第213話 軽く握って。

「ま……まさか、五十体からなるコッカーの群れを……」


 バザンは呆然としている。


 僕は念しで他に逃したコッカーがいないか調べてから、馬車に戻った。


 馬車の硬い椅子に座り直した僕に、ニコが言う。


「……バザンは焦っておりました。主さまへの畏怖でも己が命が助かった安堵でもなく、焦り。これはつまり、コッカーと出くわすことを知っていたことに他なりません。おそらく、コッカーと鉢合わせとなり戦闘が始まったタイミングで、自身は逃げようとしていたのかと。先ほどのバザンの言葉にも、嘘はありましたので」


 バザンは自身が討ち死にした際は単身でクイネルに向かえと言っていた。


 コッカーの群れに襲わせ、消耗させてから僕たちを倒そうと考えていたのだろうか。


「なら、彼らの狙いは外れたわけだな。……次は何をしてくるかな? 僕だったら毒でも盛って殺してから、コッカーに殺されたって言いふらすかもな」


 なんとなしに言った僕の言葉に、ニコは同意した。


「あり得るでしょう。夕食の際は、お気をつけ下さい」


 僕たちを乗せた馬車は進む。


 しばらく進み陽が傾いた頃、野営の準備に入った。


 野営の飯には慣れたが、それでも美味しいと思ったことはない。


 大抵が、干し肉や芋なんかをごった煮にしたスープなのだ。


 味付けなんかも、食べれれば良いというくらいで、ただ塩だけ入れて「はいどうぞ」なんてことはざらにある。


 その日の夕飯も、僕の嫌いなスープだった。


 モノロイなんかは旨い旨いとガツカツ食べるのだから、原始人は美食というものを知らないと僕は常々思っている。


 焚き火を囲んで座る僕とニコに木のお椀に入ったスープが配られた。


 ニコはそれをすんすんと鼻で嗅ぎ、僕に言った。


「……主様」


 食べても安全だと、彼女は言わなかった。


 それはつまり、このスープに毒が入っていることを意味している。


 僕は手に持ったお椀を地面に叩きつけた。


 護衛の兵士たちに、緊張が走る。


 バザンは言った。


「……如何なされた?」


 僕は答える。


「バザン、こういった決着を望んでいるのか?」


 僕の言葉は、バザンには意外なものだったらしい。


 彼は一瞬、呆けた表情をし、その意味に気付いたのかすぐにその顔を険しく変えた。


「僕を殺したいなら、その剣で僕の首を斬るべきだ。……お前自身も、それを望んでいるんじゃないのか?」


 バザンは兵士の一人が僕にスープを渡した時、何やら悔しそうな顔をした。


 僕はその些細な表情の変化に気付いていた。


「……お戯れを。……仰る意味を測りかねます」


 バザンは言った。


「毒を盛られて戯れなど言うものか。……魔王を殺りたいなら、剣で殺せ。魔王を殺すのに、毒は邪道だろう?」


 バザンは剣を抜いて構えた。


「……気付いていらしたか」


 バザンから容赦なく殺気が飛ぶ。


 僕は立ち上りワンドを抜いて言う。


「お前ら、僕とニコを舐めすぎだ」


 そこまで言って気付く。


 いつの間にか、ニコの姿が消えていた。


 ……あれえ?


 ……今の今まで隣にいたのに。


 ……ニコちゃん?


 戸惑う僕に向けて、バザンが斬りかかる。


 速い。


 間合いを詰められないよう、すぐに後方に飛び退いたが、それでもバザンの斬撃が鼻先を掠めた。


「魔王と言えど距離を詰めれば何もできまい! 魔導師には距離を──」


 バザンの口を塞ぐように、僕は人差し指を彼の口許に突きつけていた。


 僕は懲罰の纏雷エレクトロキューション魔王の鬼謀シャーロックを起動していた。


 懲罰の纏雷エレクトロキューションの迅雷の如き移動速度で、瞬時にバザンとの距離を詰めて彼の口を指で塞いだ。


「戦闘中に喋りすぎだ。……魔導師には距離が何だって?」


 挑発するように言う僕に、再びバザンは斬撃を浴びせる。


 バザンのその反応は、僕の魔王の鬼謀シャーロックに筒抜けだった。


 僕は再度後方に飛び退いて、界雷レヴィンを放つ。


 バザンの持つ剣を電撃が撃ち抜く。


 バザンの手元を離れた剣が回転しながら地面に突き刺さる。


「……ぐう!」


 唸るバザンに、僕は言う。


「拾え。……久々に骨のある戦士との対人戦だ。少し遊ばせてもらうぜ」

 

