幕間 壱
私が彼らと出逢ったのは、そう、私が魔導学園の教師としてまだ駆け出しの頃のことである。
今でこそ、彼らは『王国魔導の至宝』だとか『黄金世代』だとか大層な呼び名を付けられてはいるが、当時の彼らはまだやんちゃ盛りの小さな子供に過ぎなかった。
「せんせーよお。せんせーってさ、ホントにつえーの?」
新入生の黒髪の少年が言う。
赤い頬と猫の様にパッチリとした目が、彼から未だ抜けないあどけなさを印象付ける。
「強さとは他人に見せびらかし、ひけらかす物ではありませんよ。それに、強さとは要は比較でしかないのです。誰と比べて強いか。誰と比べて弱いか。それだけの意味しかありません。始祖マーリンと比べれば私は弱いが、君と比べれば私は強いでしょうね」
私が新任の教諭として、学園に入学した彼と教室で初めて交わした会話である。
彼は入学式直後のガイダンスで、皆が大人しく席に座っている中、一人だけ机の上で仁王立ちになっていた。
それは彼にとって最大限の大人への反抗であり、また、彼にとって最大限の大人へのアピールであったのだろうと、今になって私は思い返す。
私は良き教師であろうと努めた。
しかしながら良き教師とは、生徒の側からすれば自らに都合の悪い大人に他ならず、彼もまたそんな風に私を見ていた。
多くの教師は良き指導者であろうと努力するが、多くの教え子が良き教え子であろうと努力することは少ないのだ。
いや、後の彼と私の関わりとそれに比例した互いの成長を思えば、良き指導者たらんとする教師もまた、実際には少ないのかも知れない。
「ほーん。んじゃさあ、俺と
新任の私は悩んでいた。
何しろ、担任として生徒を受け持つのは初めてのことであったし、初めて受け持ったそのクラスには魔導四家の子息が三人もいたからだ。
とは言え、私には彼らを特別扱いしようという気はさらさらなかった。
出自、血筋、家柄、才能、そんなもので生徒を差別することはしない。
そんな姿勢こそが良き教師に必須であると、私はこの頃から今に至るまで、そう考えているからだ。
なので、王国魔導四家の子息である彼に対しても、私はこう返した。
「良いですよ。しかし、私が勝ったらその時、あなたは何を差し出すのです?」
私の問いに、彼はポカンとした顔で私を見た。
彼は私の言葉の意味を測りかねているのだと、私は瞬時に理解した。
「私が負けたら、二度と君に説教はしないと誓いましょう。しかし、私に何か要求するのであれば、君も同じように何かを賭けるべきではありませんか? でなければ賭けになりませんし、また、勝負にもなりませんからね」
私の言葉に、彼は答える。
「ほーん。いいね。そうこなきゃ。そうだなあ、俺が負けたら、これから先は何でもせんせーの言うこと聞いてやんだぜ。ま、俺は負けねーけどね。だって俺、魔導の天才だもん。あ、そーだ! ガドルよお、お前も何か賭けろよ!」
彼に急に話を振られて、机の上に立つ彼の足元で配られたばかりの教科書を読んでいた学生が答える。
「……なぜだい? ……私はトークディア家の跡取りとして君のように恥ずかしい真似をするつもりはないよ。……先生に盾つくのは勝手だけど、どこか別の場所でやるべきではないかな? ……君は今、この教室にいる三十名弱の時間を一人で独占して浪費している。……そんなことだから、コウモリは国中で嫌われるんだよ。……それに、先生も先生だ。……こんな頭の悪い人間に時間を使って、私たち真面目な生徒を蔑ろにしているのだから。……それから、パラケスト・グリムリープ君、私の名前はアンガドルフ・トークディアだ。……私が両親から頂いた誉れ高き名前を短くするのはご遠慮願いたい」
「ほーん? 何言ってんのかよくわかんねーや。てかお前、話のなげーヤツだな。時間は有限なんだから、もっと短くまとめろよな! な? せんせー? ま、いーや。とにかく戦ろーぜ!」
私はこの時思った。
このクソ餓鬼共め!
