第212話 沈痛の彼岸

 モノロイとライカが離脱した後、僕とニコは馬車に乗せられてクロウネピアの幹部会に向かっていた。


 護衛役に二十名程の兵士と、差足のバザンが同行している。


 抜足のミザハは僕たちよりも後から向かうらしい。


 何やら仕事が立て込んでいると言っていたが、それが嘘であることはニコが見抜いていた。


 途中、馬車に乗るニコが言った。


「主さま、魔物です」


「え? マジで?」


やはりこの娘はすごい。


 僕も念しは展開していたが、魔物の気配など微塵も感じなかった。


「はい。半刻ほどで接敵するかと。魔力は小さく数が多いですね。立てる音も少なく、まるでネズミみたいです。……おそらく、コッカーかと」


 コッカーと言う魔物は、体長50センチ程の小型の魔物で、まるで台所に出る黒くて速いアイツが、四本の腕を振り回し二足歩行でスタコラ歩くような姿をしている。


 暗く湿気の多い場所を好み、たまに大都市の下水道や地下施設なんかにも出没する。


 一匹でいれば、コッカーはほとんど無害だ。


 子供が数名で討伐したという記録が残るほど、単体のコッカーは弱い。


 しかし、コッカーは基本的に群れで動く。


 三匹集まれば危険性は一気に増し、十匹集まれば熟練の傭兵でも危機に陥る。


 魔力抵抗がそれほど高くなく、魔導学園でも魔物討伐の演習に使うために学内で飼育されている程だ。


 コッカーの特徴の一つとして、どこで拾ってくるのか人間が捨てた刃物や武器の類を持っていることが多い。


 それでも、文明とはかけ離れた知能の低さなので、四本の腕をがむしゃらに振り回すだけだ。


 およそ、魔導師の敵ではない。


 ニコが言うにはこの先のコッカーの群れは、およそ五十体からなる大群らしい。


「コッカーとは言え、この数は膨大です。ここまで大きな群れで真っ昼間から街道に出没することは稀なのですが……」


「ミザハが一枚噛んでいるか?」


 コッカーは養殖とは言わないまでも、人に飼われることがある数少ない魔物。


 僕たちにぶつけるために予め捕らえておいたコッカーを途中で放流しておくぐらいのことは考えられる。


「獣人国には主さまがエンシェントの討伐に成功したという情報が下々の者にまで伝わっておりました。……深淵を討伐する程の魔導師相手に、コッカーをけしかけるとも思えません」


