第204話 決意の灯火
キッシュを出て馬で五日ほど。
次の街に着いた。
副都ギィレムンの一つ手前、サウランドの街。
副都に近いこともあり、この街には様々な部族の獣人がいた。
ひとまず、僕たちはクロウネピアの本拠地であるギィレムンを目指し、そこでクロウネピアの頭目と話を付けることにした。
従属を迫るためだ。
彼らが頑なに拒むのであれば、同盟でも良い。
とにかく、キッシュの街にクロウネピアが攻め入る可能性を潰す。
それが交渉の最低条件だ。
僕たちは街の門をくぐってすぐの場所にある宿屋に入って馬を預けた。
高級な宿とは言いがたいが、それでも深い森の中や、だだっ広い平原の真ん中で寝るよりはマシだ。
僕たちは高級な服は軍に預け、なるべく質素な服で移動していた。
しかし内乱中の獣人の国では、人間である僕とモノロイはひどく目立った。
街を歩けば自然と注目が集まる。
人間が全くいないわけではない。
獣人国にはエルフやドワーフ、それに人間の商人は出入りしているようだった。
内乱中と言えど、いや、内乱中だからこそ、平時よりも物資が必要になるわけで、当然そこには商売のチャンスが転がっているのだ。
僕はしばらく宿屋の部屋のベッドに転がっていたが、暇になったので街に出ようとする。
「シャルル殿? 何処に行かれる?」
二人部屋の相手はモノロイだった。
「街。暇だし」
「我も行こう。シャルル殿の護衛も必要であろうしな」
「……」
「そんな露骨に嫌な顔をせずとも良かろうに……」
モノロイはそんなことを言いながら僕について来た。
部屋を出ると、ライカとニコが隣の部屋から出てきた。
「お出かけですか! 主様!」
「音がいたしましたので……。わたくし共も、お供いたします」
……一人の時間が欲しい。
僕はそんなことを思った。
街の市場まで出ると、内乱中とは思えないほどの賑わいだった。
大きいわけではないが、それなりに栄えている。
王都ほど整然とされた街並みではない。
それでも、市場には様々な店が立ち並び、所狭しと露店が並ぶ。
どうやらかなり物価が高騰しているらしい。
ほとんどの商品に、王国の倍近い値札が付けられている。
「……戦時は民から飢えていくと言うのは本当らしいな」
僕の呟きに、ニコが答える。
「この国には現状、三つの軍隊が駐留しております。……下々まで届く前に、タスクギア、クロウネピア、王国軍のいずれかに接収されるのでしょう」
「戦争は愚かだ。だが、それを解っていても僕たち権力者は争いを避けて通れない。……本当に愚かなのは、僕たち権力者の方だな」
南方の解放、つまり、人類の平和のために戦おうとする僕が他国に対して戦争を起こしている。
飛んだ欺瞞、突き抜けた偽善。
なるほど、世界を救うってのは、勇者なんかには到底不可能だ。
巨悪を倒すだけじゃ、世界は平和になんかならない。
人間そのものの在り方が、平和とは対極にあるのだ。
それが人間の行き着く先なのであれば、進化論てのもアテにはならないな。
そんなことを考えながら、人混みで溢れる市場を巡っていた時、僕は一人の少年とぶつかった。
「おっと、すまん」
咄嗟に僕は謝った。
猫の耳を付けた少年は振り返ることなく走り去ろうとする。
そんな少年のボロ布のような服の襟を、素早くライカが掴んで地面に引き倒した。
「よせライカ!」
僕はライカが少年の無礼を咎めようとしたのだと考えそう言った。
しかし、ライカは答える。
「この者、スリです!」
少年の手には、僕の腰から引き抜かれたヒノキオが握られていた。
「我が主様から武具を掠めようとは不届き者めが!」
「くそ! 離せ!」
少年は地面に倒されたまま暴れるが、ライカがそれを許さない。
彼女は今にも腰から曲刀を引き抜こうとしている。
「ライカ! 良い! 話を聞きたい!」
聞きたい話など無い。
子供のやったことに、その命で報いを与えようとすること自体が、僕は心底嫌だっただけだ。
ライカは警戒心を露わにしたまま子供を立たせる。
彼女はしっかりと少年の腕を掴んでいた。
「……」
立たされた少年はむくれて何も言わない。
「杖は返してもらうぞ。……なぜ盗みを働いた?」
僕は少年の手からヒノキオを取り返して言う。
子供は尚もだんまりを決め込む。
「金に困っているなら──」
そこまで言って、ふと気づく。
なぜ、杖を奪ったのか。
杖は腰のベルトに指していたが、その隣には革袋の財布をぶら下げていたからだ。
スリを働くなら、財布を狙うのでは?
クロウネピアかタスクギアの密使が杖を奪って僕の弱体化を狙ったか?
杖を奪うことの意味は?
ソフィーではなくヒノキオだったのは?
