた敵すら認めるモノロイを、誇らしく思う。
門を破られた砦には敵軍が侵入していたが、門の前でその侵攻が止まった。
砦の門を突破し、士気の上がったはずの寄手たちがたじろいでいる。
彼らの眼前に、丸腰の少女が立っていた。
栗毛色の髪に、兎の耳。
ニコだ。
長い前髪の奥で両目を閉じた彼女は、門を突破した敵兵に言う。
「ようこそ、魔王様がおわすクイネルへ。その門は巷で百獣門と呼ばれておりますが、たった今から冥府の門にございます。一度その門をくぐり抜けた御方は、既に死人にございます──」
ニコはそこまで言うと、門を抜けていた兵士十数人が一斉に倒れた。
「な、何しやがった! 魔法か!?」
門の真下で難を逃れた兵士が叫んだ。
そんな兵士に向けて、ニコは片手を開いて見せる。
「石ころを投げました。わたくし、魔法は嗜みませんので」
ニコはそう言うと、凄惨な笑みを浮かべた。
「主さまの御前で姉さまだけが活躍するのは、何か釈然としませんから。……あら? 攻めて来ないのですか? そこに留まっていても、石は当たりますよ?」
堰を切ったように敵兵がニコに斬りかかる。
最初に斬りかかった兵士の振り下ろした剣が、ニコの眼前でピタリと止まる。
両目を開いた笑顔のニコが、寄手の兵士の剣を右手の人差し指と中指の間で掴んでいた。
剣を掴まれた兵士は、その場にへたり込む。
ニコの早業を見抜けた兵士は、その場に一人としていなかっただろう。
彼女の左手に、兵士の頭がぶら下がっていた。
遅れて、鮮血が舞い散る。
ニコは剣を掴むと同時に、逆の手で兵士の頭をもぎ取ったのだ。
まるで樹から果実を摘むような、そんな自然な動作で。
ニコは奪った剣を右手に握り、左手に持った兵士の頭を投げ捨てた。
「では、始めましょうか。……わたくし、上手くできるでしょうか。……何しろ、殺しは久しぶりですので──」
開け広げられた百獣門から、冥府の門へとその意味合いを変えたクイネルの城門で、凄惨な殺戮が幕を開いた。
僕は自分を情けなく思う。
彼女は僕を慕うが、僕には過ぎた臣下だ。
そんな彼女に、殺しを押し付けている僕自身を心疾しく感じるのだ。
僕はひとまず門をニコに任せることにして、城壁の上から戦場を見渡す。
狭い山間の道に広がる殺し合いの中に、一際華美な装飾の鎧を纏う男を見つける。
「ゴーズ! あいつ、敵の大将じゃないか!?」
隣でニコの殺戮に震撼していたゴーズが言う。
「た、確かにそうだ! 背後を強襲されてこっちに出てきやがった! だが距離がある! ここからじゃ矢も当てられんぞ!」
「僕が行く! もう殺し合いはたくさんだ! 僕は世界を救うためにこっちの世界に来たのに、これじゃ『神』に会わせる顔がない!」
僕から無意識のうちに出た言葉に、ゴーズは首を傾げた。
僕は
この翼で空は飛べないが、自分を投げ飛ばして滑空するくらいのことは出来るはずだ。
僕は
「空を飛べるのか!?」
一瞬、背後でゴーズの言葉が聞こえたが、それはすぐに戦場の怒号と風を切る音に消えた。
僕は自分を大砲の弾みたいに発射しただけだ。
翼を広げて風を絡めとる。
初めてにしては上出来だろう。
僕はそのまま滑空して、華美な鎧の戦士の前に着陸する。
結果的には着陸と言うより、ただの落下だった。
華麗な着地とはいかなかった。
地面にぶつかった僕はころころと転がって敵大将の目の前で止まる。
──ズキン。
と、左脚に激痛が走る。
普通に骨が折れたみたいだ。
着陸する時のことも考えておくべきだった。
「だ、誰だ貴様!」
いきなり眼前に降ってきた僕を見て、敵の大将がたじろいでいる。
「痛ててて……。あ、どうも。僕、魔王です」
「……は?」
呆気に取られている敵の大将の周りを護衛が取り囲む。
僕は
そして、僕は叫んだ。
「敵大将! 魔王シャルル・グリムリープが捕らえた! 双方武器を収めよ! 戦は終わりだ!」
僕の声はやまびこのようにこだまし、そして戦場に変わり果てた山道に静寂が訪れた。
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