第201話 麒麟児の覚醒

 僕はイズリーの唱えたその魔法に驚愕する。


 イズリーは地面を殴るように拳を打ち付けて唱えた。


「イズリーが詠う。空に高き雷雲よ、地に深き熱血よ、天地繋ぐ震霆となりて我が慈悲を示せ。天上天下これ一なり。一天四海これ一なり。三千世界これ一なり。森羅万象これ一なり。蝙蝠の同胞は夜空を駆け、雨降れば地を這う。蝙蝠の同胞は逆位で眠り、深き夜闇でこそ光見る。大地を切り裂き蒼天を穿ち、一切合切、全を繋ぎ一とせん。──震霆の慈悲パラケストマーシー!」


 獣人国。


 死にかけの街キッシュ。


 その中心。


 大地から天空めがけて、巨大な雷が昇った。


 パラケストによって剥き出しにされた真紅の目玉が、イズリーが打ち上げた雷の中心で電撃に晒される。


 グリムリープの秘中の秘。


 老いたコウモリの生み出した最強の雷系統魔法が、カラスの雛に受け継がれた。


 まるでそれは、王国魔導界の融和を表すかの様だ。


 彼方を立てれば此方が立たずの利害がややこしく絡まり合った王国魔導という政界も、今正に氷塊が溶けて融和しようとしている。


 国のために。


 南方の解放のために。


 世界の平和のために。


 電撃に灼かれたアビスの目玉が地面に落ちる。


 目玉に亀裂が入り、それが割れた。


 目玉の中から、人間大の小さなアビスが現れた。


「ほーん。コイツが本体っぽいんじゃぜ! イズ!」


 パラケストの呼び声に、イズリーが答える。


「はい! お師さん!」


「灼いちまいな」


「はい! お師さん!」


 金髪の天使は、瞬時にアビスの本体に接近して両手に嵌めたグローブの指を組み、呪文を唱える。


「イズリーが詠う。我が血潮に宿るはからす。我が魂に宿るは蝙蝠こうもりかいなたるは牙、膂力たるは風。暗黒の風は吹き抜け屍を晒し、漆黒の雷帝は舞い降り死を振り撒く。黒は舞い、黒は叫び、黒は唸り、黒は呑み込む。我が身に宿る黒よ爆ぜよ。──麒麟墜崩ハザードバン!」


 イズリーの両手に雷が凝縮し、漆黒のグローブが輝く。


 彼女は両手に纏った電撃を、そのままアビスに打ち付けた。


 殴ったと言った方が的確だろう。


 右左のワンツーパンチ。


 呪文を唱えた彼女のしたことと言えば、ただそれだけのことだ。


 しかし、それをただのパンチと言うには……些か言葉足らずだった。


 イズリーの右手がアビスに当たると、その腕の先から一直線に電撃が飛んでアビスを貫き、さらにイズリーの左手がアビスに当たると、その腕の先で電撃による爆発が起こった。


 本体を引き摺り出されたアビスは弾け飛んで塵に変わった。


 イズリーの新たな魔法で、奈落は滅びた。


「あー!」


 奈落を塵に変えたイズリーが叫んだ。


 イズリーのグローブであるポチとタマが、魔法の衝撃で見るも無残な姿に変わっていた。


 まるで内側から爆発した宇宙船のような穴の開き方だ。


「ポチとタマがー! ポチとタマがー!」


 魔物を滅ぼした時の笑顔を泣きべそに変えたイズリーが、死にかけた街キッシュの中心で声を上げている。


 彼女の両手には、もはや腕輪と化したグローブが嵌っている。


 勝負の呆気ない幕切れと意外な顛末に、僕はしばらく閉口したのだった。


 

