第186話 運命
「さて、では始めよう」
僕はそう言って、天に向かって叫ぶ。
「女神よ! これより、其方の敬虔な信徒を裁く! 我が行いを断ずるならば、天より降りて我を討つが良い! 神の炎で焼くが良い! 神の御業で阻むが良い! この魔王シャルル・グリムリープがお相手仕ろう!」
そうして、大教皇を見る。
金色のおっさんはぶつぶつと何かを言っている。
「い、今ではない。今ではないのだ。いずれ、そう、いずれ貴様らには神罰が降る。いずれだ。今ではない。今でないが、いずれ貴様らは──」
そんな大教皇に、僕は言う。
いつの間にか、
「いずれ? いずれねえ。……教えてやろうか。いずれなんて日はいつまでもこねーよ。この世界の人間にはほとほと呆れて虫唾が走るぜ。いずれ天罰が降る? いずれ人類は団結する? いずれ魔王を倒せる? いずれ世界は良くなる? そうやってお前らは、何百年時間を無駄にした? お前らがその『いずれ
僕はそう言って、南の方角を指差す。
「──今、南方の魔王を倒す。お前らがうだうだ無駄にした時間を、俺が取り返してやる。……だから、お前らは寝てろ、祈ってろ、止まってろ。俺がやる。俺が、向こうの魔王を殺ってやる。だから、お前らはせめて……。……せめて、俺の邪魔をするんじゃねえ! ……裁け。──
大教皇はフワリと浮遊し、平原に浮かぶ漆黒の十字架に捕らえられた。
平原の真ん中で、大教皇は十字架に架けられた。
まるで、彼らの怠惰を裁くように、黒い十字架がその罪を捕らえて野に晒した。
僕は捕虜に背を向けて両手を広げて天を見上げて目を瞑る。
コウモリの刺繍の入ったローブが風に靡く。
神の裁きを待つ、僕のローブに王国軍と皇国軍、両陣営全ての視線が注がれる。
「……」
平原に長い沈黙が流れる。
そして、その沈黙を破るように、女神に賭けた百人の啜り泣きが聞こえてきた。
『神は……神は我らを見捨てたのか』
『神よ! 何故です! 何故、我らの敵に裁きを与えてはくれぬのです!』
『ああ、ああ、もう、もうダメだ』
『俺たち、どうなるんだ……』
『大教皇様……』
『……嘘、だったのか? 騙されてたってのか?』
皇国軍から、そんな声と嗚咽が聞こえる。
まるで、世の哀愁を唄うバラードのように。
そして、僕は手を下ろして捕虜を見る。
それと同時に、再び平原に沈黙が降りる。
そんな沈黙を、僕はすぐに切り裂く。
「さて、どうやら女神はこの生臭坊主ではなく、俺の方を推すらしい。……俺に賭けた諸君! おめでとう。諸君らを解放しよう。そして、
僕の声と同時に、捕虜の縄が切られ始めた。
しかし、武器を奪われた皇国軍の捕虜たちは動こうとしない。
丸腰で森に入っては魔物の良い餌だ。
それに、見届けようとしているのだろう。
女神を選んだ、すなわち、賭けに負けた仲間の未来を。
しばらくして、賭けに勝った兵士たち全ての縄が切られた。
僕はそれを見届けてから、賭けの敗者に向かって言う。
「……女神に賭けた諸君。……残念だ。……女神は非情だな。……諸君らは、これより永劫の苦しみを得るだろう。……だが、安堵して欲しい。諸君らは魔王の軍勢に果敢に挑み、そして誇り高く敗北した。勇敢なるその命までは取らぬ。……取らぬが、覚悟しておけ! 魔王の責め苦は、並ではないぞ! 諸君らが女神信仰を捨て、世界を停滞させた愚かな先人たちに唾棄するようになるまで、俺は諸君らを苦しめるだろう! 恨むなら恨むが良い。呪うなら呪うが良い! 殺したければ、殺しに来るが良い! だが、先に言っておく。貴様ら怠惰なる人間は五百年かけて南方の魔王を滅ぼすに至らなかった! 魔王は不滅! 魔王は不死! 魔王は無敵! 故に、魔王を殺せるは魔王のみ! そして、我こそが魔王! 俺が諸君らの代わりに南方の魔王を滅ぼしてやる! 俺が諸君らの代わりに南方の魔王を屠ってやる! その時、諸君らは俺に感謝するだろう! 魔王を殺した魔王に、畏怖するのだ!」
僕は遠くで皇国軍捕虜を見張っているモノロイに向かって頷く。
モノロイの指揮の元、およそ百名の賭けに敗れた捕虜たちが王国の陣地に連れて行かれた。
「賭けの勝者である彼らに武器を!」
僕は王国軍の兵士たちに言う。
王国軍の兵士たちが、皇国軍から奪った武器を捕虜に配っていく。
この期に及んで反乱する気はないらしく、捕虜の兵士は武器を持っても大人しくしている。
そして、僕は賭けに勝った捕虜たちに言う。
「いつまでそうしている? 諸君らも、裁いて欲しいか? 怠惰なるその罪を!」
蜘蛛の子を散らすように、皇国軍の捕虜たちが森に向かって駆けて行った。
森には当然、魔物がいる。
武器を持ったとは言え、彼らの多くがその餌食となるだろう。
それでも、何人かは故郷の地を踏むはずだ。
それこそ、女神の加護ある者のみが。
僕はそうして、しばらく大教皇を
「こ、殺せ。こんな醜態を晒して、生き長らえるつもりはない……」
大教皇が言う。
それに、僕は答える。
「……死にたければ、女神に殺ってもらえよ。……お前みたいな小者でも、自らの手で殺すのは気に触るんだよ。だが、安心しろ。生を実感させてやるぜ。……知ってるか? 命を危険に晒せば晒すほど、人は生きたがるんだ。皮肉なもんだよな? 人は自分の死期を悟ったその時、真の意味で生を実感するんだ。……俺も殺されかけたことがあるから良くわかる。人間、死を覚悟したと思っても、実際そんな覚悟は簡単に揺らぐ。……それこそ、生き残れる可能性が出た瞬間なんてのはな。……お前は殺さない。殺さないが、覚えとけ、生きた心地を感じる暇なんてないぜ。死んだ方がマシだって思わせてやる。死んだ方がマシだって思わせた後で、ちゃんと生かしてやる。祈るなら今のうちに済ませとけ。……一度始まったら、もう止まらねえ。魔王の
僕の笑みを見て、磔られた大教皇が恐怖をその
遠い将来、獣人国との国境にあるこの平原には名前が付けられた。
魔王の残虐さ。
魔王の冷酷さ。
そして魔王の圧倒的な力が、後の世の地図に残ることとなる。
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