第182話 血塗れの夜

 個の力。


 それは、いざ対峙してみれば強大に感じる。


 しかし、実のところは儚く脆い。


 それが血生臭い殺し合いの場なら尚更だ。


 例えばモノロイが実際に成し遂げたように、相手に命を張る気概がなければあるいは、一人の兵士が千の兵士を壊滅させることもあるかもしれない。


 相手が死ぬことを覚悟し、腹を括った死兵なら話は別だ。


 人は失うものを恐れるあまり、いざ自分の首筋に刃が突きつけられた時には怯み臆するが、死を覚悟したつわものにはそれはない。


 殺すか殺されるか。


 それしか存在しない戦場で、はやった兵士は真っ先に死ぬ。


 敵陣に孤立したイズリーは、まさに袋の鼠だった。


 僕の中で至福の暴魔トリガーハッピーが目を覚まし、破壊の衝動の発露を求める。


 大楯を持った兵士に囲まれ、押し潰されようとしているイズリーが、まるで手負いの獣のように暴れている。


 彼女は、足元で横たわるタグライトを守るように敵の槍を掴みへし折り吠えている。

 

 大楯を持つ兵士の後方の魔導師が魔法の詠唱を行い、イズリーに杖を向ける。

 

「シャルル!」


 ハティナが叫ぶ。


「この距離なら届かせる!」


 僕はとっさに腰からソフィーを引き抜き、念しで皇国魔導師の魔力を捉える。


 王国陣地に造られた土壁の上から、その魔導師に狙いを定めて魔法を放つ。


 上級闇魔法。


 ──徒花影縫ブルームスティッチ


 中級闇魔法、影縫スティッチ


 その上位に位置する闇魔法。


 影の紐を創り操る影縫スティッチとは対象的に、この魔法はいわば自動操作だ。


 術者の感知した魔力に真っ直ぐ飛んでいき、その魔力の根源を貫く魔法。


 僕のソフィーから細い影の紐が矢のように伸びる。


 起動から着弾までのタイムラグはほとんど存在しない。


 この世界でほとんど唯一、起動後最速を誇る雷魔法のスピードを凌ぐ魔法。


 自身の魔力と対象の魔力を繋ぐことでこの鋭利な影の紐は狙いに瞬時に到達する。


 僕の魔法が皇国魔導師の後頭部を狙撃した。


 さらに僕の撃ち出したこの魔法は二度咲く。


 まるで栄養を求めて伸びる草の根のように、皇国魔導師の身体を内側から突き破って無数の影の紐が周辺の兵士に突き刺さった。


 魔導師を一瞬で葬り、その魔導師の魔力を吸収して周りの仲間を貫く。


 それが、徒花影縫ブルームスティッチという魔法。


 かつてこの魔法が魔導師殺しと呼ばれた所以だ。


 古来よりエルフが得意としたそうだが、今では使える人間は限られるらしい。


 数多の魔法に通じていたトイロト・シャワーガインから聞いた魔法だが、覚えておいて良かった。


 パリンと音を立てて僕のソフィーの先から伸びた影の紐が砕け散る。


 それと同時に、イズリーの元にライカが到着した。


 ライカは象の獣人やその仲間と共に皇国軍の隊列に飛び込み、曲剣を振って皇国兵の首を落としていく。


 イズリーはライカと合流し、彼女と共に再び皇国軍の陣形に穴を開けて窮地を逃れた。


 深手を負ったタグライトは象の獣人が担いでいる。


 それを見届けて、僕は近くの兵士に言う。


「イズリーたちを後方まで退げさせろ」


「御意!」


 僕に言われた兵士が伝令に走った。


「……シャルル……後で話がある」


 ハティナが僕をジッと見て言った。


 僕はそれに黙って頷く。


「……ミリア。……私たちも出る」


 ハティナの言葉に、ミリアは片目を閉じて言う。


「戦況が、動くのですわね?」


「……行く」


 ハティナは多くを語らない。


 それでも、ミリアはハティナの戦術眼に絶対の信頼を置いているのだろう、僕を見て許可を得ようとした。


「ご主人様──」


 僕は一言、「行け」と言う。


 ミリアの号令がかかり、本陣で待機していたミリア隊が動く。


 それと同時に、皇国軍が盛り返し始めた。


 撤退を諦め、総大将を逃す為に殿しんがりとなった皇国軍の死兵は、徐々に新設部隊を押し返す。


 しかし、傾きかけた戦況はミリア隊の参戦で再び王国軍の優位となった。


 夜盗のように暴れていた新設部隊は、いつの間にか名前の長い隊長の元に集結していた。


 森に逃げた皇国軍の本隊のいる場所だ。


 平原に残った皇国兵士たちを、ミリア隊が囲い込んで本隊と分断する。


 皇国軍の本隊は新設部隊に囲まれ、さらにその中心でモノロイが暴れまわっている。


 戦場は本陣を逃す為に残った兵士たちと、それを囲んでじわじわと削っていくミリア隊。


 なんとか森に逃げ込もうとする皇国軍本隊と、それを許さない王国新設部隊の乱戦。


 戦場は完全に、二つに分かれた。


 そして、モノロイの強さは別格だった。


 彼はイズリーのように大楯を持った兵士たちに囲まれても、物の数ともせずにそれらを蹴散らし、魔物を食べることで獲得した魔力抵抗によって魔法によるダメージも通らない。


 モノロイは、僕やイズリーより遥かに強かった。


 モノロイは皇国軍の本陣を真っ直ぐに、そして悠々と切り裂き、騎馬に乗った一際装飾の凝った鎧を着込む武将を馬ごと引き摺り倒す。


 モノロイはその武将の襟元を掴んで片腕で持ち上げ、もう片方の手で兜を剥ぎ取る。


「皇国総大将、このモノロイ・セードルフが捕らえた!」


 平原に轟く猛将の雄叫び。


 すぐさま僕の元に伝令が駆けて来て、モノロイが敵軍総大将を生捕りにし、イズリーが無事撤退したことを報告してくる。


 総大将が捕らえられたと知った皇国兵士たちは、先ほどまでの奮戦とは打って変わってあれよあれよと瓦解した。


 そこからは早かった。


 ミリア隊に囲まれた皇国軍が武器と兜を捨てて降伏し、本陣を守っていた皇国軍の兵士たちは降伏する間もなく新設部隊の兵士たちに皆殺しにされた。


 戦場に平穏が訪れる頃、まるで血塗れの夜の終わりを告げるように、王都の方角から朝日が昇った。

 

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