第185話 賭け

 平原の真上に、日は昇った。


 約束の刻限。


 皇国軍と結んだ、話し合いの約束。


 僕は気持ちを新たにした。


 ハティナの言葉が、僕の心に未だに響いていた。


 まるでエコーのように、何度も何度も響く。


「宰相閣下──」


 僕を促す名前の長い隊長を制して、僕は言う。


「お前、名前が長すぎるな。戦場いくさばは非情だ。そしてそこに流れる時間は有限で貴重だ。短く呼びたい、何と呼べば良い?」


 僕の質問に、隊長は何やら驚いたようにボソリと告げた。


「わ、私の異名では如何ですか。……一応、先代の王陛下より『即唱』の名を戴いております」


「詠唱に必要な名前が誰よりも長いのに、他の誰よりも詠唱が速いからか?」


「……は。宰相閣下の無詠唱に比べれば、老いた亀程度の速さに違いありませんが」


「……そうか。では即唱よ、全ての捕虜を平原の真ん中に集めろ。それから、あの金ピカのおっさんもだ」


「御意!」


 何やら嬉しそうな様子で、即唱は走って行った。


 捕らえられた皇国軍は総勢三千人。


 皇国軍は一晩で二千の兵を失ったことになる。


 五千の皇国軍の内、戦闘を担当する兵士は多くてもせいぜい四千あたりだろう。


 軍隊には戦闘を担当する人員の他に、補給や伝令、あるいは軍隊の維持に必要な事務方の兵士も混ざっている。


 戦闘担当の半数を失えば、その軍隊は壊滅と判定される。


 それがこの世界の戦争の常識らしい。


 前の世界の戦争を詳しくは知らないが、僕はライカからそう教わっていた。


 つまり、僕たち王国軍は皇国軍の戦闘担当兵の半数を殺したことで、まんまと彼らを壊滅させたわけだ。


 王国側の損害は三百の兵士が戦闘不能で、死者は数えるほどだった。


 そのほとんどが、新設部隊の兵士だ。


 部隊は元々二千人の規模。


 非戦闘員の割合が極端に少ないのが新設部隊の特徴だが、死者が少ないのは聖女ニコの治癒魔法の存在が大きい。


 ハティナに天幕を追い出されたニコは、その足でそのまま負傷兵の治癒に回った。


 苦しむ新設部隊の兵士を、その伝説級の治癒魔法で片っ端から治していったのだ。


 治癒されているはずの兵士のほとんどが魔物化しており、その身に負った怪我よりも彼女の魔法で苦しんだのは言うまでもない。


 護衛役と参謀役の獣人姉妹に挟まれた僕は平原の真ん中に皇国軍の捕虜を並べ、彼らの目の前で縛られる金色の鎧を着込んだ大教皇の前に立つ。


「さて、約束の刻限だ。話し合いといこうか、大教皇殿」


 僕の言葉に、縄で縛られ地に伏した大教皇は吠える。


「約束だと! 貴様! 約束を反故にして奇襲を仕掛けた卑怯者が何を!」

 

 僕の隣に立つライカがカチリと鞘にしまった曲刀を鳴らす。


 逆隣で大弓を背負ったニコは至って静かに成り行きを見守る。


 ライカから迸る殺気を物ともせず、大教皇は言う。


「王国のグリムリープは、元は帝国の裏切り者と言う話だが、やはり貴様らの性根は変わらんな! 必ずや女神様の怒りに触れ──」


 刹那、ニコが背中に背負った大弓を神速の如き速さで引き抜き、いつの間に番えたのか一本の矢を放った。


 一瞬でその矢は標的に着弾し、それを貫いて平原の地面に突き刺さる。


 矢尻の先に、人間の耳が付いている。


 遅れて、大教皇の左耳があった場所から血が吹き出る。


 それからさらに遅れて、大教皇は悲痛な叫びを上げた。


「え? ……ぎゃあああああああ!」


 ゴロゴロと転がる大教皇。


 そして普段は閉じた見えない眼を開き、首を傾げながらウサギの耳をフワリと揺らしたニコが言う。


「……おや? 愚かな貴方がこれ以上この世に馬鹿を増やさぬようにと、貴方のアレを狙ったのですが、外れてしまいましたか? わたくし、殿方のソレを狙って外したのは初めてのことです。……ふふふ。……どうやら、かなり小さいようですね?」


 あどけない顔してアレとかソレとか言うんじゃない!


 お前はおちんちん専門のスナイパーか!


 おちんちんだけ執拗に狙ってくる聖女って何だよ!


 完全に男性の敵だ!


