第161話 地獄

 深淵。


 エンシェント。


 まるで枯れ木のように細く長い手足。


 どこで手に入れたのか、魔導師が着るようなローブを羽織る。


 角の生えた鹿の頭骨を頭に被り、素顔は見えない。


 頭骨から生えた二本の鹿の角はまるで、亡者が天を求めて両手を伸ばすかの様。


 殺した人間の頭蓋骨を集め、それを連ねて首飾りにしている。


 まるでアクセサリーのように。


 さらには、それを触媒にして死者をこの世に顕現させる。


 屍人は生前の技、スキル、魔法を使い、エンシェントの傀儡と化して戦う。


 

「──あの戦いは悲惨だったんじゃぜ。最初に出会した時、魔導師のローブを着ていたことから、味方の魔導師と勘違いした仲間のフレンジャーが近づいてった。一瞬。……一瞬でフレンジャーは頭を捻じ切られよった。そこからは地獄だったんじゃぜ。地面から屍人が這い出て来て、次々に仲間に襲い掛かった。……やられた仲間は必ず頭をもがれよってな。……俺らは慌てて陣形を整えて屍人に魔法を撃ち込んだんじゃぜ。ほいたらな。屍人の中にフレンジャーが混じっとった。よく見れば、屍人にやられた他の仲間も……」


 パラケストはやり切れないといった表情で語る。


「そこで気付いたんじゃぜ。目の前の魔物は頭蓋を依り代に死者を使役して戦闘に使っちょると。俺ぁ……。俺ぁ指揮官失格とも言える……指示を出したんじゃぜ。そして、俺ぁ自らそれを実行したんよ。……死にそうになった仲間の頭を魔法で撃ち抜いて頭蓋を割った。……魔物がそいつらを再生できんようにな」


 地獄。


 この言葉を、これほど生温いと感じたことはない。


 同じ釜の飯を食べた仲間。


 同じ志を持った友、恋人、あるいは家族。


 傷つき死にかけたその仲間を、自らの手で殺す。


 それも、頭を魔法で潰すのだ。


「今でも、あの時の仲間の目は忘れられんのよ。……スラーグは命乞いをしとった。殺さないでくれと。見捨てないでくれと。……俺ぁ、迷いもせず撃ち抜いたよ。……あいつ、もう下半身が千切れて無くなっとったからね。……そうやって、助からん仲間に次々に魔法を撃ちこんでった。スルーベルトなんて、恋人のアジャラに自ら止めを……」


 パラケストは悲嘆にくれた表情で言葉を詰まらせた。


 普段お気楽な彼がこんな顔をする。


 その事実だけで、彼の過去の傷を推し量るには充分過ぎた。


 そんなパラケストに、僕は言う。


「だとしても、僕はその魔物を倒します。祖父上様。僕は……、僕は南方の魔王を見ました」


 僕の言葉に、パラケストは目を見開く。


「僕は魔王と対峙したんです。一瞬だけですけど」


 デュラハンから伸びた魔力の糸を辿り、僕は魔王と繋がった。


 一瞬にも満たない刹那。


 南方の魔王が魔力を遮断するまでの僅かな時間。


「魔王は怒りに燃えていました。まるで憎悪と憤怒を混ぜたような、そんな感情。……そんな目をしていました」


 顔の輪郭はわからない。


 しかし、あの目は忘れない。


 僕もきっと、双子を失った時、あんな目をするだろう。


 怒りと憎しみに満ちた、そんな目。


「シャルルよお。……お前さん、ほんとに南方の魔王を倒すつもりなんか?」


 パラケストは、僕にそんなことを問いかけた。


「もちろんです」


 僕は端的に答える。


「なんでそんな面倒事を背負い込むんじゃぜ? 現状維持だってできるんじゃぜ? 何も今、世界を救わなくても良いってな。将来、どこぞの英雄が魔王を屠れば、それで良いってことにする方が簡単じゃぜ」


「そうですね。全くもって、その通りです。でも厄介なことに、その将来の英雄ってのが、僕なんですよ。……ただ、それだけ。それだけのことなんです」


 僕の答えに、パラケストはニヤリと笑った。


「へっ。ボウズがしゃしゃりよる。……が、嫌いじゃあねえな。……英雄は事を成してこそ英雄たらん。ヘルベルト先生が言ってたっけな。……ただ、深淵だけはなぁ」


 ヘルベルトは考え込むように俯く。


「……祖父上様。……いや、師匠。僕がやらなきゃいけないんです。父ベロンは、コウモリなら高みを目指せと言いました。天に昇って全てを見下ろせと」


「……」


「でも、僕はまだ、そこまで飛べないんです。……僕は弱い。……仲間がいなけりゃ何もできない。でも、それなら、僕は仲間を使ってでも高く飛ぶ」


「……」


「仮初の翼でも良い。……僕は仲間の力を翼にして、飛ぶ。だから師匠。あなたも僕を引き上げてください。そうして、僕はあなたを踏み台にして飛ぶ──」


 パラケストは呆れたような顔をする。


 それでも僕は言う。


「──高く、飛ぶ」


 パラケストは大きなため息を吐いた。


「……好き勝手ぬかしよるガキンチョじゃぜ。……誰に似たんだかなあ。……老いたコウモリの翼で行けるとこまで高く飛ぶってかい。……どうせ、俺が止めても行くつもりなんじゃぜ?」


 僕は黙ったまま頷く。


 僕は思う。


 これから魔王を倒そうって人間が、目の前の強大な魔物を避けて通って、果たしてソレを成し遂げられるのか。


 これから魔王を倒そうって人間が、その眷属すら倒せずして、果たしてソレを成し遂げられるのか。


 英雄になんてなるつもりはない。


 勇者なんて呼ばれたいわけじゃない。


 名声はいらない。


 名誉もいらない。


 栄光もいらない。


 権力もいらない。


 富もいらない。


 元々、僕は被差別的な立場の人間なんだ。


 裏切り者なんて呼ばれながら。


 魔王なんて恐れられながら。


 妬み、そねみ、罵詈雑言。


 それらを投げつけられる存在。


 それでも、欲しいものならある。


 一つだけ。


 一つだけ欲しい物がある。


 それは──


「シャルルよお。お前さん、何故そこまで魔王にこだわる? お前さんのジョブが魔王だからってこと以外に、お前さんが魔王にこだわる理由がわからんのよ。……お前さん、何を欲しとる?」


 僕はハティナを見ながら答える。


「世界の半分。……愛する人と口づけをするための、この世で唯一のチケット」

 

 パラケストは盛大に笑った。


 笑って、言った。


「バカだなお前さんも。……だがまあ、そんぐれーバカなやつの方が、案外やり遂げちまうかもわからん」

 

 パラケストは一度自分の膝を叩き、そして不敵な笑みを作った。


「……振り落とされんなよ。俺の翼はその辺のやつと違ってヤワじゃねえんじゃぜ。……なあ? 若きコウモリよお」

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