第205話 師

 この世界の人間は大なり小なり魔力を宿している。


 ハルと言う獣人の少年も例に漏れず、魔力を持っていた。


 念しで測ったところ、学園に通う生徒と比べれば彼の魔力は微々たるものだった。


 およそ、偉大な魔導師になれる器ではない。


 彼のジョブはおそらく魔術師。


 熟練度は素早く向上するが、絶対的な魔力量には乏しいジョブだ。


 ハティナと同じ、魔術師のジョブ。


「お前の妹を拐った奴隷商の居場所はわかっているのか?」


 僕の問いに、少年は答えた。


「ギィレムンに向かうって言ってた」


「僕たちの目的地も同じだ。魔法は道中で練習しろ。明日、朝一番に門の前に来い」


 僕はそれだけ告げて酒場を出る。


 ライカが「ワンドを預けたままですが……」と言ってきたが、僕はそれに「アレは逃げないだろう」とだけ言った。


 八歳。


 大切な人の誘拐。


 自分に重なるものが多すぎた。


 逃げられればヒノキオを失うが、僕はそれでも良いと思った。


 なぜかはわからないが、信じていた。


 翌朝、僕たちが宿屋を後にして馬を引いて街門に行くと、そこにはすでにハルの姿があった。


「師匠!」


 獣人の少年はそう言って、僕の馬の手綱を引こうとした。


 僕はそれを制して言う。


「師匠と呼ぶな。僕はお前の師匠ではないし、まだ弟子を取れるほど魔導を極めていない」


 そう言うと、ハルは少しだけ悲しそうな顔をした。


「シャルル殿。気持ちはわかりますが、このような子供をいちいち助けて回るわけにもいきますまい」


 モノロイが言った。


 僕はモノロイの顔を見て、彼の胸の内にある感情を悟った。


 何やらそれがおかしくて、僕はふっと笑ってしまった。


「モノロイ、意地悪を言うな。お前が一番、この子供を助けたがっているくせに。しかし、それをすることは自らの忠義に反すると考えているのだろう。……いいんだよ、これは僕の気まぐれだ。お前が気に病むことじゃない」


「……面目ない」


 モノロイは己を恥じるように俯く。


 大きな男が、小さくなったと僕は感じた。


 それがまた、おかしく思えた。


「ふふふ。モノロイ、お前は顔面は恐いのに心根は優し過ぎるな」


「シャルル殿も、意地悪なことを申される」


 僕とモノロイは同時に笑った。


 道中、ハルは魔王が如何に偉大であるかを僕たちに語って聞かせ、ライカを喜ばせ、ニコの歓心を買った。


「魔王様は俺たち獣人の救い主なんだよ。王国にも新しく魔王様が現れたらしいんだけどさ、その魔王様は演武祭でめちゃくちゃ活躍したらしいんだ。しかも、まだ俺と少ししか違わないくらいの時にだぜ? まだ子供だったのに、帝国の勇者を倒したんだ! すげーよなー。一度でいいから会ってみてえよ! 戦ってるとこ、一度でいいから見てみてえ!」


「……へえ」


 僕はハルの言葉に意地悪な笑みを向ける。


 それに気付いたモノロイも、まるで悪戯をした後の目配せのような視線を送ってきた。


「魔王様はさ、演武祭の時、鎖の玉座に座って仲間の戦いを眺めていたんだ。カッコいいよなあ。それからさ、勇者ギレンと戦って、一進一退の攻防の末に魔法で作った黒い十字架で磔にしたんだぜ! 演武祭を観に行った大人が言ってた! シビレるよなあ……。でさでさ、十字架に架けられて命乞いをする勇者ギレンに向かって、何て言ったと思う?」


