第216話 大儀である

 鼠族の長の報告を聞いたクロウネピアの幹部たちは騒ついた。


 タスクギア領の北方がほとんど王国軍の手に落ちたという情報に悲嘆する者、どちらにせよタスクギアに与し易くなったと楽観する者。


 反応はそれぞれだが、僕が交渉しやすい状態になったことは確かだ。


 その時、広間の扉が開いた。


 扉を開けたのはミザハだ。


 隣に弟のバザンが控える。


 僕の中で至福の暴魔トリガーハッピーが起動の準備に入る。


 僕の心は複雑だった。


 僕はミザハを気に入っていた。


 ミザハは賢い。


 賢い人間は好きだ。


 それがズル賢さの類だとしても、僕はそれを長所と捉える。


 しかし、ハルとフォーラに手を出したことは許しがたい。


 許しがたいが、しかし、彼を気に入ってしまっていることもまた事実。


 僕は迷っていた。


 そんな内心の葛藤とは別に、僕の心の冷徹な部分が彼に対して先手を打つ。


 ──絞首の忘却スリップノット、起動。


 ミザハは僕に絞首の忘却スリップノットを奪われているが、どうやらそれには気付いていないらしい。


「……ミザハ」


 僕は彼の名を口にした。


 ミザハは言った。


「クロウネピア幹部会の皆様、お久しぶりにございます。そして、魔王様も──」


 ミザハは堂々とした振る舞いで言う。


「──皆様、タスクギアの軍勢は今や風前の灯火。このあたりで、少し状況を変えようと思っております」


 そんなことを言うミザハに、象の獣人のゴーズが食ってかかる。


「ミザハ! 貴様、幹部会に遅参するとはどういう了見だ! それに、状況を変えるとは? まさか、また良からぬ事を考えているのではあるまいな!」


 また良からぬ事を……。


 ゴーズは『また』と言った。


 これはつまり、ミザハはクロウネピアの幹部内でも問題行動を度々起こしているのだろう。


「ゴーズ殿、良からぬ事とは傷付きますね。私は偏に獣人国のために働いているだけだというのに。……まあ、良いでしょう。私がご招待差し上げた此方の御方こそ、北方に新たに顕現なされた魔王様に他なりません。……私は考えました。果たして南方の魔王様と北方の魔王様、どちらに与した方が得か。そして、答えは出ました。……どちらも滅びるべきであると」


 ミザハの言葉に、議場は蜂の巣を突いた騒ぎになる。


 魔王信仰を信条としたクロウネピアの幹部が、神を滅ぼすと発言したのだ。


 この言葉には僕以外の全員が異を唱えた。


「ミザハ! 不敬ですよ!」


 席を立つナラセン。


「か、か、か、神を滅ぼすってことかい? そ、そ、それは穏やかじゃない発言だね」


 おどおどしながらも、そう言う鼠族の長。


 飄々とした様子で、ミザハは応える。


「皆様、我らの窮地に何もしてくれない魔王など信仰して何になると言うのです? それに、我ら獣人の地を征服せんとする魔王も信仰するに値しますか? かと言って、女神などという在りもしない神も信じるに値しません。宗教などという、生臭坊主の詭弁に付き合うのはもうやめましょう。……これからは、力のみがモノを言う世界。それを創り出すのが、私の唯一の望み」


 ミザハの言葉に、僕は口を開く。


「……同感だな」


 僕の言葉は、ミザハにとっては意外なものだったらしい。


「今……何と?」


 ミザハの問いに、僕は答える。


「宗教なんてのはクソだ。それで殺し合いをするなんてのは、愚かにも程がある。……まあ、女神は実在するがな。だからって、アイツは別に何もしてはくれないが」


 ミザハは僕の言葉を挑発と受け取ったらしい。


「ほう? では、我らの為に滅びて頂いても?」


「それは断る。……力がモノを言う世界なんだろう? なら、力で滅ぼすべきじゃないか?」


「ふふふ。……あはははは! これは傑作だ! やはり貴殿は相当に賢い御仁らしい。……ですが、何か大切な事を忘れてはおりませんか?」


 ミザハは言った。


 彼は、未だに僕が絞首の忘却スリップノットの影響を受けていると考えている。


 僕は言う。


「忘れていることなどないさ。……お前こそ、大切な事を二つほど忘れているぜ?」


「ふふふ。貴殿との話は誠に有意義だ。しかし、もう時間もありません。……思い出させて差し上げましょう!」


 ミザハの魔力が揺らいだ。


 それは微風より弱く、晴天の湖畔より静かだ。


 念しを使ってこの程度の揺らぎ。


 初めて会った時、念しを解いていた僕に感知できるはずもなかった。


 沈黙は銀サイレンスシルバー簒奪の魔導アルセーヌ を起動する。


 ──絞首の忘却スリップノット、簒奪不可。


 すでに奪った能力だ。


 そうなって当然。


 簒奪の魔導アルセーヌを起動したのは、別のスキルをかけられない為の保険。


 ミザハのスキルが絞首の忘却スリップノットだけだと思い込むのは早計だ。


 しかし、その心配は杞憂だったらしい。


「ふふふ。思い出しましたか? あの二人を」


 勝ち誇るミザハに、僕は言う。


「……はて。あの二人とは?」


 僕は努めて冷静にそう言った。


 僕の反応を、二人に人質の価値は無いという虚栄だとミザハは判断したらしい。


 ミザハは言う。


「強がりは身を滅ぼしますよ? たった一人であの幼い兄妹を救えるとお考えですか?」


 ミザハの言葉に、僕は勝利を確信する。


 ミザハにちゃんと、僕の起動した絞首の忘却スリップノットが掛かっていることが証明されたからだ。


「……なるほど。……僕一人じゃあ、無理だろうなあ」


「……やっと思い出していただけましたか」


「ああ、次はお前とバザンが思い出す番だな」


 僕は沈黙は銀サイレンスシルバーに命じて絞首の忘却スリップノットを起動する。


 ミザハとバザンに、今度は僕から絞首の忘却スリップノットが飛ぶ。


「……え?」


 呆気に取られるミザハ。


「……兄上! 悪辣姉妹の一人がおりません!」


 叫ぶバザン。


 そう。


 僕はここに来る前に、バザンに絞首の忘却スリップノットを掛けていた。


 そして、この部屋に来た瞬間にミザハにも同じスキルを掛けた。


 彼らは忘れていた。


 絶対に忘れてはならない存在を。


 魔王でも魔導師でも戦士でもなく、目すら見えない少女を。


 北方の魔王が誇る、その右腕を。


 魔王配下において最強のしもべにして、最恐の捕食者を。


 彼から封じた記憶は、ニコの存在。

 

 僕の背後に、突如ニコが現れた。


 陰陽の具現アストロノーツで姿を消していたのだ。


「……遅くなりました。主さま」


 ニコと手を繋いで、二人の子供も現れる。


「師匠ぉ〜」


「魔王様! やっと気付いてくれた!」


 泣きべそをかいたハルと、元気なフォーラだ。


「な、な、私のスキルを……」


 愕然とするミザハに、僕は言う。


「思い出したか? ニコの存在と、僕が魔王だということを」


「そ、そ、そんな……ど、どうやって──」


 余裕を失ったミザハに、僕はシニカルな笑顔で言う。


「ミザハ、子守は大変だったろう? ……大儀であった」

 

 

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