 僕はライカとニコを連れてキッシュ郊外の本陣に戻っていた。


 天幕には僕と獣人姉妹とパラケストだけ。


 ここにパラケストがいるのは、聞くことがあったからだ。


 イズリーが唱えた二つの魔法。


 僕はそれをパラケストに問いただした。


「イズリーに震霆の慈悲パラケストマーシーを?」


「ほーん? そのことかい。あいつぁ、筋が良い。魔導師としての才能は、俺と同格じゃぜ。だけんど、ありゃ実戦で成長するタイプじゃぜ。お前さんやハティの嬢ちゃんならまだしも、イズにガドルの指導は向いとらん。……ガドルは基本に忠実すぎっかんね。どーせ的当てばーっかりやらせたろ? それじゃあ、あの才能は伸ばせねえやな。何せ、魔導の天才たる俺と同じタイプだかんね。すぐに飽いて手ェ抜いたろう? まずは魔法を楽しませねぇとね。好きこそ物の……あー、なんつった?」


「好きこそ物の上手なれ……でございましょうか」


 ニコがパラケストに言う。


「それじゃぜ! ニコの嬢ちゃんは賢いんじゃぜ! あっへっへっへ!」


 僕は深くため息を吐く。


 震霆の慈悲パラケストマーシーはグリムリープの秘伝の魔法。


 今更それをとやかく言う気はないが、これを知ったらベロンは怒りそうだ。


 それに、グリムリープ閥の魔導師たちも。


 彼らは野心家だったり他家に対して未だに警戒心の高い連中が多い。


 そんな彼らグリムリープ閥の魔導師からしてみれば、トークディアに震霆の慈悲パラケストマーシーが渡るのを危惧する連中は多いだろう。


 それでも、王国魔導師全体のことを考えれば、強力な魔法を使える魔導師が増えることはそのまま戦力の増強を意味する。


 政治的な面倒事はいつも僕に回ってくる。


 そして、その面倒事は全てニコが片付ける。


 僕はニコを見て、彼女に謝りたい気分になった。


「師匠。イズリーが震霆の慈悲パラケストマーシーを使ったのは、まあ良いのですが。……二つ目の魔法。アレは一体何なんです? 新たな雷魔法でしょう?」


 パラケストは言う。


麒麟墜崩ハザードバン。腕に魔力を溜めて直接相手に打ち付ける魔法じゃぜ。デザインしたのは俺だけんど、完成させたのはイズじゃぜ」


 あの威力。


 とんでもない魔法だった。


 おそらく、右手と左手では効果の異なる魔法だ。


 右手は貫通力に長け、左手は爆発力に特化していた。


「イズリーを魔導兵器にでもするつもりですか?」


「あっへっへっへっへ! 魔導兵器ってかい! そりゃ良いや! でもよお、シャルル。アレでもあの才能はまだ目醒めて間もない雛鳥じゃぜ。イズの奴ぁ、ありゃ百年に一人の天才じゃぜ。天才って呼ばれる魔導師は、五年に一人は出るモンだ。大抵、ほとんどは紛いモンじゃぜ。……けんど、あの小さな娘っ子は本物じゃぜ。俺が見てきた魔導師の中でも、はっきり言って潜在能力は群を抜いちょる。ミリアの嬢ちゃんやハティの嬢ちゃんも天才の部類には違ぇねえが、イズと比べりゃ霞んじまう」


「……ハティナより? ハティナは本物の天才だと思いますが。何より、あの娘に出来ないことを僕は知りません」


 僕の言葉に、パラケストは悪ガキみたいな笑顔で言う。


「へっ。才能ってのぁ、早咲きと遅咲きがある。イズは紛れもなく、遅咲きの天才じゃぜ。ほいで、遅咲きの魔導師は強えんよ。何せ、弱い自分を知ってっかんな。早咲きの才能は、その優秀さが自分から強者との戦闘の機会を奪っちまう。子供ん頃から強えってのは、考えようによっちゃあ不幸なんじゃぜ。俺の見立てじゃあよ、ハティの嬢ちゃんは負けたことがねぇ。逆に、イズは負けを知ってる──」


