第173話 主従
深淵と呼ばれ恐れられた魔物がいた。
南方に生まれ、いつの間にかカナン大河を渡りフィルミネールの樹海に巣食った魔物。
屍人を操り、自らの支配領域を少しずつ広げていった魔物。
禍々しく、
エルフ国、獣人国、王国。
三ヶ国の連合軍を退け、滅ぼすことは不可能だとさえ思われていた魔物。
王国の英雄、パラケスト・グリムリープの精鋭を、ほとんど全滅にまで追い込んだ魔物。
そんな力の権化のような魔物は眩い光を放って、今、僕たちの目の前で、滅んだ。
まるで星降る夜空のように、辺りに暖かな光を撒き散らす。
「わー。きれー」
イズリーがうっとりとした
「うまく、いきましたね」
ニコが言う。
その通りだった。
エンシェントの破壊の魔力が、ニコの持つ再生の魔力に変わり、魔物としての姿を維持できずに崩壊しているように見える。
そうして、深淵と呼ばれた無敵にして不敗の魔物エンシェントは樹海を明るく照らして滅び去った。
エンシェントの放った最期の閃光を見ながら、パラケストは呟く。
「……安らかにな。……それから、すまんかったなあ。……許せよ、皆の衆」
かつての仲間に向けたその小さな呟きを、僕は聞き逃さなかった。
「ぐおおおおお!」
若干一名、この綺麗な光を浴びて苦しむ原始人がいたので、この感動的な光景は台無しになった。
光は消え、森に静寂が戻った。
「んー? なんだこれー、馬の糞かな?」
イズリーが何かを見つけて、グローブを外した手でおずおずとそれを持ち上げた。
馬の糞の疑いのあるものをそんなあっさりと持ち上げるなよ。
……しかも素手で。
「シャルルー。なんか見つけたー」
イズリーが馬の糞っぽい何かを僕に向ける。
「……なんだろう」
「イズリーさん、よく素手で掴めますわね……」
ミリアやハティナも遠巻きにそれを見つめている。
イズリーの手の中にすっぽりと収まっている、野球ボールくらいの黒い塊。
おそらく、エンシェントの落とした素材だろう。
南方の魔王の
ホーンベアーなら角を、デュラハンならその鎧を。
僕はイズリーからそれを受け取って、顔に近づけて匂いを嗅ぐ。
芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
「良い香りだ」
「……」
ハティナがあからさまに顔をしかめて僕のことを見る。
……コイツ、馬糞の匂い嗅いで「良い香りだ」とか言ってるよ。引くわー。みたいな顔だ。
違うぞ。
違うんだ。
僕は決してイズリーの拾った馬糞をテイスティングしたわけではない。
「シャルル殿……さすがに
苦しみから復活したモノロイが言う。
僕は思った。
……殺すぞ。
嗅ぐならせめて人目がないところで嗅げみたいな言い方はやめてほしい。
僕にそんな趣味と性癖はない。
「……これはキノコだ」
僕は馬糞を嗅いで「良い香りだ」なんてドヤ顔したわけではないことをアピールするために、そう言った。
「確かに、馬糞の匂いはしませんね」
ライカが言う。
彼女は犬の獣人だ。
鼻が効くのだろう。
僕から少し離れたところでそんなことを言う。
その台詞はもう少し早く言ってくれ。
「へー。変なキノコだねえ。うんこみたい」
オブラートに包むなんて、しちめんどくさい事は全くしないイズリーが言う。
君はうんこみたいな物体を素手で掴んだんだぞ?
「ほーん。エンシェントから出てきたのはキノコか。しっかし、よくエンシェントの弱点を見抜いたもんじゃぜ。本体が地下にあるなんて、想像もせんかったんじゃぜ」
「全て推測でしたが、当たって良かったです」
「……ほーん。ま、ええやな、先に帰っていいんじゃぜ。俺、仲間の遺骨を拾わんといかんからね」
パラケストの言葉に僕は答える。
「僕たちも手伝います。人数は多い方が──」
「いや、俺一人でやるんじゃぜ。これだけは、俺が自分の手でやんねーとね」
パラケストは、とても悲しそうな顔をしてそう言った。
彼の過去の凄惨な悲劇。
その呪縛から解き放たれるには、彼が己の手で成し遂げなければいけないのだろう。
これは、いわば通過儀礼なのだ。
過去の
己が呪縛から己を解き放つのは、他の誰でもない、自分自身。
彼の言葉は、きっとそういうことなのだろう。
「……わかりました。先に、帰っています」
「おう。樹海の入り口にモルちゃんがおるんじゃぜ? そっちの本陣に帰っとけい。俺も、全部拾い終えたらそっち行くんじゃぜ。モノ、棺桶貸すんじゃぜ」
パラケストはそう言って、モノロイから受け取った棺桶を背負い森の奥に消えた。
「シャルル殿……」
モノロイは突然、僕の前に跪いた。
「な、なんだモノロイ。どうした急に?」
「我とパラス師の宿敵は潰えた。これよりこのモノロイ・セードルフ、貴殿の御為に働く所存である。是非とも、貴殿の麾下に加えていただきたい」
「モノロイ、僕たちはそんな──」
まるで家臣になると言わんばかりのモノロイを止めようとする僕を遮って彼は言う。
「シャルル殿、我が三年の修行に身を置いたのは偏に貴殿に仕えるため。主従の契りと友誼は別もの。我は、はっきりさせておきたいのだ」
モノロイの覚悟だった。
友であり、従者である。
そんな関係性を、彼自身が望んだのだろう。
僕は、それに黙って頷いた。
そして、そんな僕を見てモノロイは豪快に笑った。
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