第159話 深淵

 僕たちは一度、樹海の南側に展開する王国軍本陣に帰還した。


 モノロイも一緒だ。


 エンシェントと呼ばれる魔物を倒すにも準備が必要だろう。


 ターゲットであるエンシェントのことを詳しく調べる必要もある。


 モノロイは一人で倒すつもりだったらしいが、魔物特効を持たないモノロイで勝てる相手なのかは未知数だ。


 何しろ、エンシェントは大陸北方まで侵攻した魔物の中では最強と目されているからだ。



 本陣に到着し、ハティナとモルドレイにエンシェント出現の報せを伝える。


 モルドレイは唇を噛みしめ、ハティナは相変わらずの無表情のまま、自分の荷物から分厚い本を取り出した。


 ハティナお気に入りのその本は、魔物の百科辞典だ。


 深淵。


 エンシェント。


 死者から永遠の眠りを奪い、自らの傀儡とする魔物。


 魔物の中ではほとんど例外的にスキルや魔法に近い権能を行使する。


 いや、もしかするとその本質はスキルや魔法とは違い、呪いや呪詛の類に近いのかもしれない。


 エンシェントが初めて発見されたのは、今からおよそ百年前だそうだ。


 王国の西側。


 エルフの管理する領域に深淵は現れた。


 当時はエンシェントという呼び名もなく、魔物とも認識されていなかった。


 人里離れた森の中、その近辺を狩場にしていたエルフの猟師によって、何やら謎の儀式を行う魔導師が目撃された。


 気味悪がった猟師は傭兵に依頼し、魔導師を追い払おうとした。


 結果的に、ソレは魔導師ではなく魔物だった。


 猟師から依頼を受け、エンシェントを最初に見つけ出した傭兵団が、最初の犠牲者となったのは必然と言える。


 傭兵たちは尽く殺され、そして深淵の傀儡に変わり果てた。


 傭兵ギルドは事態を重く捉え、最初は近場の村々から数十人規模の傭兵たちが討伐に駆り出された。


 傭兵ギルドにもメンツがある。


 新種の魔物を倒すことで、その名声を得ようと欲が働いたのかもしれない。


 傭兵によって組織されたエンシェント討伐隊。


 意気揚々と深い森に足を踏み入れたが、彼らが帰ることは二度となかった。


 傭兵ギルドはエルフ国に、森林に出現した新種の魔物の危険性を報告した。


 報告を受けたエルフ国は、北方諸国共栄会議の約定通り、近隣の国々に応援を要請する。


 エルフ国の東側にあるリーズヘヴン王国、そして、エルフ国北側に位置する獣人国がその要請に応えた。


 三ヶ国は合同で軍隊を派遣し、多大な犠牲を払いながらも遂には深淵を討伐することに成功した。


 ハティナの辞典には、そう書かれていた。


 しかし、モルドレイは言う。


「深淵の討伐に成功したというのは詭弁だ。当時はエンシェントを樹海の奥地に追い払うことで精一杯だったのだ。本当のところは、三ヶ国の精鋭魔導師を束にしても敵わなかったそうだ。……実際にエンシェントと戦った、ワシの祖父上から聞いた話だ。間違いなかろう」


 さらにモルドレイはモノロイと僕を交互に見てから言葉を続ける。


「モノロイ……と言ったか。パラスから話は聞いておるやも知れぬが……、四十数年前。ワシは樹海の中にあった砦を守る任に就いていた。当時は樹海を通る街道も、今より整備されておったからな。帝国に攻められ、街道を封鎖され、孤立無援となったワシを救うためにパラスは街道を迂回し、深い樹海を突き抜けて援軍に来た……」


 パラケストがモルドレイを救った時の話だろう。


 モルドレイはさらに言葉を続ける。


「パラスはその時、エンシェントに出会でくわしたのだ。そして、……隊の半数を失った」


 モルドレイの言葉に、モノロイは重々しく答える。


「は。師は酷くエンシェントを恐れておりました。そして、アレは自分が何とかしなくてはならないと常々……」


 僕は、一つの推測をモルドレイにぶつけてみた。


「レディレッド卿。百年前に現れた最初のエンシェントと、祖父パラケストを追い詰めたエンシェントは……」


 モルドレイは重々しく頷く。


「同一の個体であろう。この深き樹海を巣窟とする、最強の魔物だ。それほどに強力な魔物が、そう何匹もいてたまるものか」


 僕たちの間に沈黙が流れる。


 百年前に三ヶ国合同軍でも取り逃し、当時は魔導師として全盛期であっただろう祖父、パラケスト・グリムリープ率いる精鋭魔導師部隊を半壊させた。


 それこそが、エンシェントという一体の魔物によって行われたという事実に、誰しもが口を噤む。


 そんな中、金髪の少女だけが軽々と口を開いて言った。


「ふーん。ま、何でもいいからさ、早く殺しにいこーよ。ね? あ、今度は爺さんも行きますか? それとも、やっぱりめんぼくないですか?」


 ……。


 ……マジでたまにで良いから空気を読んではもらえないだろうか。


 それから、イズリーにはそろそろ『面目ない』という言葉の意味を教えるべきだろう。


 僕たちの緊張は一気に緩んだ。


 モルドレイは頬をピクピクと痙攣させながら言う。


「う、うむ。エンシェントほどの魔物の討伐であれば、ワシも行くのが筋であろうが、今は状況が拙い。……ワシが樹海に入れば、帝国には我らに宣戦布告の意思ありと捉えられかねん」


「レディレッド卿は本陣にいて下さい。エンシェント討伐には僕たちで行きます。……じゃなきゃ、ダメだろ? ……モノロイ」


 僕の視線に、モノロイは頷く。


「うむ。これは過去の因果を断ち切るための戦いであります故。……パラケストの正統な弟子たる、我らの役目でありますれば」


 モノロイの言葉に、ミリアが答える。


「そういう意味ではモノロイ、貴方は私の弟弟子も言うことになりますわね? そして、ご主人様は私の兄弟子。なるほどなるほど、これはこれは。私とご主人様の繋がりは、やはり確固たるものですわね?」


 ミリアがわざとらしく、ハティナに視線を送る。


「……ライカ、すでにミリアが深淵に操られている」


「左様でございますね。……惜しい人物を亡くしました」


「私を死人のように仰らないで下さいまし!」


 結局、シリアスな空気はいつものように喧しさで幕を閉じた。


 僕たちは本陣で装備を整え、パラケストのあばら屋に向かうことにした。


 そこでパラケストと合流し、エンシェントを討つ。


 僕にとって祖父であり、師であり、命の恩人たるパラケスト・グリムリープ。


 彼を過去の楔から解き放つ。


 僕たちは決意を新たに、再度樹海の深くに足を踏み入れた。

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