第210話 嘘

「……魔王様」


 ミザハは僕の言葉を聞いて、何やら決心を固めたように頷き、言葉を続けた。


「貴殿を、クロウネピアの幹部会にご招待したい。……我々はタスクギアに反旗を翻す者たち。偏に、魔王様への信仰のためです」


 怪訝な顔をしている僕に、ミザハは尚も言葉を続ける。


「……私をご信用いただけないのはわかります。しかし、私たちクロウネピアは現在、タスクギアに対して劣勢を強いられております。もとより首都カイレンはタスクギアの本拠地にして国中から物資が集まっております。我らが生き残る道があるとすれば、他国からの援助に頼る他ありません。……しかし、先日タスクギアは皇国軍の通過を許すことを引き換えに、多額の金品と軍事物資を受け取りました」


「大きく水を開けられたわけだな」


 僕の言葉にミザハは深く頷いた。


「タスクギアが皇国と繋がるなら、我らは王国と繋がるべきなのです。我が国は割れ、こうしている今この瞬間も多くの同族が血を流しています。私はこの内乱を治めたいのです。このまま手をこまねいていれば、近いうちに我ら獣人は滅びるでしょう。……滅びた国の民がどうなるかは、火を見るより明らかです。我ら獣人が再び人間の奴隷に落ちることだけは、止めなければなりません」


「……主さま」


 何か言おうとしたニコを制するように、僕は膝の上を指で二回叩く。


 ニコが沈黙したのを確認して、僕は言う。


「良いだろう。クロウネピアの幹部会とやらに、案内してもらおうか。……それまでにミザハ、お前は自分の身の振り方を考えておくことだな」


 ミザハは一瞬だけ驚いたような顔をして、それからすぐにその顔を朗らかな笑顔に変えた。


 僕の言葉の意味は、伝わっただろう。


 ミザハは、味方ではない。


 これは僕の直感だが、ニコが僕に何か伝えようとしたことを考えても、彼には何かある。


 出発は明日となったので、僕たちはミザハの邸宅を後にした。


 ミザハは護衛の一人であった男を僕に付けた。


 彼は自身の弟だと言う。


 差足のバザン。


 痩身で華奢な抜足のミザハとは対照的に、バザンは筋肉質で大柄な男だった。


「差足のバザンと申す。これより、クロウネピア幹部会への出席までの間、魔王様の身辺の警護を預からせていただきます。……どうぞ、よしなに」


 彼はモノロイと馬が合いそうだった。


 宿に帰る馬車の中で、ニコが言った。


「主さま、ミザハと言う男……」


「ああ。あの男、ただのお人好しってわけでもなさそうだ」


 僕の言葉に、ニコは頷く。


「……何かお考えが?」


「いや、ないよ。……ふふ。僕が魔王だと知っていて、あの男は嘘をついた」


 僕は途中で笑ってしまった。


 ミザハを馬鹿にしたわけではない。


 ミザハを嘲ったわけでもない。


 僕は、嬉しかった。


 ニコは不思議そうな顔をしてから「……はい。あの男、粛正するべきです」なんてことを言った。


 そんなニコに、僕は首を振る。


「いや。ニコ、僕はな、何故か嬉しいんだよ。なんと言うか、あの男に興味を引かれた。本物の魔王を前にして堂々と嘘が付けるなんてな。……そんな胆力があるなら、尚のこと手元に置いてみたい」


「……しかし、危険では?」


 ニコは警戒心を露わにする。


「そうだな。ただ、僕は今まで恐れられてきた。いや、恐れられ過ぎてきた。僕は大した人間じゃないのにな。たまたま、ジョブが魔王だっただけの凡人だ。あの男、もしかしたら見抜いてくれるかも知れないぞ? 僕の本質を」


 僕の本心だった。


 ニコに嘘をついても仕方ないので、近頃の僕はニコにだけは腹を割って話すようにしていた。


 そうすると、ニコは何故だか凄く喜ぶのだ。


 とにかく、僕は自分のジョブのせいで過大評価され続けてきた。


 魔王と知られれば、誰もが僕を特別扱いした。


 あるいは重んじられ、敬われ、恐怖された。


 つまり、それは僕にとっては差別に他ならないのだ。


 ミザハは嘘をついた。


 魔王を前にして、堂々と。


 僕を軽んじたのか、それとも見くびったのか。


 それでも、僕は嬉しかった。


 それは僕をジョブだけで判断しなかったということに他ならないからだ。


 僕の言動と振る舞い、そして僕の力を見た上で、彼は僕をたばかろうとしたのだ。


 それが心底嬉しく、そして面白く思えた。


 騙し合いなら、乗ってやる。


 騙り合いなら、付き合ってやる。


 僕は王国で、ハッタリ一本で勝負に出て王に勝ち、謀略と機略で王国を乗っ取った。


 僕とニコなら負けない。


 僕とニコの鬼謀を試してやりたい。


 僕は、そんなことを考えていた。


「主さま……。しかし──」


 不安そうなニコに、僕は言う。


「ニコ。不安そうな顔をするな。僕たちは王国を盗み取ったほどの、稀代の盗人だ。……僕たちなら負けないぜ。僕とニコなら、知恵じゃ負けない。そうだろう? 僕たちは、最強のコンビだぜ」


 ニコは兎の耳をひくひくと動かして俯いた。


「……ずるいです。……主さま」


 照れて顔を赤らめるニコはそう言ってから小さな両手に拳を握って言った。


「わたくし、主さまに出会えて……幸せです。知恵比べなら負けませんよ。わたくし、やってやるです!」


 僕は無言で、ニコの頭をガシガシと撫でた。


 僕たちを運ぶ馬車が、小石を踏んで揺れた。


 

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