第157話 北京原人

 毛むくじゃらの魔物は樹上に直立した。


 目算だが身長は2メートルを有に超えるだろう。


 僕は念しで魔力を感知しようとするが、目の前にいるのにぼんやりとして上手く感知できない。


 この原始人は恐らく、四則法の念しに近い技術を使っている。


 それでも、魔力は完全に魔物のそれそのものだった。


 魔物の魔力は独特だ。


 混沌としていながら、深く黒い魔力。


 まるで渦巻く底無し沼のような魔力のリズムを刻むのが魔物の魔力の特徴だ。


 そんな原始人の魔力に気を取られた刹那、樹上から魔物の姿が消える。


 ガチンと金属音が鳴った。


 僕のすぐ横で、ライカが曲剣で魔物に斬りかかっていた。


 しかし、全く意に介さないかのように魔物は素手でそれを防いでいた。


 原始人の着る毛皮のフードの奥。


 ボサボサに伸びた黒い髪の毛の隙間から、鋭い双眸が覗く。


 僕では反応すら許されないほどのスピード。


 ……くそ! 


 僕は心の中で毒づく。


 僕もそこそこ強くなったと思っていたが、ライカがいなければ今の一瞬で殺されていただろう。


 僕は横っ飛びでその場から離れつつ魔物に向けて界雷レヴィンを放つ。


 大技を使う余裕がない。


 僕の界雷レヴィンは雷鳴を轟かせて魔物に着弾するが、それも片手で防がれた。


 驚愕と悪寒が同時に走る。


 僕の魔物特効が通じない。


 デュラハンの片腕すら吹き飛ばす魔法が、素手で弾かれたのだ。


 この魔物、とんでもなく強い!


 毛むくじゃらの魔物は悠々とした様子で毛皮のフードを脱いだ。


 伸び散らかった黒い髪、それと同じく長い髭。


 前髪は長く、先ほどの射殺すような両の眼は伺えない。


 魔物は、どう見ても人間だった。


 まるで原始人のような姿。


 それでも、魔力の流れは完全に魔物そのもの。


 体内魔力の流れや勢いは人それぞれだが、魔物と人間では隔絶した違いがある。


 魔物と人を間違えるわけがない。


 人の姿をした魔物。


 首なし騎士のデュラハンに近い魔物だろうか。


 北京原人か何かが魔物に変えられたのだろうか。


 ……この世界に北京はないが、とにかく、いわゆる原始人のような風貌なのだ。


「……ふ。久しいな」


 大男が喋った。


「……?」


 こいつ、今、人の言葉を……。


 僕は瞳に写るその大男に思考が追いつかない。


「──主さまはわたくしが御守りいたします!」


 僕の疑問を置き去りに、ニコが一度に三本の矢を放つ。


「ぬお!」


 そんな声を漏らしながら、北京原人の魔物は至近距離から放たれた矢を全て躱した。


 それを見てライカが叫ぶ。


「こいつ! 速いぞ!」


「……うーん? ……ま、いっか。殺ろ!」


 イズリーは何やら一瞬だけ考えるような仕草をしたが、すぐに戦闘に参加した。


「ご主人様! この者は──」


 ミリアが何か叫んだが、イズリーが飛びかかり、さらにムウちゃんが殴りかかって戦闘が再開したため上手く聞き取れない。


 原始人は、拳を振り抜くイズリーの攻撃をいとも簡単に躱し、ムウちゃんの攻撃も紙一重で捌いていく。


 しかし、とんでもない原始人がいたものだ。


 ムウちゃんと格闘戦を演じて一撃も喰らわないばかりか、ムウちゃんの打撃を全ていなし切った上で彼女をいとも簡単に片手で捻じ伏せた。


「……む。お主、あの時のダークエルフか!」


 北京原人がまた何か言っている。


 ……あの時の?


 僕の脳内で疑問が膨れ上がる。


「おりゃあ!」


 イズリーが飛びかかるが、彼はなんてことないようにムウちゃんを抑え込んだ方とは逆の腕でその攻撃をいなしてしまう。


「貴様! ムウを離せ!」


 ライカの雰囲気が変わった。


 何かスキルが発動したような魔力だ。


「このスキル! なるほどこう使うのか」


 そんなことを言いながら、ライカは口に曲剣の『牙』を咥えた。


 ライカはまるで野生の獣のような動きで北京原人を翻弄する。


 木々を飛び移るように跳躍し、地を蹴り風を追い抜く。


 ありえないほどのスピードだ。


 これはおそらく、美面と獣心ビューティフルビーストだろう。


 その身に獣を宿すかのようなスキル。


 イズリーの狂化酔月ルナティックシンドロームに近いが、暴走状態になっているわけではない。


 まるで、動けば動くほど速くなるようだ。


「む! 速い!」


 原始人はライカの斬撃を素手で受け止めながら、それでもその速度に対応し続ける。


「これは強い! 流石は戦鬼か! 未だ、我では届かぬな」


 北京原人はそう言うと、ライカを無視してその場に胡座をかいて座った。


 牙を咥えたライカの剣閃が、原始人の首筋ギリギリでピタリと止まった。


「降参する! 我はモノ──」


 そこまで原始人が言った時、彼の顔面にポチがめり込んだ。


「……うぐぅ」


 そんなことを言って、原始人は仰向けに倒れた。


 イズリーが勝ち誇ったように言う。


「やっと当たった! にしし、強いほーんべあー倒した! さてさて、素材をいただきますかねえ」


 この原始人は絶対にホーンベアーではないだろう。


 そもそも角がないし熊でもない。


 ……しかし、待て。


 この原始人、今、『……うぐぅ』って言ったぞ。


 まさか。


 まさかこいつ──


「あれ? 素材が出てこないねえ。……も少し殴ろ」


 僕は今回ばかりはイズリーを全力で止めた。



 しばらくして、大男は目を覚ました。


「久しいな。シャルル殿!」


 むくりと起きてすぐに、男はそう言った。


 僕はそれに答える。


「お前だとは思わなかったよ。……モノロイ」


 原始人はただの北京原人ではなかった。


 彼はモノロイ・セードルフ。


 僕の親友だった。


 演武祭の後、彼が僕の祖父パラケストに弟子入りして以来だ。

 

「会えて嬉しいぞ。……我が友よ」


 三年ぶりの友との再会に、僕は目頭が熱くなるのを感じる。


「……ああ」


 僕は何も言えなかった。


 ソレが溢れ落ちないように、僕は空を見上げる。


 頭上には樹海の植物の枝が繁り、空は見えない。


「シャルルー? 泣いてるの?」


「……違うよ。……空が、見たいだけ」


 イズリーの言葉に、僕はそう答えた。

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