第199話 奈落

「井戸ですか。……であれば、アビスという魔物かもしれませんわね」


 僕から事の顛末を聞いたミリアが言った。


 アビス。


 別名、奈落。


 かつて南方征伐を行った北方の軍隊が持ち帰った情報に、そう言う魔物がいたらしい。


 井戸と言うより地底の水脈を縄張りとし、洞窟や鍾乳洞なんかにも現れたそうだ。


 まるで粘度の高い水そのものの様な肉体に、赤く光る大きな目玉を持つ魔物らしい。


 その魔物の異質さは形状だけではなく、自らの肉体を分裂させることが出来るそうだ。


 メリーシアとゲナハは、今では良いコンビになっていた。


 二人は協力して、とある薬品を作り出した。


 ニコの持つ聖女の魔力を水に宿らせたのだ。


「所謂、聖水と言ったところですかねぇ」


 なんてことを、ゲナハは言っていた。


 その水を飲んだ病人は、僕たちの目の前で信じられない様な光景を見せた。


 吐き出したのだ。


 拳大の小さな魔物を。


 吐瀉物と混ざりながら吐き出されたその魔物は、ドロドロとしたスライム状の面膜に守られた赤い目玉だった。


 バケツの中でウヨウヨと泳ぐその魔物を見て、ハティナは顔をしかめ、ミリアは歓声を上げた、イズリーは興味津々な様子で触ろうとした。


 ハティナの反応はわかる。


 僕も同じようなリアクションをしたからだ。


 ミリアはまあ、お察しだろう。


 彼女は魔物ならなんでも良いからだ。


 だがイズリー、コイツはマジで頭がイッてるんじゃないかと思う。


 エンシェントが落とした馬糞の様なキノコも平気で掴んだし、今も僕が止めなければウネウネした目玉の化け物も素手で掴み上げていただろう。


 僕はイズリーの怖いもの知らずを早急にどうにかしなければと、今更ながらに痛感した。


 そう言えば、エンシェントの落とした素材である馬糞のようなキノコは、今ではイズリー玩具箱に入っている。


 あのキノコがなんの役に立つのかもわからないが、アレは彼女の物なのだそうだ。


 イズリールールによると魔物の素材は最初に拾った人の物らしい。


 なので、あのウンコみたいなキノコはイズリーの好きにさせていた。


「しかし、これではっきりとしましたわね。アビスがこの街の井戸に住み着いて、自らの分身体を井戸水に混ぜて寄生させたのでしょう」


 ミリアの推測に、ハティナが同意した。


「……この魔物の身体。……他者の魔力と親和性が高そう。……宿主の魔力を自分の身体に纏わせることで、ニコの救世の陽光ジェネシスから一時的に自分を守ったのだと思う」


 つまり、本来なら救世の陽光ジェネシスを浴びて滅びるところが、宿主とした人間の魔力を使って自分の身を守ったということらしい。


 魔物の魔力と対極にある魔力がニコの魔力。


 だからこそ、ニコの治癒スキルは魔物にとって必殺のスキルになる。


 それを、他人の魔力を使って防御したわけだ。


 本体の方も、一筋縄ではいかないかも知れない。


 ひとまず、敵の正体は割れた。


 後は、大元を駆除するだけ。


 僕たちは街の中央広場に位置する一番大きな井戸に規制線を張り、新設部隊の兵士で取り囲んだ。


 僕、ライカ、ニコ、モノロイ、ハティナ、イズリー、パラケスト、即唱、ゲナハ、コッポラ、マーライン、そしてメリーシアが井戸を囲む。


 今や王国軍の最高戦力とも言える魔導師と戦士たちだ。


「やるか……」


 僕の呟きに、ニコが答える。


「では、まずはわたくしが」


 そう言って、ニコは井戸の昏い穴の中に救世の陽光ジェネシスで作った光の玉を落とした。


 井戸は沈黙を保つ。


 ニコは数歩だけ後退りしてから口を開く。


「……来ます!」


 地響き。


 地面が唸り声を上げたかの様だった。


 そして、井戸が割れた。


 まるで地割れのように、石組みで造られた井戸と周囲の地面が割れて、血のように赤い水が吹き出る。


 ゴポゴポと音を立てて間欠泉が噴き出すようにその魔物は現れた。


 赤く濁った粘液の身体に、それより鮮やかに輝く深紅の一つ目。


 奈落と呼ばれる邪悪な魔物、アビスだ。


「ほーん、コイツが奈落かあ。とんでもねー魔力じゃぜ」


 パラケストが言う。


 確かに、この魔物の保有する魔力は深淵エンシェント本体を遥かに超える。


 流石に不死身ではないだろうが、あり得ないほどの魔力量だ。


 イズリーはウズウズとした様子ながらも、パラケストの隣でジッと堪えている。


 奈落から脅威を感じ取ったのだろう、ニコが言う。


「ゲナハ、マーライン、コッポラ。 全力で戦うことを許可します。まずは貴方たちが捨て石となり、主さまのお役に立って見せなさい」


 ニコの慈悲も容赦もない命令に、三人が答える。


「うひひひひ! 本気でって良いってことですねぇ? 久々ですよぉ、全力を出してなおすのはぁ!」


 ゲナハは懐からメスのようなナイフをいくつも取り出し、それをくるくると指先で回しながら気炎をあげた。


「……御意。……我が剣と我が命、魔王様に捧げます」


 コッポラは背負った大きなノコギリ状の大剣を構える。


「……本気、ですか」


 そう言うマーラインに、ミリアが言う。


「マーライン。私を苦しめた美技、今こそご主人様の御前に示すのですわ!」


 ミリアの言葉に答えもせず、マーラインは自分の顔にある火傷の跡を引っ掻き血を流した。


「……この痛み、この苦しみ、この恨み。……我が過酷の全てを、私は否定する──」


 マーラインは呟き、身体を脱力させる。


 再び顔を上げたマーラインから、理性の色は消えていた。


「ぎゃああああああああああああああ!」


 マーラインは叫び、両手に魔力を凝縮させる。


 ミリアから聞いたことがある。


 このスキルはマーラインの持つ唯一の攻撃手段。


 このスキルで、彼は過去にミリアを散々に苦しめたらしい。


 ──無慈悲の合掌ルースレスパーム


 魔力を掌に凝縮させ、触れた物全てを腐食させるスキルだそうだ。


 僕たちを含めた王国軍兵士たちの前で、魔王の尖兵ベリアルが八黙に名を連ねる三名による戦いが、幕を開けた。


 

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