僕が頭の中から次々に湧き出る疑問をこねくり回していると、少年はやっと口を開いた。
「魔法で殺したいヤツらがいるんだ……」
モノロイは首を捻った。
「童よ。其方、魔法の心得があるのか?」
「心得? んなもんあるかよ。 俺は孤児だぜ? でも魔導師の杖があれば、アイツら殺るくれーのことは出来るさ」
少年はモノロイの強面にも怯まず言う。
「童よ。杖だけ奪っても、魔法は使えぬぞ」
少年は少しだけ何かを考えて言う。
「……マジで?」
僕たちはひとまず、場所を移すことにした。
市場にある酒場。
僕は少年がどこかの勢力の密使である線を捨てていなかった。
相手が子供なら、何か情報を引き出せるかもしれない。
子供の名前はハル。
歳は八歳くらいだそうだ。
くらい、と言うのも、獣人国の人間は自分の年齢の詳しくを知らない。
年齢という概念が、彼らはとてもあやふやなのだ。
「妹が奴隷商に拐われたんだ。アイツら、奴隷を集めて娼館に売るって言ってた。俺は……咄嗟に逃げたから無事だったけど……妹を取り返さないと。アイツ、きっと俺を待ってる」
子供はそう言って悔しそうに俯く。
酒場は賑わい、一角で何やら喧嘩が始まっていた。
ハルは食器の割れるその音にぴくりと肩を揺らし、猫耳が跳ねた。
「……」
僕は黙ってハルを観察する。
嘘をついているようには見えないが、どうだろう。
すると、ニコが口を開いた。
「主さま。この子供、嘘は申しておりません」
「わかるのか?」
僕の問いに、ニコは答えた。
「人間が嘘をつく時、呼吸は乱れ、脈拍は高鳴り、発汗を催します。……彼にはそれがありません」
そう言うニコを見て、僕は思った。
……すごいな君。
……あれ?
てことは、何かい?
僕の嘘も基本的にはバレちゃってるわけ?
僕の脳内で警報が鳴る。
そんな僕の焦りも、きっと彼女に伝わっているのだろうと考えると、僕はやっぱり全てを諦めざるを得なかった。
「……奴隷商を殺すために、魔導師である僕の杖を盗んだのか」
「……ああ」
少年は横目で喧嘩を見ながら言う。
「だが、失敗した」
「……ああ」
「妹はどうするんだ?」
僕の問いに、ハルは答えに窮した。
そして、しばらく何かを考えてから言った。
「……キッシュの街に、魔王様が来ているらしいんだ。魔王様に頼めば、きっと助けてくれる。……魔王様は俺たちの祖先を奴隷から解放してくれたんだって聞いた。きっと、今度も頼めば助けてくれるんだ! なあ、魔導師さん、見逃してくれねーかな。……謝るからさ」
ハルはそう言って、必死に涙を堪えていた。
モノロイが僕を見る。
ライカは何やら誇らしげな笑みを浮かべる。
ニコは見えない眼を開いている。
まるで、彼を観察しているようだった。
僕が黙っていると、ライカが口を開いた。
「ふふふ、お前は魔王様の信仰者か。なるほど運が良い、このお方──」
「ライカ」
僕は咄嗟にライカを黙らせる。
少年は言う。
「なあ、頼むよ。見逃してくれ。キッシュに行って、魔王様に頼むんだ」
僕は獣人の少年に言う。
「……お前、逃げたって言ったな? 妹が目の前で拐われたってのに、お前は逃げたんだ。……自分の大切な物を前にして命も張れない人間が、他人に助けを乞う? きっと、その魔王ってヤツだってそう言うぜ。お前が妹を失ったのは、お前が弱いからさ。お前が弱いから、強いヤツに奪われる」
僕の辛辣な言葉に、ハルはついに泣いた。
涙を流して言った。
「わかってるよ! 俺は弱い! 俺のせいで、フォーラが……! あの時、俺はビビって動けなくなって! でも、でも俺がアイツらから取り返さなきゃ!」
「……」
「……なあ、頼むよ。妹は、まだ小さいんだ。それなのにあんなヤツらに捕まって、俺、俺はどうしたら……」
「どうしたいんだ?」
「あいつらを殺して、妹を助けたい」
「なら、この杖は貸してやる。魔法も一つ、教えてやる。それで妹を取り戻せ」
僕はヒノキオを少年に差し出した。
ハルはヒノキオを両手で掴んで言う。
「でも、俺じゃきっと勝てない……」
「なら、何でさっき僕からその杖を盗んだ? 自分で殺るつもりじゃなかったのか?」
「……あの時は、必死で。……どうにかしなきゃって」
「僕も八つの時に友達を拐われた。その時、僕は奴隷商を殺して友達を取り戻した。それこそ、必死でな。人間、死ぬ気になりゃなんとかなるんだ。なんとかならない時は、ただ死ぬだけさ。今ここではっきりさせろ。お前は死んでも妹を救いたいのか、それとも、また妹を見捨てて逃げるのか」
僕の問いに、少年は答えた。
「俺……。……俺がやる。俺がフォーラを救う!」
まだあどけない少年の瞳に、決意の灯火が宿った。
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