第178話 墓穴
戦では人が死ぬ。
人が人を殺す。
そこに正義なんてものは存在しないし、大義なんてものも存在しない。
そこに在るのはただ血湧き肉躍る苛烈な闘争と、その戦争を実際に経験していない者にとってのみ甘美に響く名誉という幻想。
僕にとってはニコを守るための戦だが、彼らにとっても名目は魔王から聖女を奪還するため、とどのつまりは彼らもニコを守ろうとしているわけだ。
僕らは互いに自らの正義のために戦う。
まさか帝国で金貨百枚で買った奴隷──しかもニコはライカの抱き合わせだ──が、王国と皇国の間で戦火の火種となるとは思わなかった。
この世界で、広大な森林はほとんど世界樹ユグドラシルの影響化にある。
大陸北方の西側に生えるその大樹から東側に伸びる根の真上、王国と周辺三国を分断する形で広がる樹海。
王国からみて北西に位置する樹海を出た平原で王国勢と皇国勢は睨み合っている。
皇国軍は総勢五千ほど。
それに対して、こちらは新設部隊の二千とミリア隊の三千の合わせて五千。
どちらも大軍には変わらないが、戦力規模は同じだ。
「宰相閣下。また使者が現れました」
モノロイと共に新設部隊の大将として参陣している、名前の長い指揮官の男が言う。
「聖女を渡せってヤツだろ? 何度目だ?」
「四度目の来訪です」
もうかれこれ一週間ほど、こうして睨み合いを続けることで時間を浪費していた。
戦争には口実が必要だ。
例えそれが詭弁であっても、理由なく他国を侵略すれば周辺各国から非難される。
こちらは皇国軍を国境侵犯として迎撃する大義を持っている。
皇国には聖女奪還という口実があるにはあるが、それだけでは国際社会に対して戦争を引き起こした口実としては弱いと考えているのだろう。
皇国は再三に渡り使者を寄越していた。
さすがに使者を殺せば角が立つので、僕は何度も訪れる使者に対して、腹が痛いから今は無理だとか、今日は雨だから無理だとか、最終的には気が向かないなどと言って話し合いを拒否していた。
膠着状態を維持するのには理由がある。
こちらは国境内なので補給物資に困らないが、皇国は違う。
彼らは獣人国の国境を通過している。
しかも、大いなるユグドラシルの森林を超えてだ。
彼らの持参した兵糧には限りがあるだろうし、背後に広がる樹海に退路を絶たれた状態なので逃げ場のないストレスもあるだろう。
本当は焦れた皇国側から攻撃を仕掛けて欲しかったが、どうやら彼らの思惑は聖女に対して武力投入も辞さないという脅し、いわば示威行動なのだ。
その証拠に、彼らはこちらを攻撃せずに使者ばかりを寄越してくる。
僕は相手に攻めてもらって戦後の国際社会で優位に立つという思惑を捨てることにした。
その理由のひとつは、相手方の総大将の存在だ。
皇国は、あろうことか総大将に大教皇、つまり、彼らにとっての指導者を据えていた。
なんでも彼らは女神を信仰している理由から、聖女奪還は聖戦であるとして無理やり出兵してきたらしい。
そして、皇国法では聖戦は大教皇が軍を率いるという決まりがあるそうだ。
つまり今、僕たちの目の前に相手方の王様がいる。
彼を捕らえれば皇国との交渉が圧倒的に優位になるばかりか、他国に対しても軍事力をアピールする有効なカードになる。
思案する僕に、従軍していたニコが言う。
「主さま、また追い返しますか? 姉さま──」
「うむ。任せよ。次の言い訳は、そうだな、また腹痛で良いか」
ライカが言った。
それだと僕がめちゃくちゃ胃腸の弱い魔王だと思われるのではないだろうか。
そんなことを考え、僕は言う。
「いや、いい。そろそろ会うか。戦争は金がかかっていけないな」
「は。では、お通しします」
そう言って、ジャンなんとか言う新設部隊の隊長が使者を僕の天幕に通した。
天幕の中は極めて質素だ。
この世界で起こる戦争の総大将は、天幕に華美な装飾を施すことが通例らしい。
使者を通した時、相手方に舐められないようにという配慮だそうだが、僕はそれを断った。
戦争なんていう愚かな殺し合いで自らを装っても仕方ないし、ここまで運ぶ兵士も苦労するだけだ。
醜く争い合う僕らは動物。
いくら宝石や綺麗な布で着飾っても、僕らは互いに互いを喰らい合う愚かで醜い動物でしかない。
僕の前に立つ使者が、僕の天幕を見てふっと鼻で笑った。
「お会い出来て光栄です。私は──」
仰々しく一礼した使者の言葉を遮って、僕は言う。
「長ったらしい挨拶はいい。明日の正午、そちらの総大将と話し合いがしたい。条件次第ではこちらには撤兵の用意がある」
使者の男は一瞬だけ驚いた顔をして、それから僕を見下すような下卑た笑みを浮かべ、それを隠すように咳払いをしてから言った。
「話し合いで解決できるであれば、こちらはそれを望んでおります。明日正午に、場所は互いの陣地の中間地点に天幕を用意しましょう。そちらで、如何か?」
使者の男は頷く僕を見て「では、明日の正午に」とだけ言って去って行った。
使者が去った後、モノロイと隊長が天幕に入って来た。
僕は使者と話し合ったことをそのまま彼らに告げた。
隊長の男は、「それでは、明日までに戦支度を整えておきます」と言ったが、それをモノロイが遮った。
「テルメジャンアルカルシャンディア殿、それでは遅すぎる。そうですな? シャルル殿」
まるで僕の考えを見透かすように、モノロイは言った。
「その通り。僕は明日の正午に話し合いをしようと言った。両国の中間地点でだ。だが、それまでに攻撃しないとは言っていない。明日の正午までに皇国軍の大将を生け捕りにして、両陣営の中間地点で話し合いをすれば、約束は果たされる。話し合いの場で相手方が縄で縛られ地べたに横たわっていようと、話し合いは話し合いだ。……使者の彼は勝手に勘違いしたみたいだがな」
「……え?」
名前の長い隊長はポカンとしている。
「夜襲ですな。準備を整えておきます。ミリア殿には何と?」
隊長とは対象的に、モノロイは僕の考えを看破して言った。
「ミリア隊は後方待機。新設部隊の力を見たい。期待に応えてくれるな? モノロイ」
「無論」
「では、任せた」
僕たちの会話は終わった。
モノロイがいてくれてよかった。
長い付き合いだけあって、彼との仕事にはストレスがない。
女神を信仰する皇国。
僕からすればお利口さんだ。
お利口さんには邪道がよく効く。
それは、演武祭の選抜戦でウォシュレット君との戦いから学んだ教訓だ。
お利口さんの彼らは流儀と体裁にこだわる。
それ故に、僕の天幕を見てこちらを舐めた。
それが彼らの掘った
魔王の言葉を鵜呑みにした、お利口さんの掘った
あちらが丁寧に掘ってくれた墓穴。
あとは丁寧にあちらを埋めるだけ。
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