 それじゃあ、聖女じゃなくて性女じゃねーか!


 字面を間違えているぞ!


 僕は心の中で、マシンガンのように突っ込む。


 戸惑いを隠せずにいる僕の隣で、ライカが言う。


「……ふっ。……情けない。それで大教皇? 一軍の将とは思えぬな。女神の器も知れると言うものだ。……神が神なら信徒も信徒か」


 ライカはそう言って、襟元から首に下げた黒い十字架を曝け出し、皇国軍の捕虜に見せびらかすようにして叫ぶ。


「……虜囚としてその身を晒す諸君! 老婆心ながら、改宗をおすすめする! 黒の十字架サタニズムは良いぞ。……何しろ、神が超絶有能であるばかりか、お前らの信仰するペテンの神とは違い現実に存在していらっしゃる!」


 突如として、僕の心臓のあたりがキュッとなった。


 えー!


 嘘だろ?


 ……マジかよ。


 こんな形の被弾があるだろうか?


 流れ弾ってレベルじゃないぞ。


 まるで明後日の方向に撃った弾が何故かホーミングしてきて自分に直撃したみたいだ。


 ついさっき幼馴染みに叱られてショボくれていた僕が、何故か一転して超絶有能な現人神になってしまっている。


 ……今日は厄日だ。


 大教皇が失った耳の痛みに涙を流しながら叫ぶ。


「貴様らには必ずや女神様の天罰が降るであろう!」


 僕は懸命に気持ちを切り替えて大教皇に向けて言う。


「お互い、今日は厄日のようだ。では、その女神の天罰が降るかどうか試してみよう。僕は神の存在は確信しているが、生憎、女神が君たち如きを守るとは到底考えられないのでね」


 そう言って、僕は大教皇の縄を解かせる。


 自由になった大教皇は左耳を抑えながら立ち上がる。


「た、試すだと?」


 僕は沈黙は銀サイレンスシルバーに命じて魔法を起動する。


 ──堕落の十字架サザンクロス


 僕の目の前の地面から、黒い十字架が生えて浮き上がる。


「神罰が降ると言うなら、僕は次の瞬間にでも落雷で死ぬのかな? それとも、突如として神の炎に焼かれるのか? さあ、証明してもらおうか。貴殿の言う神罰ってものを──」


 ──冥轟刃アルルカン


 僕のソフィーから漆黒の剣が生える。


 そして、一瞬で大教皇を切り刻む。


「ひい!」


 斬られたと勘違いした大教皇が、情け無く声を上げて尻餅をつく。


 当然、金ピカのおっさんは無傷だ。


 五体に黒い重力の枷を付けられ、まるで地に這う虫のようになっている。


 皇国軍の捕虜たちは、その光景を目に焼き付けるように見ている。


「──女神がその神通力で大教皇を守護するか、それとも魔王がその魔法で大教皇を捕らえるか。さあ、諸君らも賭けたまえ。賭けに勝ったもののみ、生かして返そう!」


 僕の言葉に続くように、王国軍の一人の男が魔法を唱えた。


 捕虜たちの丁度真ん中に小さな地割れが起きる。


 地割れと言っても、地面に線が入る程度だ。


 そして、男は叫ぶ。


「さあさあ! 賭けた賭けた! 女神に賭ける者は右へ! 我らが魔王に賭ける者は左へ!」

 

 元気になったタグライトだ。


 彼はイズリーを庇って死にかけていたが、ニコの再生リプロを受けてこの通り、ピンピンしていた。


 このことにイズリーが大層喜んでいたので、僕はニコの頭をわしゃわしゃ撫でたのだ。


 皇国軍の捕虜たちが恐る恐る移動を開始する。


 そのほとんどが、彼らから見て左側、魔王に賭けた。


 女神側に残ったのは、たったの百名ほどだった。


 僕の狙いは、いつだって同じだ。


 相手の心を折る。


 心をへし折って、二度と反抗できなくさせる。


 彼らの目の前で、彼らの信仰を否定する。


 信じるものの無くなった人間は脆い。


 そして、簡単に転ぶのだ。


 まるで魔王の所業だろうが、安心して欲しい。


 僕は、本当の魔王だからだ。


 ハティナは昔、僕に言った。


『わたしの大好きな魔王様でいて』


 ハティナに大好きでいてもらう。


 そのためになら、僕はいつまでも魔王でいる。


 僕はハティナが大好きだ。


 それで彼女が苦しむのは本意ではない。


 本意ではないが、僕がハティナを大好きでいることは、それこそ僕の本意なのだ。

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