第183話 最愛にして最恐

 朝。


 指揮官を失った皇国軍は捕虜として捕らえられた。


 戦場から皇国軍の兵士たちのすすり泣く声が聞こえる。


 僕は自分の天幕に戻って深いため息を吐く。


 ニコは黙って僕からローブを脱がし、テキパキとそれを畳んでお茶を煎れ始めた。


 僕は目の前に出されたお茶に口もつけず、ただただ項垂れた。


 その時、戦場の方から歓声が上がった。


「……主さま。お味方の勝鬨が上がりましたね。御戦勝、祝着至極にございます」


「……全然めでたくない。……はぁ」


 僕の言葉に、ニコはコテンと首を傾げて言う。


「……? なぜですか?」


「……ハティナに怒られる」


「……それは……そのう……わ、わたくしも、ご一緒いたします!」


 僕は聖女ニコを見る。


 彼女は数多の魔物を滅ぼせる。


 それこそ一方的に蹂躙できるだろう。


 人類を蹂躙するために造られ、実際五百年もの間、人類を蹂躙し続けてきた魔物たちを。


 そして、一国の闇を牛耳り筋金入りの悪人たちの親玉で国王すらその顔色を伺う。


 彼女の不興を買えば、リーズヘヴンでは生きていけない、いや、次の日には骨も残らず消されるだろう。


 比喩ではなく、そもそもいなかった事にされてもおかしくない。


 しかし、目の前の少女は青ざめた顔で冷や汗をかいている。


 ハティナの説教に恐怖しているのだ。


 魔王と聖女。


 この世界で、救世主にも災厄の権化にもなれる二人の強者は、たった一人の寡黙な少女を恐れているのだ。


 魔王が幼馴染みの女の子に怒られることを何より恐れる。


 それで良いのか魔王!


 僕の内側からそんな叫びが聞こえるが、僕にとっては生きた心地がしないのだ。


 僕は強い。


 驕りでも傲慢でもなく、一対一の勝負なら誰にも負けない自信がある。


 どこまでも敵に対して非情になれるし、それ故に手段は選ばない。


 僕は帝国の英雄たる勇者ギレンを圧倒した。


 王国魔導の最強の一角であるベロン・グリムリープ相手でも、僕は勝ち星を挙げた。


 モノロイも、今では王国魔導界ではトップの実力があるだろうが、僕には魔物特効がある。


 一対一の戦いなら、僕に軍配が上がるだろう。


 それでも。


 それでもやっぱり、ハティナにだけは絶対勝てない。


 いろんな意味で勝てないのだ。


「宰相閣下」


 僕の天幕の外側から声が聞こえた。


 僕とニコは同時に身体をビクッと震わせた。


「……入れ」


 僕の声を聞いて、質素な天幕に名前の長い隊長とモノロイが入って来た。


 モノロイは金色に輝く鎧を着込んだおっさんを連れている。


 敵軍の大将だろう。


「敵軍の大将を捕らえました。御検分を」


 モノロイが言う。


「モノロイか。今それどころじゃないんだ。お前がいない間、どえらいことになった」


「なんと! 新たな敵軍でしょうか? まさか、獣人国の参戦ですか? それとも、帝国が皇国軍の動きに呼応しましたか?」


 モノロイは慌てたように言う。


「いや、イズリーが敗北して撤退して、ハティナが怒った」


「ああ、そのことですか。イズリー殿にお怪我はないようですし、ダクライト殿も存命だそうで。……いやはや胸を撫で下ろしました」


 ……コイツ。


 一人でホッとしてんじゃねえ。


 僕は胸の内で毒づく。


「貴様! 魔王シャルル・グリムリープか! 我こそは女神信仰の総本山たる皇国の大教皇であるぞ! 貴様には必ずや女神様より天罰が降るであろう!」


 金色のおっさんが言う。


「……さえずるな」


 僕は影縫スティッチで創り出した影の紐でおっさんを縛り上げる。


 女神の天罰だあ?


 そんなもん怖くもなんともねえんだよ。


 こちとら今年で魔王十七年目のベテラン選手だ。


 今更、そんなもん怖がってられるか。


 そんなことより、もうそろそろ降りそうなんだよ!


 それより遥かに恐ろしい、幼馴染みの女の子による懲罰が!


「シャルル殿! 敵大将を処断しては、戦が泥沼になりますぞ!」


「知るかボケえ! このツルピカアウストラロピテクスがあ! このおっさんさえ国境越えて来なければ、僕がハティナに怒られることにはならなかっただろうがあ!」


「あ、あうすと……? い、いやシャルル殿! そ、そうです! ハティナ殿! ハティナ殿です!」


 モノロイの言葉に、おっさんを締め殺そうとした僕の影縫スティッチが止まる。


「……ハティナが何?」


「て、敵将を勝手に処断しては、それこそハティナ殿のご不興を買うのでは? ハティナ殿のことです。かの御仁は賢く、シャルル殿への忠誠は揺るぐことはありません。きっと、シャルル殿の政治的な決定に異を挟むことはないでしょう。ですが、ハティナ殿に怒られるからという理由で敵将を処断しては、かの御仁の覚えがめでたくなるとは到底思ませぬ! そ、それに、敵軍との約定もあります! 正午に話し合うという、アレです! 諦めましょう! 一度諦めて、ハティナ殿にしっかりと叱っていただき、それでも殺したければ、この者はその時!」


 モノロイの言葉は一理ある。


 いや、もう、今は少しでもハティナへの印象を良くしておきたい。


「……モノロイ、貴様の主人あるじとして頼みがある」


「は。何なりと」


「……僕と一緒に叱られてはくれぬか?」


「……無理です」


「……で、あるか」


 僕の言葉と同時に、天幕の中にハティナとイズリーが入って来た。


 イズリーは目を腫らして泣いている。


 ハティナは……。


 彼女は完全にキレていた。

 

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