 ……そりゃそうだな。


 ……もちろん、知っていたがな。


 ……そうだろうなとは思っていたさ。


 ……本当だぞ。


 僕はなぜかここにいないはずの誰かに言い訳するように脳内で何度も頷いた。


 そんな僕の焦りを感じ取ったのか、ニコは言葉を続けた。


「あるとすれば、コッカーを倒した後でしょう。我々の力を測るのが目的なのか、あるいは策の前ぶりなのか。何かの策のためであるならば、差足のバザンが動くでしょう」


「そうか。コッカーな……。あの魔物は苦手だ。ゴキブリみたいだからな」


 僕の言葉に、ニコは言う。


「遍く魔導師の王たる主さまが、あのような虫けらに恐れを抱くのは……なにやら不思議ですね」


 ニコはクスクスと笑った。


「だって……ゴキブリってキモいじゃん」


 僕はニコに自身のゴキブリへの感情を恐怖だと見抜かれていることには気付かないフリをして言った。


「ゴキブリに危害を加えられることはないかと思います」


 ニコは悪戯っぽく笑う。


 そう言う問題じゃないのだ。


 この世界の住人は、ゴキブリを嫌悪する人が少ない。


 前の世界に比べて、この世界だとゴキブリを怖がっていたら生きていけない。


 魔物なんて言う殺人マシーンが跋扈している世界なのだ。


 ゴキブリ如き、それと比べれば可愛いものなのだろう。


「うるさいなあ。魔王にだって苦手なものはあるんだよ。ゴキブリとエルフの男は、この世から滅ぼすべきだと思うぜ」


「うふふ。……主さま、かわいいです」


 ニコはそう言って、舌を出した。


 ……むう。


 ……納得いかんぜ。


 ニコのこの顔を見て、僕と彼女のどちらが可愛いかと言えば、どう考えてもニコの筈なのだ。


 それでも、近頃のニコは僕に少し物腰が柔らかくなった気がする。


 以前のように肩肘を張ったようなことが、彼女からは無くなっていた。


 ニコはまるで自身の信念に従うように僕に仕えていたが、今は何というか、心から僕に良くしてくれているように感じる。


 以前は、こんな冗談は言わなかったからだ。


 今のニコの方が、僕は好きだ。


 僕はそんなニコの些細な変化に、幸せを感じていた。


 そんな会話をしながら、しばらく進むと馬車が停まった。


 ニコが魔物を感知してからおよそ半刻、彼女の予測はまたしても的中した。


「魔王様、魔物の大群です! 数が多すぎます! 護衛はここまでとなるかも知れません! 我らが討ち死にした時は、単身にてクイネルに向かっていただきたい!」


 馬車の外で差足のバザンが言う。


 コッカーの大群はかなり厄介だ。


 あの魔物はアホである。


 イズリーよりアホだ。


 魔物学者によれば、自分が死ぬことを知らない、あるいは、そこまで予測する知能がないらしい。


 故に、無謀な戦いにも死を恐れず向かってくる。


 敵と見做した相手に、命を捨てて群がる。


 だからこそ、厄介なのだ。


 まるでこの世の終わりのような顔をしたバザンに、僕は言う。


「コッカーだろ? ニコが半刻前に感知してたよ。そっちに荷が重いなら、僕がやろうか?」


「なぜコッカーだと……、いや、しかし相手は五十からなる大群です! いくら魔王様と言えど──」


 僕は顔を驚きに染めるバザンの言葉が終わるより早く、馬車を降りて街道の先を見る。


 コッカーの群れが遠巻きに僕たちを威嚇している。


 ウジャウジャと群れて黒光りしているコッカーの群れを見て、僕の背筋にぞくぞくと悪寒が走る。


「……うわー。……キモすぎる。さっさと殺ろう」


 僕は沈黙は銀サイレンスシルバーに命じて、闇魔法を展開する。


 僕は以前からとある魔法を創ろうとしていた。


 きっかけは、王国でトイロト・シャワーガインから闇魔法について聞いた時のことだ。


 闇魔法の本質が重力であるということを、この世界の魔法学者たちは知らなかった。


 重力という概念が、そもそも発見されていなかったのだ。


 では、何故闇魔法が存在していたのか。


 起動していたのか。


 開発されていたのか。


 闇魔法の使い手は、祈りによってその魔法の権能を引き出していた。


 『神』への祈りだ。


 当然、『神』への祈りと重力に関係性はない。


 それでも、この世界の魔法学者は闇魔法を『神』との交信に使える魔法だと信じていた。


 そしてそれは、現に発動していた。


 そこまで知って、僕は考えた。


 闇魔法の先に、『神』に会うための手段があるのではないか。


 闇魔法が少なからず『神』と繋がっているからこそ、祈りなどと言う明後日の方向性をもってして、闇魔法の起動を可能にしていたのではないだろうか。


 転生者である僕が闇魔法に長じていたのは、そういう理由が隠されているのではないか。


 僕は『神』に会いたかった。


 『神』に会って、まずお礼を言う。


 双子に会えたこと、師に会えたこと、仲間に会えたことには感謝しかない。


 そして、文句を言う。


 これはもう、めちゃくちゃ言う。


 ふざけんなと。


 魔王倒すために転生させといて、僕を魔王にすんなよと。


 勇者は幼馴染みとかにしといてくれよと。


 世界情勢がややこしすぎるだろうと。


 僕は『神』への文句で大長編小説を書けるくらい、彼女に言いたいことがたくさんあった。


 だからこそ、『神』に会う手段を開発することにした。


 その魔法は、未だ完成していない。


 可能かどうかも定かではない僕の圧倒的に勝算の薄い思いつきは、意外な副産物を齎した。


 僕は『神』と会うための魔法の開発途中、偶然にも魂に刻んだ魔法を唱える。


 ──沈痛の彼岸ペインディスティネーション


 僕のソフィーから、コッカーの大群に向けて黒い玉が飛ぶ。


 この魔法は、いわばブラックホールだ。


 重力の特異点を放出し、周囲の重力の方向性を変える。


 極小のブラックホールはコッカーの頭上で弾け、大量のコッカーを呑み込む。


 まるで掃除機に吸い込まれるゴキブリのように、コッカーの大群は跡形もなく消失した。


 バザンは言葉もなく、その異様な光景を見ている。


 おそらく、僕が開発したこの魔法は闇系統魔法で上級の起動難度を誇るだろう。


 闇魔法の上級魔法は、使い手がいない。


 それでも、太古の昔には存在したそうだ。


 涅の帳コロージョンと呼ばれる凶悪なスキルを模倣した魔法、絶界の常闇フォールアウトと言う魔法は、長い歳月の中で使い手が消失していた。


 絶滅種と呼ばれる、使い手の消えた魔法。


 僕は新たに、闇魔法の上級魔法を誕生させた。


 沈痛の彼岸ペインディスティネーションは、事実上この世に現存する唯一の闇系統上級魔法となる。


 綺麗さっぱりコッカーを吸い込んだブラックホールが、沈黙は銀サイレンスシルバーと共に起動を停止した。


 後には、何も残らなかった。


 ギィレムンとクイネルを繋ぐ街道には、僕の魔法が作り出した静寂だけが残った。


 

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