第170話 キノコ
鳥の巣のようなオブジェの中心部から生えた黒いキノコが、ぶくぶくと膨張していく、高さはすでに3メートルを優に超えている。
「おーい! シャルルー! わわわ! なんだこれー!」
イズリーとニコが合流した。
彼女たちはエンシェントのサインを燃やし、そこから中心部目指して進んできたのだ。
すぐにミリアとライカ組も合流する。
「主様! 不肖ライカ、御命令を遂行しました!」
「あらあら、まあまあ、犬ころがキャンキャンうるさいですわねえ。ご主人様、貴方様のミリアが任務を遂行いたしました」
「おいデブ、口を慎めよ?」
「デ……、女性的な体型と仰っていただけますかしら?」
……二人は仲良しだ。
僕はそう思うことにした。
さらに、ライカたちとは逆側から二人の人影が歩いて来る。
ハティナとムウちゃんだ。
「……終わった。……そう言えば、喉が乾いた」
「……むうー」
ムウちゃんは自分の懐から水筒を出してストローをさし、それをハティナに差し出した。
まるで、ハティナの家臣であるかのように恭しく。
「……野菜ジュースは嫌い」
「むうー!」
ムウちゃんは絶望感に打ちひしがれるかのような表情だ。
「……本陣に戻ったら水が飲みたい」
「むう!」
ムウちゃんは、今度は王国式の敬礼をハティナに向けた。
……飼い慣らされている。
二人の間に何があったのかは解らないが、とにかくムウちゃんはハティナに絶対の忠誠を誓ったらしい。
そう言えば、ムウちゃんは演武祭で暴れ回った時にハティナのグーパン一撃で沈んでいた。
ハティナの恐ろしさを一番間近で体感していたのだ。
ある意味、この反応は普通なのかもしれない。
そんなハティナの飼い犬に成り果てたムウちゃんに、ライカが言葉をかける。
「ムウ、ハティナ様の御前で無礼は働いておらぬだろうな? きちんと勤めを果たしたのか?」
「……むうー」
ムウちゃんはぷいとそっぽを向く。
「な、何だその態度は! ムウ! こっちを向け! おい! きちんと自分の仕事を……貴様! 私の話を無視して野菜ジュースを飲むな! おい! 聞いてるのか! ムウ!」
ムウちゃんはつんとした様子でライカを一向に見ようとしない。
明後日の方向を向いて、ハティナに断られた野菜ジュースをチューチューと吸っている。
「……ライカの言うことは、ちゃんと聞くべき」
ハティナが言った。
鶴の一声だった。
「ムウ!」
ムウちゃんは野菜ジュースの入った水筒をメイド服の懐に押し込んでライカに敬礼した。
「そ、それはそれで納得できんぞ!」
ライカの声が、虚しく樹海に響いた。
「何を騒いでおるのだ? ん? 何だこの巨大なキノコは!」
モノロイが、僕たちとは反対側から歩いて来た。
森に慣れたモノロイが一番遠くのサインを壊したはずだが、それにしても速い。
さすがは森の野蛮人だ。
「む? シャルル殿、また何か良からぬ事を考えておるのか? 貴殿はすぐに顔に出るからな」
モノロイが怪訝そうな顔で言う。
良からぬ事というか、普通に君の悪口だ。
と、僕は思ったが、何も言わずに首を振る。
「いや、何でもないよ。……それよりモノロイ、これをどう見る?」
僕は巨大な鳥の巣の中心に生える、それよりさらに大きなキノコを指差す。
黒いキノコは、5メートルほどの大きさまで膨れてその成長を止めていた。
「ふむ。……エンシェントの本体、であろうか?」
「僕もそう思う。……ただ、エンシェントの不気味さを考えると、何か裏があるかもしれない」
僕とモノロイの会話を他所に、イズリーが勝手にキノコに触りながら言った。
「おー! おっきくて黒くてカチカチだあー! こんなキノコ、初めて見たよ!」
……イズリー。
その台詞は僕の侍魂を無駄に震わせるから、やめてくれないだろうか。
しかし、アレだ。
無邪気な少女の悪気ない下ネタというのは、何故こうもグッとくるものがあるのだろう。
もはや神々しくすらある。
この世界に少女と言葉を造った神々に、感謝したいくらいだ。
僕の場違いで罰当たりな考えを吹き飛ばすように、キノコが突如としてグニャリと形を変えた。
「はわわ! なんだなんだー⁉︎」
イズリーが慌てて飛び退く。
まるで粘土を捏ねるように変形しながらキノコは膨張する。
天を仰ぐ大樹の枝のような鹿の角、太く長い腕、枯れ木のような肌。
キノコは、巨大なエンシェントの姿になった。
今までのエンシェントとはワケが違う。
これまで倒したエンシェントの三倍程の大きさのエンシェントだ。
枯れた大樹の枝のような角に、幾つもの頭蓋骨がぶら下がっている。
「ほーん。これが本当の姿ってわけかい。……血が滾っちまうんじゃぜ!」
パラケストは不敵に笑ってそう言った。
……キノコ。
そう言えば、聞いたことがある。
前世の数少ない記憶だ。
前の世界。
地球という星だったが、あっちの世界で最大の哺乳類はクジラだった。
シロナガスクジラだ。
体長30メートル程にもなるその生き物は、正しく最大の哺乳類だった。
最大。
ただし、哺乳類の話だ。
そんな馬鹿でかい生き物よりもさらに巨大な生物がいた。
それこそ、キノコ。
アメリカのオレゴン州で発見されたそのキノコは、大きさで言うと8.9平方キロメートルらしい。
広大な森林の地下に潜っているそのキノコは、単一の生物としては最大の個体だそうだ。
僕はそんな話を思い出す。
確かに、エンシェントの特徴に合致する点は多い。
樹海をテリトリーとすること、自分の作った縄張りを強く意識していること、そして、そのテリトリーはゆっくりと広がること。
もしかすると、エンシェントの正体はキノコが魔物化した物なのかもしれない。
南方の魔王は
それならば、キノコを触媒として創り出された魔物こそ、エンシェントなのではないだろうか。
サインがエンシェントの弱点だと思っていたが、おそらくそれは間違いなのだ。
サインは、要は地上に発芽したキノコの子実体でしかない。
キノコの本体は地上にはない。
エンシェントの弱点は、地面の下にある。
巨大なエンシェントが腕を振りかぶる。
「来るんじゃぜ!」
パラケストが叫ぶ。
「我にお任せを!」
エンシェントの巨大な拳を、モノロイが全身を盾にして掴んだ。
「……ぐう!」
モノロイが息を漏らす。
「シャルル! はよ攻撃せんか!」
パラケストが僕に叫んだ。
それには答えず、エンシェントを見て僕は言う。
「……エンシェントね。手こずらせてくれたじゃねーか。……人間ナメすぎだ、てめーは!」
僕の魔法に、ハティナたちも続く。
エンシェントとの長く険しい最終決戦が、幕を開けた。
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