とにかく、私は目の前で仁王立ちするパラケスト・グリムリープを一瞬で制圧した。
彼が魔法の詠唱に入った頃には、彼は教室の床に転がる羽目になっていた。
魔導四家の子息とは言え、彼らはまだ魔導師の卵でしかない。
教室の床に寝そべるパラケストは言った。
「ほーん。……つえーな。……せんせー」
教室の隅の席で、とある女生徒が呟く。
「ダサ。瞬殺じゃん」
声の主は、ワンスブルーの令嬢ヨハンナだ。
それを聞いたパラケストの絶望に染まった顔を、私は生涯忘れることはないだろう。
結果的に、パラケストがこの時の約束を守ることはなかった。
彼は自分に都合の悪いことを一晩で忘れるという、本人としては極めて幸せな、それでいて、周りの人間としては極めて傍迷惑な能力を持っていたのだ。
私は一年を通して彼らに魔導師としての基礎を教え、翌年、Sクラスの担当として抜擢された。
魔導学園の二年生に進級した教え子の三人がSクラスへと組み替えされ、その功績を以ってして私もSクラスの受け持ちとなったのだ。
その三人の教え子とは、何を隠そう前述の三名である。
アンガドルフ・トークディアは稀代の優等生として名を馳せ、学生会に所属した。
ヨハンナ・ワンスブルーは風紀委員会に属し、害虫から畑を守るカエルの様に学園の風紀を律した。しかしながら、彼女は学園の風紀よりも合法的に弱者を痛ぶることに自らの楽しみを見出した様子であり、学園の全ての生徒から恐れられる存在となっていた。
件のパラケスト・グリムリープは、そんなヨハンナに対抗するかのように学園の悪童や不良たちを一手にまとめ上げ、まるでギャングの様に学園の裏側を牛耳るまでに至っている。
私は彼の将来を悲観した。
パラケストの学園での成績は大変優秀でありながら、授業への姿勢は決して褒められたものであるとは言えなかったからだ。
しかし、彼には不思議と人間がついていく。
一種のカリスマとも呼ぶべきモノを、彼は生まれながらにして持っていたのだ。
この年のSクラスには、一人特別な人間がいた。
Sクラスには本来在籍し得ない、一年生の存在だ。
レディレッドの嫡子である。
彼の名はモルドレイ・レディレッドと言った。
彼は入学してすぐにSクラスに入ったのだ。
本来、Sクラスは二年生以上の優秀な生徒で構成されている。
しかしながら、当時の筆頭魔導師でありレディレッド家当主であったマエストラ・レディレッドの強い意向と政治的な強権により、特別に新入生ながらSクラスに迎えられたのだ。
そんな、鳴り物入りで入学したモルドレイは、すぐにパラケストのオモチャとなった。
「モルちゃんよお、お前、なんでいつもビクビクしてるわけ?」
「だ、だって、ボク、みんなより年下だし……。それに、魔導師としての才能だって……そんなに無いし」
「ほーん? そりゃそうだぜ、お前ら雑魚じゃあ、俺の足元にも及びゃあしねーもんよ。でもなあ、男ならもっとバシッと生きなきゃよお。お前は顔も女の子みてーだから、すぐ舐められてイジメられんぜ? せめてトニージョーみてーに老け顔だったら俺みてーな悪ガキに目ぇ付けられねーで済んだのになあ?」
「……うう」
二人がそんな会話をしていたことを、私は今でもたまに思い出す。
モルドレイのジョブは魔戦士である。
魔戦士はその特性として、魔法の熟練度が伸びにくい傾向にある。
同じ魔戦士でも、パラケストがどんな魔法でもすぐモノにして使いこなす事を考えれば、パラケストの才能は確かに本物であると言わざるを得ないだろう。
パラケストは、いつもモルドレイと一緒にいた。
何かにつけて、彼はモルドレイと時間を共にしたのだ。
とは言え、パラケストはモルドレイに優しくはなかった。
時にパラケストはモルドレイから小銭を巻き上げたり、モルドレイのやってきた宿題をそのまま写したり、自らの開発した新たな魔法の実験台にしていた。
私は教師として、何度かパラケストを呼び出したことがある。
モルドレイに対する彼の行いは、決して褒められるものではなかったからだ。
今でも鮮明に覚えている。
私はパラケストに言った。
「君は随分とモルドレイ君と仲が良い様ですね? しかしながら、友達であるならば彼をもっと大切にするべきではないですか? この前など、彼は身体中を泥だらけにしていました。聞くところによれば、君の開発した魔法の実験台となったそうではないですか」
「ほーん? ああ、アレね。水の魔力を土魔法に転用して、泥を創り出したんよ。すげくね? 俺、天才じゃね? でもなあ、泥って破壊力とかぜんぜんねーのよ。ヨハンナの
この時彼が創り出した魔法は、今では
「パラケスト君、私が言ってるのはその新魔法についてではなく、モルドレイ君に対する君の行いについてですよ」
「ほーん? モルちゃん? でもさ、せんせー。モルちゃん、俺から離れたらすぐイジメられっかんなあー」
当時の私には、彼の言う言葉の意味がわからなかった。
何故なら、教師としての私の視点から言えば、今まさに、モルドレイはパラケストによってイジメられていたのだから。