 僕は同窓会で再会した友達に、中二病時代の黒歴史を掘り返されるような気持ちになる。


「……聞きたくない」


 僕の言葉に被せるように、モノロイが言う。


「ほう? ……知らぬなあ。彼の偉大なる魔王様はなんと?」


 にやりと笑うモノロイに、僕は彼を張り倒してやりたい衝動に駆られる。


 ハルは一度咳払いをして、まるでオッサンのような声真似で言う。


「黙れ。脆弱なる者。沈黙こそ、尊ぶべき唯一の美徳。……かぁー! 憧れるぜえ!」


「ほほう。それはそれは、粋なことを申すものよのう」


 笑いを堪えながらモノロイが言う。


 ライカは満面の笑みを浮かべ、「魔王様は最高だな! この世で最も貴き御方だ!」と叫び、ニコはくすりと笑って「ご立派なお方ですね」なんて言った。


 どうしてこうも僕は頻繁に地雷を踏み抜くのだろう。


 ギィレムンまでの道のりで、途中休憩を取って馬を休ませた。


 そのタイミングで、僕はハルに一つ魔法を教えた。


 火弾スター


 僕が一人目の師匠であるトークディア老師から教わった最初の魔法。


 ハルの魔力適性はわからなかったが、火の魔法は使う場所を選ばない。


 水の魔法には水が、土の魔法には土が必要だからだ。


 火の魔法に必要なのは、おそらく空気。


 酸素だろう。


 酸素のない場所で戦うとすれば、それは水中くらいのものなので、火の魔法は最も扱い易く、最も発動条件の緩い魔法なのだ。


 風の魔法と雷の魔法も発動条件は緩いが、その分扱いが難しい。


 風の魔法は殺傷能力を得るまで訓練が必要だし、雷の魔法は起動後に標的に当てるのがとても困難な魔法なのだ。


 一本の枯れ木目掛けてハルは魔法を唱えた。


 ハルの持つヒノキオは、うんともすんとも言わなかった。


「……出ないよ、師匠」


 そう言うハルに、僕は言う。


「貸してみろ。あと、師匠って呼ぶな」


 僕はハルからヒノキオを受け取って枯れ木に火弾スター を放つ。


 ヒノキオから真っ直ぐにボーリング球サイズの火の玉が飛び、枯れ木を燃やした。


「魔力を飛ばすんだ。お前にも魔力は備わっているはずだ。自分の内なる力を集中させて、外に飛ばす」


 ハルは僕の魔法に腰を抜かしていたが、すぐに立ち上がって僕からヒノキオを受け取り、未だ燃え続けている枯れ木に向かって杖を振る。


「魔力ってのがわからねーよ……」


 僕は杖を構えるハルの後ろに膝立ちになり、彼の肩に左手を添え、ヒノキオを掴むハルの右手を上から握る。


 魔力を通してハルの魔力を廻す。


「……杖は振らない。狙いが定まらないからな。よく狙え、杖の先と標的を一直線に結ぶんだ。……唱えてみろ」


 ハルが詠唱を終えた瞬間、彼の持つヒノキオからピンポン球サイズの火の玉が飛んで枯れ木に直撃した。


「うおー! すげえー! 魔法! 魔法だ! 俺、魔法使えたよ!」


 はしゃぐハルを見ながら、僕は言う。


「感じただろ、それが魔力だ。今度は一人でやってみろ」


 ハルはもう一度火弾スター を詠唱した。


 すると、ヒノキオの先から線香花火ほどの小さな火花が散った。


「うおー……あれ?」


「最初はそんなもんだ。……お前は才能がないみたいだけどな。魔力が尽きるまで撃ち続けろ。ギィレムンに着くまで、毎日だ」


 僕の言葉に、ハルは頷く。


「わかったよ! 師匠、ありがとう!」


「僕はお前の師匠じゃない」


「じゃー何て呼べば良いの?」


「何でもいい」


「じゃー師匠で良いんじゃ……」


「師匠はダメだ」


「えー……」


 僕たちはそんな会話を交わした。


 ハルが一心不乱にヒノキオから火花を散らしているのを横目に、僕は木陰に腰を下ろす。


 すると、モノロイが話しかけてきた。


「なぜ、師匠と呼ばれるのを頑なに拒むのだ?」


「……僕は良い師匠にはなれないから。……弟子は取らない」


「そんなことは無かろう」


「僕はトークディア老師とパラケストの弟子だ。だからこそ、わかるんだよ。……僕は、あの二人みたいには逆立ちしたってなれない」


「ふむ。しかし、あの童にとってはシャルル殿は正しく魔導の師であろうに」


「責任も負えないしな。あの少年が立派な魔導師になるまでは、流石に付き合えないから……」


「変なところで意固地になる男よの」


「……うるせえ」


 モノロイは笑った。


 僕はローブのフードを目深に被り、目を閉じて寝たふりをした。


 ハルの振るヒノキオがパチリと火花を散らす音が、何度も聞こえた。

 

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