 周りの兵士たちは、ただ成り行きを静観している。


 バザンと僕の戦いに乱入するほどの強者もいなければ、そういった命令も出ていないのだろう。


 あるいは、バザン自身が僕と戦闘に至った際には一対一にするように密命を下していたか。


 僕はすでに、バザンと自分の力量を見抜いていた。


 バザンの刃が僕に届くことはない。


 彼が剣を振り抜くより先に、僕の魔法がそれを撃ち抜く。


 それならこの戦い、バザンの心を折ってやる。


 心を折れば、人は簡単に転ぶ。


 転ぶと言うのはつまり、降伏だ。


 地に刺さる剣を引き抜き、バザンが僕に飛びかかる。


 ──界雷レヴィン


 ソフィーから電撃が飛び、バザンの剣に当たる。


 僕はバザンが斬りかかる度に、彼の剣に魔法を当てた。


 バザンは七度僕に斬りかかり、七度剣を落とした。


 七度目に剣を落とした時、バザンは全てを諦めた。


 膝から崩れ落ちた無傷の戦士が言う。


「……俺では敵わぬか。……殺せ」


「殺す? ……何故?」


 僕の問いに、バザンは答える。


「貴殿を殺そうとしたのだ、当然であろうが」


「僕を殺したいヤツを片っ端から殺してったら、北方から人類は消えてなくなるぜ?」


 バザンは顔を怒りに染めている。


「戦士を侮辱するのも大概にせよ! 私とて獣人国の戦士の端くれ! 戦いに敗けて生き長らえようとは思わぬ!」


「誇り高い戦士が毒を盛るか? ミザハの指図だな?」


 バザンは口を噤んだ。


 兄は売らないということだろう。


 僕はバザンに言う。


「バザン。涙ぐましい兄弟愛だが、お前の兄はお前を捨て石にしたんじゃないのか?」


 僕を暗殺する。


 その成功確率が低いのは、馬鹿でも解ることだ。


「いいえ。……全て、私が自ら計画し行ったこと。貴殿はクロウネピア……いや、獣人国への侵略者だ。我ら獣人を再び人間の飼い犬にすることはまかりなりません。故に──」


「僕を殺そうとしたわけだな。……まあいい。お前のその兄への忠誠心、見上げたものだ」


 僕はそこまで言って、バザンの前まで進む。


 そして彼を見下ろすように睨み付ける。


「お前の言う通り、僕は侵略者だ。しかし、獣人を奴隷にしたいわけじゃない。信用しては貰えないだろうけどな。……どちらにせよお前の兄は死ぬぞ。僕に刃を向けて無事で済んだ者はいない。大教皇ですら、今となっては僕の虜囚だ」


「……」


「兄を助けたいか?」


 僕の言葉に、バザンは頷く。


「……なら、お前の兄の計画全てを僕に教えろ。……これは、取り引きだ。お前が包み隠すことなく兄の全てを僕に教えれば、お前の兄が何をしようと僕がそれを断じることはない。お前がこの取り引きを断るのであれば、お前たち兄弟は惨めな末路を辿るだろうがな」


「侵略者と取り引きするとでも?」


「僕ならする。強者相手に意地を通して死んだ英雄は枚挙にいとまがないだろう。死んだら終わりだぜ?」


「……」


 バザンは深く考え込み、そして言った。


「……兄の考えは全て話す。その代わり、兄の命だけは」


 僕は頷く。


「……それから、私のことは殺して下さい。兄を裏切って生き長らえたいとは思いませぬ。兄の命を保証していただけるのであれば、私は……」


 僕は笑った。


 バザンという男は、どうやら忠誠心の塊のような男らしい。


 僕が得意の拷問にかけたとしても、彼は転ばないだろう。


 彼は死ぬまで、自身の信念に従うはずだ。


 笑う僕を不思議そうに見るバザンに、僕は言った。


「くくく。……最高だな。……バザン、お前の行いの全てを許そう。僕を殺したくなったら、その時は剣を抜け。剣でしか僕は殺せない。……とは言え、剣でも僕は殺せないがな。それから、取り引きは保留としよう。お前のその忠誠心に免じて、今宵の出来事は無かったことにしてやる」


 そう言って、僕はソフィーをベルトに挿した。


 バザンは狐につままれたような顔で僕を見つめる。


 するとその時、街道脇の茂みの中からニコがゆらりと現れた。


 彼女は忽然と姿を消し、僕の念しでも感知できなかった。


 それが、まるで最初からそこにいたかのように、突然現れたのだ。


 ニコは右手にべっとりと血糊を付け、その手でバザンの部下の兵士を一人捕らえていた。


「主さま、一人逃げたので捕らえておきました。おそらく、ミザハへの伝令でしょう」


 兵士は息も絶え絶えだ。


 何しろ、その兵士の手足は、途中から切断されていたからだ。


 手足を失い、青白い顏をした兵士が僕とバザンの目の前に投げられた。


「……ニコ。剣を持っていったのか?」


 もっと他に聞くべきことはあるだろうに、そんなことを問う僕に、ニコは答える。


「この者の手足ですか? ……いえ、手頃な刃物がなかったものですから、軽く握って千切りました」


 人間の手足って軽く握って千切れるものなの?


 僕は呆気に取られたが、バザンも目の前の惨劇に呆然としている。


 しまった。


 このタイミングで取り引きを持ち掛けるべきだった。


 まあいい。


 彼ら兄弟を僕の計画に巻き込むには、まだチャンスはあるだろう。


 僕はひとまずそういうことにした。


 そして、ニコに命じる。


「ニコ、この兵士を治してやれ」


 僕の言葉に、ニコは「良いのですか?」と問い返す。


 僕が頷くと、彼女は再生リプロを使って兵士を回復させた。


 再生リプロは四肢の切断すら治すと聞いていたが、こうして実際に見ると魔法というものは本当に意味がわからない。


 手足を失ったその先が、見る間に新しく生えて出たのだ。


 その辺に捨てられているだろう、千切った方の手足はどうなったのか気になるところだったが、僕はそれはひとまず置いておくとして、バザンと彼の部下の兵士たちに言う。


「この通り、僕と違ってニコは容赦がないぞ。お前たちも五体満足でいたいなら、少なくともクイネルまでは大人しくしておくことだ」


 バザンたちは誰一人として声を発さなかった。



 ニコが忽然と姿を消したのは、彼女の持つ無敵のスキル、陰陽の具現アストロノーツの権能だと、後で僕は知ることになる。


 自分の姿を消す類の能力の中では、最高峰のスキルだ。


 聖女ニコだけが持つ、特別なスキル。


 やはり簒奪の魔導アルセーヌ で一度貰っておくべきだったと、僕は激しく後悔した。

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