 パラケストの言葉は、確かにその通りだった。


 イズリーは、何度か敗北を喫している。


 勇者ギレンに敗北し、皇国軍に敗北した。


「敗北を知ってる天才は強えぞ。……何せ、俺がそうだかんな。……まぁ、俺のアレは負けじゃねーけんど」


 パラケストの言うアレがどんな勝負だったのかを僕は知らないが、彼を打ち倒す魔導師が存在したということだろう。


「イズリーの才は、それほどですか」


 僕の呟きに、パラケストは答える。


「ああ。ありゃ、正しく麒麟児じゃぜ。それも、もうほとんど目醒めちょる。あの娘っ子一人いりゃあ、王国は五十年は安泰じゃぜ。先王が暴鬼って異名を授けてなけりゃあ、俺があいつに震霆を名乗らせてたとこじゃぜ」


「そこまで、ですか……」


「始祖マーリン、氷獄アナスタシア。その二人が実際どんぐれー強えのかは知らねえが、イズの才がこのまま真っ直ぐ伸びりゃあ、鉄火場においちゃまず先の二人より強えーじゃろな」


「……」


 僕はパラケストの言葉を心の中で反芻する。


 僕は負け知らずだった。


 ウォシュレット君相手に負けそうにはなったが、それでも僕は勝利した。


 勝負の場面では、僕は勝ち続けてきたんだ。


 パラケストに会うまでは。


 パラケストが何度も弟子を打ちのめすのは、彼なりの指導法なのだろう。


 上には上がいると。


 敗北の味を教え、その恐怖を植え付ける。


 敗北の苦味を知る人間は、勝負で絶対に手を抜かない。


 自分の力に奢らない。


 パラケストは天才の持つ些細なプライドをへし折り、慢心を砕き、甘さを抜く。


 そうして、より強く育てるのだ。


 僕がもし、演武祭の前にパラケストに出会っていなかったら。


 僕とギレンのあの勝負は、きっと違った形になっていただろう。


 ニコの出したお茶に口を付け、その熱さに驚いているパラケストを見て、僕はそんなことを思った。


「僕にも……そのくらいの才があれば」


 僕は無意識のうちに、そんなことを口にしていた。


 そのくらいの才があれば、南方の開放ももっと楽にできただろうに。


 僕はそんなことを考えていた。


 それを聞いたパラケストは、微笑んで言う。 


「確かに、お前さんは弱え。無詠唱なんて代物に、未来予知のスキルに、スキルを奪うスキル。こんだけありゃ、魔導師にゃあ負けねーはずじゃぜ」


 僕は落ち込む。


 それだけのカタログスペックがあって、僕はそれでもパラケストに勝てない。


 肩を落とす僕には構わず、パラケストは言葉を続ける。


「お前さんの強さは、そのカリスマじゃぜ。イズだけじゃねえ、そこの二人の嬢ちゃんに、ハティにミリアの嬢ちゃん、それからモノ。大陸全土の王という王が欲しがる強者を、お前さんはもう自分の配下に加えちょる。誰にもできるこっちゃねえ。それこそ、王たる才じゃぜ。王自身に能力があっても、配下に恵まれずに潰れた王家は枚挙にいとまがねえ」


「……」


「お前さんの目的は壮大じゃろ。普通の人間にはそんなデカい地図は描けねえ。それでも、お前さんはこれだけの仲間を集め、王国を先王から掠め盗り、目的までもう一歩のとこまで迫っちょる。目的のためには手段を選ばず、どこまでも敵に対して非情になれるってのぁ、まさにコウモリとしての生き方をその身で体現してんじゃぜ。俺ぁな、シャルルよお。良いコウモリじゃあ無かったんじゃぜ。権力にも興味なかったかんね。……ほいでも、お前さんは違う。……お前さんは、先祖の誰よりも立派なコウモリじゃぜ」


 そう言って、優しく笑うパラケストに、僕は答える。


「はい。……師匠」


 僕の心にパラケストの言葉が、静かに染み渡った。

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