第187話 押しかけ師匠

「おーい! シャルルよーい、遊びに来たんじゃぜー!」


 王国の北西。


 獣人国との国境に面する平原に作られた僕の天幕に、随分とお気楽な声を上げながら一人の老人がズカズカと入って来た。


 僕は一応、この国の宰相という、めちゃくちゃ偉い立場の人間だ。


 軍の士官がこの様な無礼を働けば、僕自身は気にしないが常に護衛として側にいるライカに斬り殺されてもおかしくない。


 しかし、ライカは動じず、むしろニコにお茶の用意を促す。


 それは、相手が僕の師であり祖父であり国の英雄である震霆パラケスト・グリムリープだからだろう。


「師匠? どうしたんですか? ……なぜここに?」


 僕はパラケストの来訪に心底驚いて、彼にそんな風に問う。


 僕の腰掛ける椅子がもぞもぞと動いたので、僕は懲罰の纏雷エレクトロキューションを起動した。


「ぎゃああああああああああ!」


 椅子が叫ぶ。


 椅子。


 今は僕の椅子と化しているが、この四つん這いで文字通り僕に尻に敷かれているおっさんは、皇国軍大将にして最高権力者である大教皇である。


「うおう。なんじゃぜ……。驚いたなあ、誰じゃぜ?」


 パラケストは僕の問いには答えずに、心底驚いた様子で言う。


 それに、僕では無くライカが答える。


「愚かにも誉れ高き王国領に足を踏み入れた愚物共の首魁でございます」


「ほーん。大教皇か? シャルルよお、神に唾棄するなんてなあ、恐れ知らずにも程があんじゃぜ……」


 パラケストは若干引き気味でそう言った。


 そして、遅れてもう一人の男が入って来た。


 懐かしい顔だ。


 掃き溜めの王。


 そう呼ばれる彼は、一応、表向きは魔王の尖兵ベリアルの首領であり、実力はともかく王国傭兵ギルドで最強と目される男である。


「よ、よお。……旦那。あんたまたそんな無茶やってんのか……」


 テツタンバリンはそう言って僕と僕の椅子を順番に見る。


 しかし、そんなテツタンバリンに間髪入れずにニコが言う。


「テツタンバリンさん。……不敬ですよ」


「に、ニコの姉御! す、すいやせん……」


 王国最強の傭兵と巷で噂のテツタンバリンの顔が、一瞬で恐怖に染まった。


 ……よく躾けられているなあ。


 僕はニコとテツタンバリンの関係性を、今の短い会話から推測してそんなことを思った。


「で、何の用事ですか? 師匠がまさか、テツタンバリンを見知っていたとは驚きです」


 僕は再度尋ねる。


 こればかりは本当に謎だ。


 パラケストはグリムリープの実家に帰ったが、今の彼は隠居の身であり、ここに来る用事があったとは思えなかったからだ。


「ほーん。……シャルルよお。大変なことになっちまったんじゃぜ」


「……た、大変なこと? ……帝国が動きましたか? それとも、内乱でしょうか? まさか、南方の魔物ですか?」


 ここは王国の北西であり、獣人国の国境線にある。


 獣人国はエルフ領の北側に面しており、街道の関係性からエルフ国が動けばすぐにこちらにも伝わる。


 つまり、国の中央からパラケストが使者として来訪するほどの大事があるとすれば王国北側の帝国が動いたか、国の内部で何か起きたか、南方から魔物が襲来したかのどれかしか考えられない。

 

 そんな風に慌てる僕に、パラケストは深刻そうな顔で言った。


「……金がねえ」


 ……。


 ……。


 ……?


 ……金がない?


 ……誰のだ?


 ……国か?


 ……ミキュロスが浪費してたのか?


 ……それとも、家か?


 ……グリムリープが破産したとか?


 ……いや、僕は割と倹約家だし、今でも家の金は父が管理している。


 あの抜け目ない父がそんなヘマを踏むとも考えられないが……。


 思考を方々に巡らせ押し黙った僕に、パラケストは言う。


「俺、娼館通いすぎちった。……んでな、金ぇ払えんくなってな、すわ一大事! ってんで、お前さんに払って貰おうと思いたったわけなんじゃぜ。ほれ、お前さんてアレじゃろ。何やら、めちゃ偉い役職就いてるじゃろ? いやー、良かったんじゃぜ! お前さんが金持ちで! 持つべき者は孫! あっへっへっへっへ!」


 僕の思考は停止した。


 テツタンバリンが、おずおずと言う。


「だ、旦那……。俺も、出来れば魔王の尖兵ベリアルで立て替えようとしたんだよ。……したんだけど、そもそもその娼館が魔王の尖兵ベリアルの持ち物でな。……そのう、ほら、俺って言わば、ただのお飾りだろ? こりゃあ、勝手にどうこうできるモンでもなくてさ。……あっちにゃ、ムウの姉御もいたんだけど、ムウの姉御が金勘定なんて出来るわけなくてな? 仕方ねーから、せめてニコの姉御にだけでも話通さねえと、俺が後でどんな目に遭うかわかったもんじゃなくてよ……」


「……」


 未だに状況を飲み込めない僕の代わりに、ニコが言う。


「総額で、お幾らですか?」


 ……そこなのだろうか。


 ……大切なのは、そこじゃないのではないだろうか。


 ……親戚が風俗で遊んで作った借金の建て替えを求めに来たと言えば、それはまあそうなんだが。


 ……魔王だよ僕。


 ……魔王に金の無心に来る親戚ってどうなのよ?


 師の来訪の理由のあまりにもな下らなさで完全にファンタスティックな方向に飛躍した僕の思考を置き去りに、神妙な面持ちでテツタンバリンは言う。


「金貨2000枚って話だそうで……」


 わーお。


 王国で二番目に偉い僕の給金の一年分だあ。


 すげーな。


 何人の女性と遊べばそんな額になるんだろう。


 額を聞いて、ニコは何でもないことの様に言う。


「そのくらいであれば、工面いたしましょう」


 わーお。


 二つ返事で工面できちゃうんだあ。


 すげーな。


 魔王の尖兵ベリアルって幾ら稼いでいるんだろう。


 僕の壊れた思考を他所に、今度はパラケストが言う。


「あっへっへっへ! ほれ見ろ! テツタンバリン! だからニコの嬢ちゃんなら助けてくれるって言うたんじゃぜ! あ、それからな、シャルルよお、娼館で遊び過ぎたんがベロンの奴にバレてな! 俺、めちゃ叱られたんじゃぜ! アイツは老人を労わるってことがわかってねえや。だからしばらく家には帰らんことにしたんじゃぜ! ほいだかんな、俺も従軍することにしたんじゃぜ! よろしくな! あ、俺の天幕は別にいらねーよ? どっかその辺の女兵士用の天幕で寝泊りすっかんね」


「帰れ!」


 今度はちゃんと僕は叫んだ。


 僕の座る椅子が、驚いたようにピクリと動いた。

 

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