第181話 月光と篝火と虐殺と危機
月が平原の真上に浮かぶ。
ぼんやりと淡い光に包まれた平原はまるで幻想の世界のようだ。
この世界はどこまでも醜い。
そんな幻想はクソ食らえだ。
そんなことを主張するかのように、夜の静寂は王国軍の雄叫びによって切り裂かれた。
皇国軍陣営に焚かれた篝火が、魔物化した王国兵たちの暴虐ぶりを妖しく夜陰に照らし出す。
まるで悪鬼悪霊たちが、地獄の咎人たちを痛めつけるかのように、皇国陣営は王国軍によって蹂躙された。
不意を突かれた皇国兵たちは右往左往し、後ろから王国兵に斬り殺される。
メリーシアの用意した毒の霧。
どうやら相手を麻痺させる毒らしい。
新設部隊の兵士が瓶を投げ、煙が上がる。
煙が晴れると、そこにはピクピクと痙攣する皇国兵たちが残るばかりだ。
そして、地べたに転がる皇国兵に容赦なく王国の魔人たちが剣を突き立てる。
そうして、皇国兵たちは次々に殺されていく。
逃げ惑う兵たちはまだ長く生きられた。
むしろ、素早く奇襲に適応した兵士たちから真っ先に、王国の魔人たちの注目を買う。
王国兵による殺戮の一角から、火の手が上がった。
皇国魔導師の魔法が飛び、王国兵に直撃する。
防御スキルがなければ一発で再起不能になるであろう威力の魔法を食らって、王国兵の数人がゴロゴロと転がる。
その数名の王国兵は、一瞬だけ地に伏していたが、すぐにムクリと起きて魔法の発射地点に駆けて行く。
『熱いだろうが!』
『俺らを殺せるのは魔王様とニコ様だけだ!』
『死にさらせえ!』
そんなことを叫びながら、魔法が直撃したはずの兵士たちは、すぐに皇国魔導師を討ち取った。
魔物化した兵士がここまで恐ろしいモノだとは思わなかった。
彼らに魔法は効かない。
魔物に魔法が効きにくいように、彼らは魔法に対する抵抗力を持っている。
魔物特効を持たない魔導師の魔法は、むしろ彼らの怒りに火を注ぐだけでしかない。
奇襲に気付いた皇国軍の対応は早かったが、戦況を盛り返すことはなかった。
新設部隊の兵士たちの強さは、完全に僕の想定の範囲外だった。
魔法が効かない。
ただそれだけで、寄せ集めの軍隊がほとんど一方的に他国の正規軍を粉砕していく。
味方であるからこそ、こうやって僕は傍観していられるが、彼らが敵国だと思うと心底ゾッとする思いだ。
とりわけ、獣人の兵士の強さたるや他国の英雄と遜色ないほどだ。
今も、皇国軍の騎士たちを素手で張り倒している獣人がいる。
象の耳を持つ大男だ。
象の獣人は長いマントを羽織った皇国軍の剣士と相対した。
この世界の貴族はマントを着用することがある。
ローブと違い、マントの着用は限られた者にのみ許されている。
マントの質、長さ、色。
全て、その者の立場や階級を表しているからだ。
ハティナもミリアもマントを羽織っているが、ハティナのそれはミリアのものよりも短い作りだ。
それは、ハティナが階級上ミリアの下位にあるからで、イズリーがマントをもらえていないのは、つまりそう言うことである。
象の獣人と相対した皇国軍の剣士は何やら名乗りを上げていたが、その名乗りを待たずに象の獣人に首をねじ切られて絶命していた。
長いマントを羽織るということは、それだけ彼の立場が高かったことを意味する。
皇国軍の名だたる精鋭を、王国軍の名もなき兵士が討ち取る。
血筋や家名、あるいは種族で他者を差別する者が多くいるこの世界で、まるでこの平原だけが夜の闇に囚われ、全てが反転したかのような光景だ。
力。
力のある者のみが生き残り、力無き者は死して屍を晒す。
そこには血筋も家柄も関係なく、ただひたすらに力のみがモノを語る世界がある。
弱肉強食。
ただそれだけの現実が、そこには大きく横たわる。
皇国軍が撤退を開始した。
甲高いビョーグルの音が鳴り響き、皇国兵は我先に森の方へ駆け出している。
突如、森の方向から爆炎が立ち昇る。
皇国軍と森を隔てる平原に、白煙が壁を作り出す。
月光に照らされたその煙が晴れ、モノロイと名前の長い隊長が現れる。
周りには護衛に数名の兵士が控えているが、森に向かう皇国兵の百分の一にも満たないだろう。
そんな小勢のモノロイたちが、皇国軍の一点を目指して走る。
敵軍の総大将を目指しているのだろう。
それと時を同じくして、
盾を構えて方円を描く皇国軍の西側の隊列が崩れたのだ。
「ひゃっほーう! 殺し放題だー!」
イズリーだった。
すぐ後ろに、タグライトの姿も見える。
「……監軍が突撃してどうする」
僕の呟きを聞いた隣のハティナが言う。
「……あれは、拙いかもしれない」
彼女は単騎で敵陣に突っ込み、四方の兵士を殴りつけている。
皇国軍の陣形はすぐに空いた穴を塞いだ。
そして、イズリーはより孤立を深める。
盾を構えてイズリーを取り囲む兵士たちの後方から魔導師の魔法が飛んだ。
イズリーの死角から飛んだ魔法が、イズリーに直撃する寸前で弾けて消えた。
イズリーの足元に、タグライトが横たわっている。
「主様!」
「行け!」
ライカと僕は短く言葉を交わす。
ライカは僕の返事とほぼ同時に、イズリーの元に駆けていく。
風を追い抜くように速く移動するライカは、途中で先ほどマントの剣士を討ち取った象の獣人と、彼と隊を同じくする兵たちを引き連れてイズリーの救出に向かった。
僕の内面で、ドロドロとした闇が広がる。
イズリーに何かあれば、これはもう、正しく僕のせいだ。
僕の心の中で、堰を切ったように焦りと罪悪感が濁流のように押し寄せてきた。
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