私はパラケストとモルドレイにしばらく距離を置くように言った。
パラケストにしては珍しく、そしてモルドレイはいつも通り、素直に私の言うことを聞いた。
異変があったのはそれから二週間後の事だ。
モルドレイが、寮から出てこなくなったのだ。
私は引き篭もるモルドレイを訪ねてみた。
部屋のベッドで毛布を被ったまま、モルドレイは泣き腫らした目で、私に言った。
「……先生。……もうボク、学校に行きたくありません」
「何故、ですか?」
私は聞く。
「……みんな、ボクのことを実力もないのに無理矢理Sクラスに入った、親の七光りって言うんです。……でも、でも、それは本当のことなんです。……うう。……ボクは才能も無いのに、いきなりSクラスに入れられて、授業でも足を引っ張ってしまうし。……ヨハンナさんは優しくしてくれるけど、彼女はボクをイジメる人を叩きのめしたいだけなんです。……ボクは自分をイジメる人のこと、好きじゃないけど……でも、あの人たちがヨハンナさんに酷い目に遭わされるのも、嫌なんです」
私はハッとした。
この時の私は教師失格であった。
時に子供は、大人よりも鋭い勘を見せる。
特に、子供社会の領分には敏感なのだ。
パラケスト、彼は彼なりにこのことを予期していたのだ。
パラケストは学園の不良を全て傘下に入れていたので彼に盾つく者は皆無であり、学園では唯一、風紀委員のヨハンナと学生会のアンガドルフだけが彼と対等に渡り合うことができた。
そんな彼はモルドレイを、自らの傘で守っていたのだ。
嫉妬や嫉みの対象からモルドレイを守っていた。
それでも、パラケストはどこか不器用なところがある。
彼は彼なりにモルドレイに愛着を持って接していたが、それを私はイジメであると断じたのだ。
そして、結果として傘を失ったモルドレイは雨に打たれることになった。
この時の私は誰が何と言おうとも教師としてはまさしく、失敗していたのだ。
私はそれを悟り、モルドレイにこんなことを聞いた。
「君は、パラケスト君のことをどう思っているのですか?」
私の質問に、モルドレイはおどおどとした様子ながらも、私の目を真っ直ぐに見て言った。
「ぱ、パラス君は……たまに……いや、だいたい……じゃなくて、ほとんどいつも意地悪だけど、ボクのことを友達だと言ってくれました。……そんなこと言われたの、ボク、初めてで……ボクも、パラス君のことを……そ、そのう、……友達、なんだと思っています」
私はすぐにモルドレイの部屋を後にし、パラケストを呼び出した。
「せんせーよお。まーたお説教かー? 手早く終わらせてくれよなー。これからトニージョーやリクセンたちと商業区にナンパに行くんだぜー」
私はパラケストの目を真っ直ぐに見て、頭を下げた。
「パラケスト君。私は間違っていました。君とモルドレイ君の関係性に、大人である私が介入するべきではありませんでした。どうか、愚かな師を許して欲しい。そして、商業区にはモルドレイ君も一緒に連れて行っては貰えないでしょうか。……彼は、君と離れて苦しんでいます。また、以前のように彼と仲良くしては貰えないでしょうか」
頭を下げる私を見て、パラケストは驚いたようにこんなことを言った。
「ほーん。すごいね、せんせー。子供に頭下げられる大人、俺、初めて見たんだぜ。せんせーは、良いせんせーだな。言われなくてもモルちゃんも連れてくつもりだったんだぜ。何しろ、アイツはモテっかんな。ほら、アイツ、女の子みてーな顔してんだろ? あーゆーのを好きな女って、けっこー多いんだぜ」
ホッとした私の顔を見て、パラケストは照れながら言った。
「せんせー。せんせーはさ、他の大人とはちげーな。何つーか、ちゃんと大人っつーか。最初に出会った時、あん時、俺を自分と対等に扱ったろ? ほら、賭けはお互いに賭けなきゃ成立しねーってやつ。俺をちゃんと勝負の相手として認めたろ? あれ、そのう、何だ。……嬉しかったんだぜ。勝負はソッコーやられちまったけんどね。まあでも、あれはせんせーの不意打ちだかんね。勝負はお預け! 俺は負けてねーんだぜ!」
「ふふふ。そうですね。そういう事にしておきましょう」
私の言葉に彼は嬉しそうにはにかんでから言った。
「へへへ。うん……まあ、そのー、なんだ、これからもよろしくお願いします! ヘノベンノせんせー」
そんな彼に、私はこう返した。
「こちらこそ、君のような生徒に出会えて、私は教師冥利に尽きます。それから、私の名前はヘノベンノではないですよ。私の名前は、ヘルベルト。ヘルベルト・シャワーガインです」
彼は笑った。
私も笑った。
それで、この話はお終い。
言葉はなかったが、私たちの中で確かに、そういうことになった。
リーズヘヴン王立魔導図書館所蔵
ヘルベルト・シャワーガイン著『パラケスト立志伝』より一部抜粋
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